―聖霊降臨節第9主日礼拝―
時間:10時30分~可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。
本日は日本基督教団の教会暦に定められている平和聖日です。とりわけ満洲事変から数えますと15年間続いたアジア・太平洋戦争が事実上の日本の敗北で終り80年を数えます。幼い日に戦火の中を逃げまどった「戦争体験者」は今なおお健やかであったとしても、実際に従軍経験のある方々はまことに少なくなった時代となりました。実体験ぬきで戦争を語りますと安売りロマン主義の虜となり、やれ英霊だのやれ雄壮だのという話となります。しかしながら歴史上の記録だけはごまかせません。先の一五年戦争で「戦死」扱いされた兵士では餓死者・戦病死者が7割にも昇ります。前線の将校や看護兵の手に負えぬとして自決した兵士もきっといたでしょう。
平和聖日で取りあげる聖書箇所はあくまで日本基督教団の教会暦に則しておりますので牧師が恣意的に選んだ箇所ではありません。けれども百人隊長という、いざとなれば最前線に立つ下級将校の立場にあって、支配地の紛争が絶えないこの時代に自らの部下を思いやるとの働きはなかなかできません。言ってみればローマの軍隊にあってカファルナウム含めてパレスチナはローマと地続きとは言え乾燥した外地にあたります。その時代には百人隊長のほうが人の子イエスよりも立場が上なのが当然です。けれども百人隊長は語るのです。「主よ、わたしの僕(しもべ)が中風で寝込んで、ひどく苦しんでいます」。一般に中風とは脳梗塞や脳溢血を含めた疾患を指しますが、この僕の病の原因は何だったのでしょうか。水分や栄養を十分に摂取できず、南方の密林の風土病であるマラリアのような病が原因だったのかも知れません。百人隊長は派遣先の地元民の一人に過ぎない人の子イエスに「主よ」と呼びかけ、助けを乞います。戦争末期の日本軍の将校にこのようなわざができたでしょうか。
人の子イエスはそのような乞い願いを決して無碍に扱いません。「わたしが行って癒してあげよう」と語りかけます。しかし百人隊長は「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません」。百人隊長は知っています。絶えざる戦時下とは言え、どれほどの外地の人々を手にかけてきたことか。個人としての葛藤はともかく、多くの人を手にかけ、ローマ帝国の旗の下で田畑に塩をすき込み、女性やこどもたちを飢えさせてきたかを。そして少なからず部下を戦死させてこその今の地位があることを。そのような深い葛藤がイエス・キリストを前に一気にほとばしり出てまいります。「ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます」。この「ひと言」への絶大なる信頼が人の子イエスの胸に響くのです。その信頼は一度命令が下れば譬え死地であっても赴く覚悟とその覚悟をともにする兵士の挙動に示されています。
人の子イエスはこれを聞き深く感じ入ったと申します。この場面での人の子イエスのローマ軍の下級将校への向き合い方は、言うまでもなく敵味方の垣根を越えています。そして本来は占領軍にあたり、ユダヤの民に較べれば世にある立場も上であったろうこの将校の振舞いを示し「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰をみたことがない」。思えば『旧約聖書』の預言者の物語に描かれたのは神に選ばれたはずのイスラエルの民による神への冒涜と不信仰の歩みでありました。それでも「死んではいけない」と語る主なる導きは変わらずユダヤの民に注がれていたはずです。「わたしはこれほどの信仰を見たことがない」。言い換えれば「これほどの世に遣わされたメシアへの信頼をユダヤの民には見なかった」との言葉です。神の愛とイエス・キリストの恵みは名も知らない百人隊長の僕、軍人ではなく軍属であったかも知れないその人に臨んでまいります。「東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブとともに宴会の席に着く。だが御国の子らは、外の暗闇に追い出される。そこで泣きわめいて歯ぎしりすることだろう」。未だに神への承認欲求に凝り固まり、砕かれ新たにされる出来事を恐れる者は、たとえ「御国の子ら」と呼ばれようとも宴席から退けられるとの言葉。わたしたちには、そしてパレスチナで民間人を銃撃する人々には、そして根拠なく教会に連なる者を「左翼」呼ばわりする人々にはどのように響くことでしょうか。神の愛への信頼に基づく平和とは、決して世にある境界線を問わないのです。
思えば『マルコによる福音書』で十字架での人の子イエスの最期を見届けた、本日の人物とは異なるところの百人隊長は、その場で「本当に、この人は神の子だった」と呟きます。イエス・キリストの愛とは、分け隔てなく人々の痛みや苦しみを分かちあい癒してまいります。その慈しみといのちへの愛に満ちた平和にわたしたちは今一度目覚め、80年目の八月を迎えたいと強く願います。