2020年8月27日木曜日

2020年8月30日 説教(自宅・在宅礼拝用です。当日、礼拝堂での礼拝も行われます。)

「書き込まれた新たな物語」

『ヨハネによる福音書』8章 3~11節

説教:稲山聖修牧師

説教動画は、「こちら」をクリック、またはタップしてください。

本日の箇所では、姦通の現場、今日の言葉で言えば不倫の現場で捕らえられた女性の姿が描かれます。イエス・キリストの振る舞いとしてまことに劇的な場面ですが、実は『ヨハネによる福音書』にのみ記されている物語でもあることを、わたしたちはつい忘れてしまいます。しかもこの物語は『新共同訳聖書』の括弧が示すように、最古の写本には記されてはおりません。後の世に書き込まれたこの物語は、福音書全体の中でどのような役割を果たしているのでしょうか。

物語の場面は都エルサレム、神殿の境内。「そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女性を真ん中に立たせた」。姦通、つまり不倫の現場で取り押さえられたということは、これは現行犯であります。物語の字面を追ってまいりますと、613ある『律法』の誡めの根幹をなす十戒の第七の誡めに触れることとなり、字義通りにとれば死罪にあたります。真ん中に立たせられるという事態は、女性にはもはや逃げる余地がないことを示しています。また該当する罪状への判決が出れば、直ちにこの女性はエルサレムの都の外に引きずり出されて石打の刑に処せられる段取りです。それは律法学者やファリサイ派の人々の言うとおりです。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の書で命じています。ところで、あなたはどうお考えですか」。「イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである」と『ヨハネによる福音書』の書き手は記すのですが、このワンフレーズによって、女性を形容する一文に大きな疑問が生じていることにみなさんはお気づきでしょうか。「不倫の現場で捕らえられた」。不倫の現場で捕らえられたからには、その現場に律法学者やファリサイ派が偶然居合わせたこととなりますが、これはあまりにも不自然です。また不倫の現場で捕らえられたのであれば不倫の相手がいるはずです。しかしその相手となる男性は姿を見せません。『旧約聖書』に描かれる不倫の事件としては、ダビデ王とバト・シェバの判例があります。王妃のいる身でありながら、忠実な家臣ウリヤの伴侶バト・シェバを見初めたダビデは不倫の関係を結びます。その事件をもみ消すためにウリヤを生還不可能な戦場に送り込み戦死させ、バト・シェバを側室に迎えるという話です。この物語ではバト・シェバに神の責めが及ぶのではなくて、ダビデ王自らに神の責めが向けられるという構成になっています。バト・シェバは決して裁きの場に引出されて死罪を申し渡されることはありません。バト・シェバは悲しみを背負った女性として描かれます。その物語を踏まえても、女性だけが引出されるのは不自然極まりないのです。かがみ込んでイエスが地面に書いていたのは、神の名であったのか、それとも誡めであったのかは分かりませんが「彼ら」すなわち律法学者は「しつこく問い続けた」とあります。立たされた女性は黙ったまま。これは明らかに「自白」なき裁判。セオリー無視の偏った裁きであることが分かります。

ところでこの場での女性と申しますのは、福音書が描く古代ユダヤ教の世界におきましては、公の場での発言を赦されてはおりませんでした。その限りでいえばこの女性は、仮に最貧困層が置かれた女性がなすすべもなく身体を売るという仕方で生計を立てるほかなく、またその貧しさの故に無作為に身体を引きずり出され、イエス・キリストを訴える口実として利用された可能性もあります。汚れ仕事に従事しているからには今さらここで身の潔白を証明する人もおらず、本人も生きる希望を失っていたのであれば、早く楽になりたいと沈黙するしかありません。しかしイエス・キリストは訴える口実を探しているはずの律法学者たちへ逆に問いかけます。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女性に石を投げなさい」。不倫に限らず613の誡めを破っていない者、律法を完成した者のみがこの女性に石を投げよというのです。期せずしてこの言葉は女性を取り囲む人々に突き刺さります。『旧約聖書』で描かれる神はイスラエルの民を愛しているからこそ律法を授けたのであって、人々を傷つけいのちを奪うための剣を与えたのではないのです。律法を完成した者であれば、この女性を責め立てるなどするはずがありません。今日の難民も含む寄留者、孤児、そしてこの女性のような寡婦の暮しを支えよという誡めはモーセ五書、すなわち『律法』には罰則規定以上の力を帯びて記されます。誰もいなくなった境内の片隅で「誰もあなたを罪に定めなかったのか」と身を起こしたイエスは女性に問います。ようやく女性は口を開きます。「主よ、誰も」。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからはもう罪を犯してはならない」。イエス・キリストは自らとの関わりの中で新しい生き方を促します。今やこの名もない女性は疑いから解放されました。恐怖から解放されました。慰み者という道具としての扱いから解放され「誰もわたしを罪に定めなかった」という事実のみを、誡めを完成した救い主イエス・キリストの前に告白しているのであります。これまでの悲しみを癒して余りある深い絆がそこには生まれています。

