―アドベント第2主日礼拝―
時間:10時30分~説教=「みどり子はキリストとして生まれた」
稲山聖修牧師
聖書=『マルコによる福音書』7 章6~9節
聖書=『マルコによる福音書』7 章6~9節
(新約74頁)
讃美=96.21‐229(Ⅱ.96).21‐29.可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。
西暦、現在では共通紀元と呼ぶ暦とはグレゴリオ暦と申します。イエス・キリストの誕生をもともとは基準としていて定められ、その区分けの呼び方は原則、BC(英語でキリスト以前)、AD(ラテン語で「主の年」)とされます。キリストの降誕以前とキリスト降誕以降の時代として6世紀以降用いられている暦です。キリストの誕生を人類史に組み込んだ暦ではありますが、『聖書』でもキリスト以前の時代を示す『旧約聖書』の世界と『新約聖書』の世界として分たれるのは興味深いところです。
しかしだからといって、人のあり方に大きな変化が生じたかと申しますと、わたしたちは複雑な気持ちを覚えます。イエス・キリスト降誕以降の時代にあっても、イエス・キリストの名前を自己正当化に用いたり、権力による支配の正当化に用いたりという振る舞いは愚かな振る舞いは変わりありません。また『新約聖書』とりわけ福音書で人の子イエスが向きあう世もまた、人の子イエスに挑みかかるような人々に溢れています。そうなりますと、わたしたちは「イエス・キリストの誕生が何を変えたのか」「人の世はどう変わったのか」という問いかけを無視するわけにはまいりません。時代の経過にしたがって人類の起こす殺戮はより大規模なものとなりましたし、環境破壊と呼ばれる事態、なかんずく人類が滅亡させた動植物の種も数知れません。いったいわたしたちはイエス・キリストの誕生により何を突きつけられているというのでしょうか。
本日の『聖書』の箇所である『マルコによる福音書』7章では次のような物語が記されます。人の子イエスと同じように預言者の言葉を受け入れ、復活の教えに立って人々を導いていた律法学者、則ちその時代のユダヤ教の聖書学者が、エルサレムからガリラヤ湖のほとりであるゲネサレト地方にやってまいります。そしてイエスの弟子の中に洗わない手で食事をする者を見つけます。物語には次のような説明が付け加えられます。「ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、また市場から帰ったときには、身を清めてからでないと食事をしない。そのほか、杯、鉢、銅の器や寝台を洗うことなど、昔から受け継いで固く守っていることがたくさんある」。このような前置きがあって本日の箇所にいたります。衛生観念とした場合、わたしたちはむしろこの「言い伝え」としての戒めは決して悪くないと受け入れがちですが、なぜ人の子イエスはこの発言を批判するのでしょうか。
注目するところは、この時代の人々にとっての「水」が、わたしたちの暮らす地域での水とは全く異なる価値をもっていたところにあります。水が生存には不可欠な資源であるところには代りはありませんが、その水を「身体を清める」ために使用できる人々の数は実は限られていました。『旧約聖書』でも水をめぐる争いが『出エジプト記』には記されますが、まず人々のいのちに関わる事柄とは、その水で渇きを癒すという営みです。つまり水でもって手足を十分に洗い清められる人々は、社会的地位に恵まれ、その水を運搬する労働者を用いていたこととなります。豊かな人間は奴隷を用いてその水を運ばせていたかもしれません。ファリサイ派の人々には水を清めに用いるわざは、『律法』以上の意味として、その水を生活用水として用いられるところにさえ、自らの優位を確かめていたところにありました。清潔さとは特権と成り果てました。だからこそ人の子イエスは辛辣な言葉を投げかけたのではないでしょうか。
飲料水を清潔に保てないところから疫病が流行し、多くのこどもたちがいのちを失っていった地域にアフガニスタンをあげることができます。あのタリバンでさえできなかったことを中村哲医師はジャララバードという土地で自分のいのちと引き換えに成し遂げました。一方、わたしたちが不衛生な身なりのまま涙を流しながら路地を走るこどもと出会ってしまったら、何をするというのでしょうか。キリスト以前の世であれば、わたしたちはそのようなこどもの姿を「見なかったことにする」という選択肢も持てます。しかし今のわたしたちには、各々の生涯にあってイエス・キリストと出会ってしまったのです。そのなかで先ほどのこどもと出会うならば、思わず抱きしめ、相応の行政の窓口、あるいは何らかの手立てはないものかと対応を尋ね求めることでしょう。今もまた、弱者に対する排除と憎しみ、「ウィークネス・フォビア」がいたるところで跳梁跋扈する時代となりました。そのような世にあって、イエス・キリストが弱さの究極の姿であるみどり児の姿をまとって世に生まれた出来事ほど尊いものはないと確信します。未だにキリスト以前の体裁である時代にあって、みどり児イエスの姿を待ち望む者として、弱さを尊び受け入れるあり方を選びたいと願います。
