2019年2月24日日曜日

2019年2月24日(日) 説教

「だれにも話してはいけない」
ルカによる福音書5章12~16節
稲山聖修牧師

「イエスがある町におられたとき、そこに、全身重い皮膚病にかかった人がいた。この人はイエスを見てひれ伏し、『主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります』と願った」と今朝の箇所にはある。最も初期に成立した『マルコによる福音書』では「さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、『御心ならば、わたしを清くすることがおできになります』と言った」とある。さらに「イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった」と続く。実は『マルコによる福音書』の方が、今朝の箇所に較べておよそ15年ほど早く成立しているとされるのにも拘わらず、実に細かな描写となっている。果たして今朝の箇所と較べて、一体どの箇所が変更されたり、省かれたりしているのだろうか。新共同訳聖書ではマルコの「ひざまずく」と言う箇所が今朝の箇所では「ひれ伏す」、またマルコの「重い皮膚病が去り、清くなった」とあるところが、単に「重い皮膚病は去った」という言葉に留まっている。『ルカによる福音書』の場合は、律法に照らして清くなることよりも、実際に病気が去ることの方に重点が置かれている。もちろん、イエスがその人に手を差し伸べてその人に触れたことには変りはない。かつては「らい病」とさえ訳されていた、誡めでは触れることすら赦されない人々の苦しみをともにしたという物語の要は決して揺らがない。さて『マルコによる福音書』では、病が癒された後、「イエスはすぐにその人は立ち去らせようとし、厳しく注意して、言われた。『だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、言って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい』」とある。問題はその後だ。「しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいないところにおられた」と続く。対照的に今朝の箇所では、癒された病人が言い広めたかどうかについては記されてはいないのだ。

『マルコによる福音書』は、人の子イエス・キリストの苦難の焦点が絞り込まれる。その意味では十字架での苦しみと復活に徹底的に軸が置かれる。一方で『ルカによる福音書』の場合は『マルコによる福音書』を踏まえながら、ローマの人々も含めた聴き手にとって、癒された人の挙動にも関心が注がれる。ローマ帝国の強大な支配体制の下では、いたるところに監視社会の目が網のように張りめぐらされていた。典型的な例としては徴税人がいた。徴税人は納税者のプライバシーを全て掌握し、それをローマ帝国の官吏に報告する役目も担った。その最中、皮膚病を癒された患者が「言い広める」ということになったら果たしてどうなるか。癒された人には悪気はない。けれども人の子イエスとの関わりは却って当事者の身の危険に繋がりかねず、キリストとの関わりをあえて表向きは伏さねばならないという事情があるならば、物語の展開はどう変わるというのだろう。
イエス・キリストは隣人を愛する場合には、決して自己保身に一切関心を寄せない。けれどもこの病を癒された人の安全を守るためであるならば、その身を挺されることに躊躇はなかったとも読み解くことができる。
それでは、なぜ「イエスのうわさはますます広まった」とあるのだろうか。それは、たとえ言葉として言い広めなかったとしても、病をともに担い、恐れることのなかったイエス・キリストとの出会いを喜ぶそのありかたが、同じ病の中で苦しみ、自分の可能性をマイナスに決めつける他はなかった人々に、全く別の可能性を開いたからではないだろうか。全身全霊をもって表わされる喜びは、言葉での表現を遙かに超えている。仮に皮膚病を患う人が言葉を話せなかったとしても、あるいは異邦の民の言葉しか話せなかったとしても、その喜びは同じ苦しみに喘ぐ人々の希望となり、新しいつながりをもたらしたことだろう。噂話のつながりや監視社会のつながりとは全く異なる地平がそこに開く。今や「誰にも話してはいけない」というイエス・キリストの言葉が、希望に満ちた新しいライフステージにいたる道となる。弱き者とともに立つ全能の神のライフステージがそこにある。語ること、聞くこと、沈黙すること。自分の経験ばかりから導き出すのではなくて、聖書の言葉から、その時を見極めたい。その取り組みが、教会をいっそう開かれた「公同の交わり」を育む場所にしていくに違いない。

2019年2月17日日曜日

2019年2月17日(日) 早春特別伝道礼拝

「弱い時にこそ、強い 〜ともに生きるということ〜」
コリントの信徒への手紙Ⅱ.12章9〜10節 
谷 香澄 牧師(能登川教会 主任担任教師)