書き込まれた新たな物語が『ヨハネによる福音書』に組み入れられた背後には、人として扱われなかった女性たちへの眼差しがあったでしょう。今や男性本位ではない、女性自らの眼差しで構成される物語が福音書全体を彩ることに至りました。


2020年8月21日金曜日

2020年8月23日(日) 礼拝説教(自宅・在宅礼拝用です。当日礼拝堂での礼拝も行われます。)

「キリストの<杭>となる勇気」

『ヨハネによる福音書』7章45~52節 

説教:稲山聖修牧師

説教動画は「こちら」をクリック、又はタップしてください。

 かつて終戦にいたるまで、出征兵士を送り出すにあたり、寄せ書きをした日章旗を贈る慣わしがありました。もしその中に「支那の子供を愛してください」とのメッセージが記されていたとするならば、わたしたちは何を思うというのでしょうか。北海道本別町の歴史民俗資料館には「支那の子供を愛してください」という一文について話を続ける語り部の細岡幸夫さん(89歳)がおられます。細岡さんによれば、このメッセージを書いたのは上美里別尋常小学校で教鞭をとっていた川原井清秀さん。細岡さんが小学校三年生の担任でもあった川原井先生。戦後しばらく経った後、川原井先生の寄せ書きを見て衝撃を覚えたと申します。細岡さんにとって川原井先生はどちらかというと浮いた感じのする先生であったそうです。川原井先生はクリスチャンでした。日の丸への寄せ書きは「極端なことをいうと、このメッセージは非国民的な言葉だということで、処罰されても不思議ではなかった」そうです。川原井先生は大正5年生まれ。8人兄弟の6番目として育ったものの、7歳から12歳までの間に母親ときょうだい5人が結核で亡くなるという幼少期を過ごした後、師範学校在学中の17歳の折に受洗されたと申します。生徒をあまり𠮟ることはなく、𠮟ったとしても「自分の手を胸に当てて瞑目していた」という先生。語り部の細岡さんは語ります。「これが本当の、平和を願う本当の短い言葉だと思います。分け隔てなくこどもを愛するということ。本当にこの言葉は永久に遺していかなくてはならないと思います。特にこどもたちに観て欲しい」。日章旗を受けとった男性は戦後無事に復員されたそうですが、川原井先生は終戦直後に急性肺炎で28歳で逝去されたと申します。穏やかな川原井先生が「支那の子供を愛してください」と出征兵士に贈った言葉。勇ましい言葉が居並ぶ中で日章旗に打ち込まれたキリストの<杭>がそこにあったと言えるのではないでしょうか。

 とは言え、出る杭は打たれる、と申します。教会に連なる方で公立中学・高校に勤務される方の中には、日本国憲法にある思想・信条の自由に基づき世の国々より大きな神の国を仰ぐという意味で国歌斉唱の際には起立されない方もいます。天皇制の問題もあるでしょう。これは大阪府の公立学校で懲戒処分の対象にされます。そのように生きる教会員の方がこの場にいたとするならば、わたしたちはどのように向き合うというのでしょうか。「あなたとわたしは関係ない」と言うべきでしょうか。わたしたちはボンヘッファーが逮捕前、ドイツ軍の戦勝報道を街頭で聞く中、群衆が右手を掲げたときに「まだ時は来ていない」と仲間に語りかけたように関わるかもしれません。なぜなら<反対する>という態度以上に「子供たちを愛してください」と呼びかける方が、より大きな力をもっているように思うからです。もちろん同調圧力の強い組織や共同体で出る杭となるのには実に勇気が要るもので、その労は測りかねます。

