―聖霊降臨節 第7主日礼拝―
時間:10時30分~可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。
2025年『信徒の友』8月号が出版されました。この冊子には「日毎の糧」という欄があり、日本基督教団に連なる諸教会の名前と各々の祈りの課題、そして『聖書』の箇所が掲載されます。8月号では南海地区の教会がとりあげられ「生きづらさをかかえる方々の祈りを主なる神がお聞き届けになり、イエス・キリストの豊かな祝福と深い癒しが臨みますようお祈りください」との文章を寄せました。今の時代の痛みを抱える教会内外の関係者を覚えていただきたいとの考えから文章を送信しました。期せずしてタイミングは80年目の広島原爆忌。但し、わたしは当日の担当者の聖書講解の言葉には考え込みました。「イエスさまは、わたしたちが神さまに従うには、犠牲をはらう必要があることを教えられました」。浮かんだのは、自らに従うには犠牲が必要だという条件を本当にイエス・キリストは語ったのか、という問いなのです。
本日の『聖書』箇所では「求めなさい、そうすれば、与えられる。探しなさい、そうすれば、見つかる。門を叩きなさい、そうすれば、開かれる」とあります。何を探すのか、何のために門を叩くのかと言えば、「神の国と神の義」を求めて、です。そうすれば「何を食べようか」「何を飲もうか」「何を着ようか」と言って思い煩うことはないとの、名も無い人々へ向けたメッセージが鮮やかになります。その内容はすでに空腹であり、すでに渇いており、すでに身なりすら衛生的に整えられなかった人々へ向けた喜びであり「身体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである」との聖句の断片的な解釈とはわけが違ってまいります。人の子イエスのもとにやってきたのは、すでに犠牲に献げるものすら持てないと失望と悲しみに暮れるほかなかった人々であり、求められるとするならば、自らのすべてを献げるほか道がなかった人々です。だからこそ本日の『聖書』箇所は次のように続きます。「あなたがたの誰が、パンを欲しがる自分のこどもに、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか」。パンも魚も福音書では、その日を暮らす必要最低限の食事として描かれます。思えば『出エジプト記』で記される奴隷でさえ、魚の干物を食事として無料で支給されていたと記載されます。人の子イエスの教えの聴き手の置かれた暮らしが推し量られるというものです。
おそらくこの場で人の子イエスが群衆、そして群衆と深い間柄にあった弟子のすべてが、その時代には律法学者を始めとしたごく一部のユダヤ教の指導者層とは異なり、文字の読み書きに際しては、恐らくは不可能か日常生活での最低限の識字能力しか持たなかった人々が大半だったことでしょう。しかしそれでも人の子イエスは「十戒」を始めとする『旧約聖書』の誡めが全うされると伝えます。それが「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である」との言葉です。『律法』と『預言者』とはその時代の『聖書』、すなわち、わたしたちのいう『旧約聖書』に該当する書名です。その誡めが日々の暮らしの中で実現するのは「わたしに従いなさい」と呼びかける救い主の声にたどたどしくも応える瞬間です。
本日は国政選挙の投票日です。気がかりなのは小学生の給食メニューを案じる声よりも、多様性を否定し誰かを圧し除けて心を満たそうとする声が強まっているという現状です。わたしたちはそのような憎しみをぶつけられ苦悶している仲間に何らかの犠牲を払えなどと人の子イエスが伝えたとは考えられません。そうではなくて、あの五千人の人々が五つのパンと二匹の魚を祝福して分かちあうイエス・キリストの姿を見て、自らも手ずから持っていた粗末な食事を分かちあう群れが生まれた出来事を思い起こしたいのです。何の飾りもない、その素朴なわざには「神の国と神の義」が先取りされていたと言わずにはおれません。また略奪者に襲われ虫の息の旅人を支えたのは、同族の祭司やレビ人ではなく、時には憎しみの対象にすらなっていたサマリア人の旅人だったと思い起こしたいのです。かのサマリア人は虫の息の旅人に必要なその時代の緊急措置を施し宿屋に連れて介抱するだけでなく、2デナリオンを主人に渡してその後の治療を依頼しました。さてサマリア人は費やした時間や費用や薬品(油とぶどう酒)を犠牲だと思ったのでしょうか。そんなわけがないのです。略奪者に襲われた旅人がまた歩けるようになれば、やはりそれはサマリア人にも実に喜ばしい知らせです。イエス・キリストに従う道筋をその人の人生一代のみで全うするのは困難だとしても、必ず誰かの道備えとして用いられ、分かちあわれてまいります。神の国はそうした小さな、しかし決して消されない神の愛の交わりから始まると確信し、主は自らを犠牲とされた事実を胸に刻んでまいりましょう。