 皆さんには“自分は、こういうところが凄い”と人に誇れることはありますか?あれやこれやと自慢したくなることがあるかも知れません。では、「私は自分の弱さを誇ります」という人はいるでしょうか?弱さなんて誇りにならない。むしろ、人に知られたらバカにされるかも知れないと思う弱さは、隠しておきたいものかもしれません。ところが、この手紙を書いたパウロは、「大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」と言っています。
 ユダヤ人は神の掟である律法を守って生きています。この律法を人々に教える人を律法学者と言って、とても尊敬されていました。パウロはかつて律法学者のトップ・エリートでした。でも、パウロはそんなことを誇らない。別の手紙の中で、そんなものはゴミのようなものだとさえ言っているのです。
 ところでパウロは自分の体に「一つのとげ」を持っていました。パウロのとげは、たぶん何かの持病だったと想像されます。パウロは、この病気に相当苦しめられたようです。病の回復を「三度主に願った」と言っています。「三度」というのは繰り返しという意味もあります。三度だけではなく、熱心に何度も祈ったことでしょう。ですが、神は彼に“よろしい。あなたの病気を癒してあげよう”とは言ってくださらなかったのです。
 しかし、パウロは “こんなに祈っているのに聞いてくれないなんて、もう神なんか、信じない”とは思わなかったのです。彼は神が治してくださらないということは、この病気によって神が私に伝えたい何か意味があるのだ、と考えました。それで、神にどうぞその意味を教えてくださいと、更に祈り続けたと思います。すると、不思議な答えが神から返って来たのです。病気が治ったら恵みは十分、ということではない。病気を抱えたままで、今のままで、私の恵みは十分だ。そして、神の力、その恵みは、人の弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ、と。
 パウロが「弱さを誇る」と言っているのは、その当時、強い者は善なる者、価値ある者であり、弱い者は悪い者、価値なき者という社会的なレッテルが背景にあると思われます。パウロはこのような文化的な背景にあって、自分の「弱さを誇る」と繰り返しているのです。つまり、自分に与えられたその「とげ」こそが、実はパウロを神の恵みへと導くものである。その自分の弱さの中にこそ、実はキリストの力が宿り、キリストの恵みが豊かに働いてくださる。だから、弱い時こそ、自分は強いのだ、というのです。
 「とげ」は、大なり小なり誰にでもあるものだと思います。私自身にもあります。しかし、学校で過ごすうちに私が弱点だと思っていたものが人の心を開く力になり、少しでも生徒が聖書の物語や言葉に興味を持ってくれるようになった。弱さを認められるようになるまでは、自分の弱さがそのように用いられるとは思ってもみなかったのですが、神が私の弱さを御言葉を取り次ぐツールとして力強く生かして下さっているのだなと実感します。
 そのように思えるようになったのも、実は生徒たちとの関わりはもちろんのこと、もう一つの大切な出会いによるものでした。私が牧師として勤めている能登川教会は、近くにある止揚学園という知能に重い障害を持った人がいる施設の仲間と職員が98%を占める教会です。止揚学園の仲間たちは本当に他の仲間がお腹が痛くなれば、心配するあまり自分のお腹まで痛くなる。1人が笑顔になると、まるでそれが伝染したかのようにみんな笑顔になる。といった他者に対して深い思いやりと共感できる心を持っている、優しく、強い人たちです。
 現代の競争社会の価値観で言うと、止揚学園の仲間たちは弱者と呼ばれる立場の人たちです。難しいことや長い会話はできません。しかし、その本当に短い一言の中にいつも真実があり、ハッとさせられ、謙虚な気持ちにさせられるのです。そうして仲間たちと過ごすうちに、本当の「強さ」とは何か。目に見える「強さ」にばかりこだわるあまり、私たちは大切なものを忘れてしまっているのではないかと思うようになっていきました。そして、彼ら彼女たちの、その弱さの中に神様の働きが確かにあるのだ。仲間たちの弱さを通して神様は様々なことを私を含め、色んな人に語りかけてくださっているのだと気付かされていったのです。
 弱さを克服する第一歩は、人間的に考えても確かに弱さを弱さとして認めることにあります。そして、パウロも肉体のとげを持ち、一人の弱い人間としての苦しみを体験したことによって、人は神に頼って生きる存在であることを知り、また同時に他者の苦しみを自分の苦しみとすることが出来る。この「神様の前の謙虚さ」と「隣人に対する共感」を持つことが出来たのではないでしょうか。そして、ただ強いだけでない、ただ弱いだけでない、弱さにおいてこそ強い,この新しい別の,いわば第三の生き方を身をもって示したのが主イエスご自身でした。イエスは無力な幼子の形をとって飼い葉桶に生まれ,十字架において死なれました。自ら弱い者となり、そのようにして私たちの弱さを受け入れてくださったのです。
 私たちの欠けや弱さが神の愛という宝を美しく見せる土の器となる。神がそのようにして私たちを用いて下さるということに励まされ、日々、イエスの姿に倣って隣人と共に生きる者でありますようにと願います。