 しかし本日の聖書の箇所でファリサイ派の律法学者であるニコデモは「我々の律法によれば、まず本人から事情を聞き、何をしたかを確かめた上でなければ、判決を下してはならないことになっているではないか」とイエス・キリストへの憎悪に湧き、捕縛するために下役を遣わした祭司長や同僚であるはずのファリサイ派に抗議いたします。すでにニコデモは『ヨハネによる福音書』3章でイエス・キリストへの出会いを経ています。3章でニコデモは議員の一人として描かれます。すなわち、相応の政治力ももった律法学者です。その彼がキリストのもとを訪れたのは夜であり、新しく生まれるとはどういうことなのかと語らいます。人目を憚るように救い主をのもとを訪ねたニコデモが、今朝の箇所では明らかに誰の目にも分かる仕方で、イエスの逮捕と裁判の不備について明言するのです。思わず口走ってしまったのかもしれませんが、彼に向けられた言葉は「あなたもガリラヤ出身なのか」という実に危うい状況を示すものです。イエス・キリストとの関わりは、ただただ安心立命を求めるものではありません。時には勇気をもって、またはわれ知らずしてイエス・キリストの杭になってしまう道が開かれる場合もあります。新型コロナウイルスへの感染の報せが近づく今、その恐怖心が転じて、感染を疑われた者は降りかかる差別に慄かずにはおれないという現状があります。そんなことは止めましょうという人にも言葉礫が投げられる場合もあるでしょう。しかしそれを恐れていては、わたしたちは何も出来ないのです。時に沈黙は不当な振る舞いに及ぶ人々を黙殺するのではなく、人々の苦しみを黙認してしまうことになりはしないでしょうか。ニコデモはキリストの苦しみを見過ごせませんでした。十字架から降ろされるイエス・キリストの骸を同じ議員であるアリマタヤのヨセフとともに受けとめてまいります。このときニコデモは明らかに「出過ぎたキリストの杭」となっています。キリストに根ざす出過ぎた杭は神の愛を証しします。「支那の子供たちを愛してください」。出過ぎた杭は決して打たれません。恐れず主なる神を仰ぎましょう。

2020年8月14日金曜日

2020年8月16日(日) 礼拝メッセージ(自宅・在宅礼拝用です。当日礼拝堂での礼拝も行われます。)

 「時が来て癒される家族のつながり」

『ヨハネによる福音書』7章1~9節

説教:稲山聖修牧師

メッセージ動画は、「こちら」をクリック、もしくは、タップしてください。

 小学校4年生ごろのお話です。午後4時ぐらいになるとふらっとわが家にやってくる男の子がいました。何をするというわけでもなく、例えばその時間のあたりになると放送が始まるこども向けのテレビ番組を一緒に観た後、日によっては一緒にライスカレーを囲む。時にはおうちでお母さんが心配しているでしょ、大丈夫なのと母は言うものの、二日後にまた来る。同じように時間を過ごし、少し多めに作り大皿に盛ったコロッケを一緒に食べる。そんなことが三か月ほど続いた後ピタッとその男の子はこなくなりました。なぜ三か月という時間が思い出せるかというと、一緒に観ていたテレビ番組の四分の一、ワンクールを終えたことが後から分かったからであります。どちらかといえばマラソン選手のような体格でいつも似たようなTシャツを着ていました。暑いときに玄関から上がった時には母親が自宅で風呂に入れて服を洗濯することもあったようでした。突如として来なくなったその男の子。仮にY君くんとしておきましょう。どうして来なくなったのと母に尋ねたところ「昔はよくああいう子がいたの。あんたらはご飯を食べるときにはちゃんと手を合わせるんだよ」とこども心にはわかりづらいことを語気を強めて言うのでまた叱られたかと思い、箸を止めてしまったのを覚えています。1942(昭和17)年生まれの母には見えたはずです。親御さんからは何の挨拶もなかったそのYくんは多分、家に誰もいない鍵っ子であったか、家にいるのがつらくて仕方がなかったか、何か理由があったのではないか。今でいう児童養護施設の代わりに孤児院という言葉のあった時代でした。