しかしだからといって、人のあり方に大きな変化が生じたかと申しますと、わたしたちは複雑な気持ちを覚えます。イエス・キリスト降誕以降の時代にあっても、イエス・キリストの名前を自己正当化に用いたり、権力による支配の正当化に用いたりという振る舞いは愚かな振る舞いは変わりありません。また『新約聖書』とりわけ福音書で人の子イエスが向きあう世もまた、人の子イエスに挑みかかるような人々に溢れています。そうなりますと、わたしたちは「イエス・キリストの誕生が何を変えたのか」「人の世はどう変わったのか」という問いかけを無視するわけにはまいりません。時代の経過にしたがって人類の起こす殺戮はより大規模なものとなりましたし、環境破壊と呼ばれる事態、なかんずく人類が滅亡させた動植物の種も数知れません。いったいわたしたちはイエス・キリストの誕生により何を突きつけられているというのでしょうか。
本日の『聖書』の箇所である『マルコによる福音書』7章では次のような物語が記されます。人の子イエスと同じように預言者の言葉を受け入れ、復活の教えに立って人々を導いていた律法学者、則ちその時代のユダヤ教の聖書学者が、エルサレムからガリラヤ湖のほとりであるゲネサレト地方にやってまいります。そしてイエスの弟子の中に洗わない手で食事をする者を見つけます。物語には次のような説明が付け加えられます。「ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、また市場から帰ったときには、身を清めてからでないと食事をしない。そのほか、杯、鉢、銅の器や寝台を洗うことなど、昔から受け継いで固く守っていることがたくさんある」。このような前置きがあって本日の箇所にいたります。衛生観念とした場合、わたしたちはむしろこの「言い伝え」としての戒めは決して悪くないと受け入れがちですが、なぜ人の子イエスはこの発言を批判するのでしょうか。
注目するところは、この時代の人々にとっての「水」が、わたしたちの暮らす地域での水とは全く異なる価値をもっていたところにあります。水が生存には不可欠な資源であるところには代りはありませんが、その水を「身体を清める」ために使用できる人々の数は実は限られていました。『旧約聖書』でも水をめぐる争いが『出エジプト記』には記されますが、まず人々のいのちに関わる事柄とは、その水で渇きを癒すという営みです。つまり水でもって手足を十分に洗い清められる人々は、社会的地位に恵まれ、その水を運搬する労働者を用いていたこととなります。豊かな人間は奴隷を用いてその水を運ばせていたかもしれません。ファリサイ派の人々には水を清めに用いるわざは、『律法』以上の意味として、その水を生活用水として用いられるところにさえ、自らの優位を確かめていたところにありました。清潔さとは特権と成り果てました。だからこそ人の子イエスは辛辣な言葉を投げかけたのではないでしょうか。
飲料水を清潔に保てないところから疫病が流行し、多くのこどもたちがいのちを失っていった地域にアフガニスタンをあげることができます。あのタリバンでさえできなかったことを中村哲医師はジャララバードという土地で自分のいのちと引き換えに成し遂げました。一方、わたしたちが不衛生な身なりのまま涙を流しながら路地を走るこどもと出会ってしまったら、何をするというのでしょうか。キリスト以前の世であれば、わたしたちはそのようなこどもの姿を「見なかったことにする」という選択肢も持てます。しかし今のわたしたちには、各々の生涯にあってイエス・キリストと出会ってしまったのです。そのなかで先ほどのこどもと出会うならば、思わず抱きしめ、相応の行政の窓口、あるいは何らかの手立てはないものかと対応を尋ね求めることでしょう。今もまた、弱者に対する排除と憎しみ、「ウィークネス・フォビア」がいたるところで跳梁跋扈する時代となりました。そのような世にあって、イエス・キリストが弱さの究極の姿であるみどり児の姿をまとって世に生まれた出来事ほど尊いものはないと確信します。未だにキリスト以前の体裁である時代にあって、みどり児イエスの姿を待ち望む者として、弱さを尊び受け入れるあり方を選びたいと願います。
