2020年8月8日土曜日

2020年8月9日(日) 礼拝メッセージ(自宅・在宅礼拝用です。当日礼拝堂での礼拝も行われます。)

 「いのちと平和のパン」

『ヨハネによる福音書』6章41~51節

説教:稲山聖修牧師

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本日8月9日は、長崎で原爆忌として覚えられる日曜日です。恐らく爆心地近くにあるカトリック浦上教会では実戦使用最後の核爆弾であれかしとの祈りを込めて、齢を重ねた被爆者を中心をした記念式典が行なわれているはず。全国の教会でも核兵器の禁止を謳うメッセージが発せられていることでしょう。ローマ教皇フランシスコⅠ世は抑止力も含めた核兵器の製造と利用を悪であると発言して世界の核戦略の問題を断罪しました。

 しかし今朝の礼拝ではそのような大きな枠で論じられる事柄には敢えて言及を控えます。と申しますのも、そのようなメッセージはもうどこかで耳にされているはずだからです。むしろ今朝は、聖書が語る事柄に、より耳を澄ませた上で事柄を見つめたく存じます。今朝のメッセージの核となりますのは、「はっきり言っておく。わたしはいのちのパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。しかし、これは、天から降ってきたパンであり、これを食べる者は死なない。わたしは、天から降ってきた生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を活かすためのパンである」との箇所です。神の恵みが「食」という、特にその時代の名もない人々には実に切実なかたちをとって描かれます。その恵みとはイエス・キリスト御自身です。『ヨハネによる福音書』では旧約聖書のメッセージの限界も指摘されます。ですから『出エジプト記』でエジプト脱出の旅の途中、飢え乾いたイスラエルの民に神が食べもの、すなわちマンナを幾度与えてもその心から不信の念をぬぐい去ることは出来なかったという意味でも「死んでしまった」と語ります。つまり終末の時にいたるまでには言うに及ばず、キリストがこのように語る今も眠ったままだというのです。「わたしは、天から降ってきた生きたパンである」との言葉を、わたしたちはどのように受け入れればよいというのでしょうか。

 平和のメッセージを聴くときに忘れられてしまうのは「その後の時代」を生きた人々の歩みです。当事者として言葉を発することほど辛いことはありません。助けようにも助けらなかった家族の姿が瞼にこびりついて離れないという話もあり、また人間扱いすらされなかった孤児の身の置き場はどこにあったのか定かではありません。治療のための診断をとの希望をもちながらも病院を訪ねれば、被爆調査は受けても治療につながる診察は全く行われません。あの日を境に突然孤児となったこどもは敗戦直後は親族をたらい回しにされる。貧困の中で家の土間にすら入れてもらえなかったこどもたちは数知れません。一瞬で親を亡くしたこどもたちは、アンダーグラウンドの世界に生きるのを余儀なくされる場合もあったと申します。就学機会を失い文字の読めないこどもたちもいました。靴磨きはましな方でスリや窃盗の見張りも当たり前な、過酷な生存状況がありました。そして最後には氏素性定かならずという理由で野良犬のように死んでいきました。しかし、今朝の聖書の箇所で描かれる、キリストを誤解し続けるユダヤの民とは違った意味で、こどもたちは神の国の訪れの時、目覚めの時を待ちながら今も眠っているのではないでしょうか。過剰な緊縮と節約の果てに迎えた敗戦。芋の蔓を煮て食べるしかないという話もあります。それも何もないよりはまだましだったと申します。敗戦にいたる日本を支配した「出し惜しみ」の発想。こどもはその犠牲でありました。

そのようなこどもたちにも「いのちのパン」としてのイエス・キリストは、やなせたかしさんが描いた、今のこどもたちの大好きなヒーローのように自らをお献げになったのではないでしょうか。そこでは今では考えられないような日常があったのは確かですがしかし現在とは時の流れが切断されているわけではありません。その只中でイエス・キリストの招きに応じたのが、その時代にこどもたちを無視できなかった多くのキリスト者でした。アウシュヴィッツ収容所で殺害されたコルベ神父の薫陶を受け、長崎で被爆しながら救援活動に尽力したゼノ修道士。「蟻の街のマリア」北原玲子(さとこ)さんのお名前を憶えている方もおられるのではないでしょうか。ゼノ修道士は放射性障害を免れずにはおれない当事者でもありましたし、北原玲子さんも結核で29歳の生涯を全うしています。このような方々が入れ代わり立ち代わり現れてくるのです。土山牧羔先生もそのつながりの中にあったように思います。あたかも『使徒言行録』の使徒たちのように現れる人々は、こどもたちを飢えと渇きの中で委縮させまいとの覚悟がありました。こどもたちが世の光となるために。広島や長崎、沖縄の地上戦や全国に及んだ空襲の記録の陰にいたこどもの歩みを、神は多くの器となる人を立てて癒してきたように思います。立てられた者は有名無名を問わず聖書に堅く立ち、困難な道を開拓しました。聖書に聴く態度。「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」。凡庸ながらも聖書に根ざした「いのちのパン」の歩みに己の姿を重ねましょう。