 新型コロナウイルス感染症拡大対策で盛んに「ステイホーム」が叫ばれましたが、家にいるのがつらかったり、何らかの事情から自宅以外の場所で安心できたはずのこどもが暴力に遭ったという話は、PCR検査陽性者数以上にはメディアでは報道されません。親子と申しましてもあり方はばらばらです。殺人・傷害事件の最大の可能性は親子や係累関係にあるとの数値もあり、血のつながりがあるからといって家族が幸せであるかどうかは別の話になります。

 そういたしますと『創世記』にあるカインとアベルの物語は何らかの比喩的な表現でもありながら現代でも俄然現実味を帯びてきます。また「族長物語」で兄エサウが弟ヤコブに抱いた憎悪、ヨセフに兄弟が抱いた殺意、『サムエル記』でダビデの娘・息子たちの間に起きた諍いの物語は地面から現れわたしたちの足首を握って放そうとはいたしません。『ヨハネによる福音書』にあります今朝の物語にいたしましても事情は変わりません。故郷にいながら「ここを去ってユダヤに行き、あなたのしているわざを弟子たちにも見せてやりなさい。公に知られようとしながら、ひそかに行動するような人はいない。こういうことをしているからには、自分を世にはっきり示しなさい」。殺意と憎悪が渦巻くエルサレムへと、なぜ兄弟たちはイエス・キリストを追い出そうとするのでしょうか。しかしその圧力にも拘わらずイエス・キリストは答えます。「わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつも備えられている。世はあなたがたを憎むことはできないが、わたしを憎んでいる。わたしが、世の行なっているわざは悪いと証しているからだ。あなたがたは祭りに上って行くがよい。わたしはこの祭りには上って行かない。まだ、わたしの時が来ていないからである」。『ヨハネによる福音書』ではこのように記した後、「こう言って、イエスはガリラヤにとどまられた」と一旦筆を置きます。他の福音書でも故郷でナザレでのイエス・キリストへの無理解が描かれておりますが、今朝の箇所ではさらに一歩踏みこんで、兄弟たちが実に邪険にイエス・キリストを扱っているようです。そこには血のつながりはありながらも「世はあなたがたを憎むことはできないが、わたしを憎んでいる」という、神との関わり方に基づく世の態度の違いが鮮やかに描かれています。血のつながりもある家族もまたイエス・キリストには世に属する、救い主を受け入れようとはしない群れとなり得ます。けれどもイエス・キリストはそのような、針の筵になっているはずの故郷ガリラヤに「まだ、わたしの時は来ていないから」と言って留まり続けます。忍耐を続けます。それは来るべき時、すなわち民衆にとどまらずご自分に関わる全ての眼差しを自分の欲得にではなく、また名誉欲にでもなく、丘の上に立つ十字架に転じさせ、神の救いにいたる道へと向けさせるためであり、罪という名の洞穴に閉じ籠り、本来は支え養うべきいのちを傷つけ、神の恵みを前にしてなおも抵抗する人々に「戦いは終わった。神の愛にすべてを委ねて出てくるように」との講和条約を結ばせるためであります。昨日はポツダム宣言受諾の日でありましたが、その後も南の島に立て籠って戦う将兵もいました。大陸では引揚の際、足手まといになるという意味だけでなく生き延びる可能性を少しでも広げるために残留孤児となったこどもがいました。救い主の言動に無理解であったイエスの兄弟ヤコブは、後に初代教会のわざに殉じました。傷を負った全ての家族に神の平安と癒しを乞い願います。


2020年8月8日土曜日

2020年8月9日(日) 礼拝メッセージ(自宅・在宅礼拝用です。当日礼拝堂での礼拝も行われます。)

 「いのちと平和のパン」

『ヨハネによる福音書』6章41~51節

説教:稲山聖修牧師

メッセージ動画は、「こちら」をクリック、またはタップしてください。

本日8月9日は、長崎で原爆忌として覚えられる日曜日です。恐らく爆心地近くにあるカトリック浦上教会では実戦使用最後の核爆弾であれかしとの祈りを込めて、齢を重ねた被爆者を中心をした記念式典が行なわれているはず。全国の教会でも核兵器の禁止を謳うメッセージが発せられていることでしょう。ローマ教皇フランシスコⅠ世は抑止力も含めた核兵器の製造と利用を悪であると発言して世界の核戦略の問題を断罪しました。