2019年2月10日日曜日

2019年2月10日(日) 説教「何が最も大事なのか」 稲山聖修牧師

2019年 2月10日
「何が最も大事なのか」
ルカによる福音書6章6節~11節
稲山聖修牧師

本日の箇所では律法学者やファリサイ派とイエス・キリストとの間に繰り広げられる応酬が記される。その軸をなすのは安息日のありかただ。ユダヤ教に属する人々にとって安息日とはモーセの十戒に記された、人々の暮しの中心であり、決して疎かにはできない。「安息日を守ってこれを聖別せよ。あなたの神、主が命じられたとおりに。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日でもあるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、牛、ろばなどすべての家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。そうすれば、あなたの男女の奴隷もあなたと同じように休むことができる。あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起さねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである」。『申命記』5章12〜15節の一文だ。『申命記』はモーセが次の世代に申し送るという意味づけで記されている書物。この安息日をめぐる条項を注意深く読むと、ある箇所が際立っていることに気づかされる。「そうすれば、あなたの男女の奴隷もあなたと同じように休むことができる」というところ。文末が「ねばならない」ではなく「できる」とある。男女の奴隷がイスラエルの民であるかどうかは限らず、さまざまな職種もある。しかしいずれにせよ、立場や地位、あるいは人としては扱われるのが稀な立場にいた奴隷であったとしても、日常の働きの中で消耗して、終には過労死までにいたるのではなく「休むことができる」とあるのだ。安息日の誡めは、主なる神への礼拝が、すべての人々やいのちに平安を約束するとの宣言でもあった。礼拝の責任は、他者への平安の保障でもあった。もともと安息日とは、神への感謝に伴う心からの平安とよろこびの日であった。



けれども、キリストに挑みかかる律法学者やファリサイ派の人々は、この「できる」ということを見落としている。会堂にいたところの、手を動かせない人への癒しを陥れの口実としてあげつらう。律法学者は安息日が身体に痛みや破れ、また生きづらさを抱え続けている人々にとっては癒しの日でもあるということに実に無頓着だ。この無頓着さの源は何か。思うにキリストの論争相手には、律法が神の祝福の言葉としてではなく、他人に自分のありかたが正しいと認めさせるための、承認欲求を満たす手段以上のものではなかったことを示しているのではないだろうか。ファリサイ派や律法学者は律法の遵守に関しては確かに一所懸命だった。けれどもその一所懸命は、人を活かす神の祝福の言葉としての方向では理解されなかった。
単に一生懸命であることと誠実であることとは似て非なるものだ。誠実さとは誰かとの関わりを示しており、ことわたしたちにとっては神との関わりに根ざしている。したがってそこには神による抑制と冷静さが常に伴うものだ。しかし、空回りする一所懸命さは、自分はおろか他人でさえも深く傷つけるという取り返しのつかない事態を招く。「あなたがたに尋ねたい。安息日に律法で許されているのは、善を行なうことか、悪を行なうことか。命を救うことか、滅ぼすことか」。


わたしたちの交わりにとって大切なのは、礼拝が「手の萎えた人」とともに立つイエス・キリストを中心にしたものであるかどうかによって、立ちもし倒れもすることだ。厳粛であれ賑やかであれ、礼拝がいのちを活かす場ともなっているかどうか、よろこびのわざとなっているかどうかが肝心だ。家族のありかたや、人のありかたが多様化した時代、厳格さや厳粛さを堅く守り、若いころ薫陶を受けた倣いに基づく礼拝だけが全てではない。スイスの教会でさえ礼拝出席者の少なさと壮麗な教会の維持費のバランスをとるために、教区持ち回りで礼拝を行なっている。多くの名著を世に送り出した由緒あるキリスト教の出版社も倒産する。その一方で、アブラハムの神に立つ民として見た場合、イスラームの人々は一日5回の祈りを欠かさない。
わたしたちはどこにいてもイエス・キリストに根を降ろしている。これを確かめるわざこそ教会にはもっとも大事である。変わらない聖書の言葉、またその言葉を証しするわざによって、礼拝出席が講義への出席であるかのような誤解から解放される。「あなたがたに尋ねたい」と主イエスは今なおわたしたちに問いかけている。