 しかし今朝の礼拝ではそのような大きな枠で論じられる事柄には敢えて言及を控えます。と申しますのも、そのようなメッセージはもうどこかで耳にされているはずだからです。むしろ今朝は、聖書が語る事柄に、より耳を澄ませた上で事柄を見つめたく存じます。今朝のメッセージの核となりますのは、「はっきり言っておく。わたしはいのちのパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。しかし、これは、天から降ってきたパンであり、これを食べる者は死なない。わたしは、天から降ってきた生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を活かすためのパンである」との箇所です。神の恵みが「食」という、特にその時代の名もない人々には実に切実なかたちをとって描かれます。その恵みとはイエス・キリスト御自身です。『ヨハネによる福音書』では旧約聖書のメッセージの限界も指摘されます。ですから『出エジプト記』でエジプト脱出の旅の途中、飢え乾いたイスラエルの民に神が食べもの、すなわちマンナを幾度与えてもその心から不信の念をぬぐい去ることは出来なかったという意味でも「死んでしまった」と語ります。つまり終末の時にいたるまでには言うに及ばず、キリストがこのように語る今も眠ったままだというのです。「わたしは、天から降ってきた生きたパンである」との言葉を、わたしたちはどのように受け入れればよいというのでしょうか。

 平和のメッセージを聴くときに忘れられてしまうのは「その後の時代」を生きた人々の歩みです。当事者として言葉を発することほど辛いことはありません。助けようにも助けらなかった家族の姿が瞼にこびりついて離れないという話もあり、また人間扱いすらされなかった孤児の身の置き場はどこにあったのか定かではありません。治療のための診断をとの希望をもちながらも病院を訪ねれば、被爆調査は受けても治療につながる診察は全く行われません。あの日を境に突然孤児となったこどもは敗戦直後は親族をたらい回しにされる。貧困の中で家の土間にすら入れてもらえなかったこどもたちは数知れません。一瞬で親を亡くしたこどもたちは、アンダーグラウンドの世界に生きるのを余儀なくされる場合もあったと申します。就学機会を失い文字の読めないこどもたちもいました。靴磨きはましな方でスリや窃盗の見張りも当たり前な、過酷な生存状況がありました。そして最後には氏素性定かならずという理由で野良犬のように死んでいきました。しかし、今朝の聖書の箇所で描かれる、キリストを誤解し続けるユダヤの民とは違った意味で、こどもたちは神の国の訪れの時、目覚めの時を待ちながら今も眠っているのではないでしょうか。過剰な緊縮と節約の果てに迎えた敗戦。芋の蔓を煮て食べるしかないという話もあります。それも何もないよりはまだましだったと申します。敗戦にいたる日本を支配した「出し惜しみ」の発想。こどもはその犠牲でありました。

そのようなこどもたちにも「いのちのパン」としてのイエス・キリストは、やなせたかしさんが描いた、今のこどもたちの大好きなヒーローのように自らをお献げになったのではないでしょうか。そこでは今では考えられないような日常があったのは確かですがしかし現在とは時の流れが切断されているわけではありません。その只中でイエス・キリストの招きに応じたのが、その時代にこどもたちを無視できなかった多くのキリスト者でした。アウシュヴィッツ収容所で殺害されたコルベ神父の薫陶を受け、長崎で被爆しながら救援活動に尽力したゼノ修道士。「蟻の街のマリア」北原玲子(さとこ)さんのお名前を憶えている方もおられるのではないでしょうか。ゼノ修道士は放射性障害を免れずにはおれない当事者でもありましたし、北原玲子さんも結核で29歳の生涯を全うしています。このような方々が入れ代わり立ち代わり現れてくるのです。土山牧羔先生もそのつながりの中にあったように思います。あたかも『使徒言行録』の使徒たちのように現れる人々は、こどもたちを飢えと渇きの中で委縮させまいとの覚悟がありました。こどもたちが世の光となるために。広島や長崎、沖縄の地上戦や全国に及んだ空襲の記録の陰にいたこどもの歩みを、神は多くの器となる人を立てて癒してきたように思います。立てられた者は有名無名を問わず聖書に堅く立ち、困難な道を開拓しました。聖書に聴く態度。「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」。凡庸ながらも聖書に根ざした「いのちのパン」の歩みに己の姿を重ねましょう。