2019年2月3日日曜日

2019年2月3日(日) 説教「新しいぶどう酒、熟したぶどう酒」 稲山聖修牧師

2019年 2月3日
「新しいぶどう酒、熟したぶどう酒」
聖書:ルカによる福音書5章33〜39節
説教:稲山聖修牧師

シンガーソングライターの中島みゆきの『時代』が、もはや懐メロになってしまうほど、時の流れや人の思いの変化は早い。その意味で主イエスが葡萄の木やオリーブの木を教会の交わりに重ねたり、本日の箇所のようにぶどう酒とその容れ物である革袋の譬えは巧みだ。農場にある葡萄の木やオリーブの木は接木によって本数を増やしていく。新しい接木が用いられ、地に深く降ろされたオリーブや葡萄の根も、結びつけられた地上の枝も、お互いがお互いを活かすという間柄となる。「だれも、新しい服から布切れを破り取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい服も破れるし、新しい服から取った継ぎ切れも古いものには合わないだろう」。最近では値打ちあるジーンズは、新しいものよりも古着のほうだという。「新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。『古いものの方がよい』と言うのである」。この譬えでは、新しさと古さとは対照的な関係にありながら、優劣の問題はテーマにはされていない。むしろ古いぶどう酒、つまり熟成された、ビンテージワインだけがもつ香りと味わいを、人の子イエス・キリスト自らが堪能されたかのような表現すら見受けられる。「古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない」。

ただし新しいぶどう酒の新鮮さを凌ぐ、熟成されたぶどう酒に誰もがなれるわけではない。多くのぶどう酒は、熟成の過程がうまく行かず「酸いぶどう酒」、つまりワインビネガーになってしまう。発酵が経験則のみに頼り、科学的には解明されなかった時代にはなおさらだ。新しい布地と古い布地、新しいぶどう酒と熟成したぶどう酒は各々尊い価値があるというのに、無分別につぎはぎしたり、混ぜ合わせたりすることで、それぞれの良さを失ってしまうところか、そのものとしては誰にも喜ばれない品物になってしまう。ある者は教会の伝統にこだわる、ある者は無分別に他教会の倣いを引き合いに出す、業績の欲しい研究者は最新の教会のモードはこうだからと、カタログを引き合いに出すように雑誌に文書を掲載する。試みとしては確かに大切なわざであっても、責任が伴わなければ、布地は汚れ役に徹してでも人をきれいにする台ふきにすらならず、料理に使えば喜ばれるビネガーにすらならない、どれもこれも廃棄処分にされるほかに道がないという残念な結果となる。果たして人間は、この顛末の責任をすべて担えるというのだろうか。

福音書ではイエス・キリストが受難の十字架において、酸いぶどう酒を突きつけられていた。『マルコによる福音書』では葦の棒につけた海綿に浸された酸いぶどう酒を飲まされようとする。その酸いぶどう酒は腐ったぶどう酒、要するに雑味ばかりの酢でしかない。十字架刑に処せられた者の苦しみをただただ長引かせるための工夫である。さらに『ルカによる福音書』では侮辱の意味も重ねられ、キリストは酢を飲まされようとするのだ。ついに『ヨハネによる福音書』では、この腐敗した酢を受けたとさえ記される。イエス・キリストの受難は、祈りのうちに行なわれた断食に伴う聖なる苦しみではない。救い主は侮辱を受けながら死にいたる。しかし同時にわたしたちは、イエス・キリストの葬りの後に起きる出来事もまた知っている。イエス・キリストは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」との叫びの中で、神に見捨てられたというわたしたちの絶望をさえ、分かち合ってくださった。だから、「神は死んだ」との言葉を、わたしたちは恐れることはない。その通り、イエス・キリストは十字架で死に給うたのだ。古い革袋が破れ、新しいぶどう酒があふれ出たとしても、そのぶどう酒は新しい流れとなって、神の支配の芳しい香りを運ぶ。不正な権力が栄えては滅び、常識すら流転するこの世にあって、イエス・キリストに示されたいのちのよろこびは、あまねく世に響く。世代を超え、世代をつなぐ自由でフレッシュなありかた。イエス・キリストに根を降ろした交わりが、変わらない居場所として、すべての世代に拓かれている。その居場所を、わたしたちはあなたとともにしたいのです。