2016年2月28日日曜日

2016年2月28日「あなたの苦しみを一身に担うキリスト」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録15章1~5節
  
パウロとバルナバの働きに、ユダヤ教の意識強い群れから「待った」がかかる。「ある人々がユダヤから下ってきて、『モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない』と兄弟たちに教えていた。それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた」。救いの理解について袂を分かとうとする人々がエルサレムに集まった。「ファリサイ派から信者になった人が数名立って、『異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ』と言った」との記事から、パウロとバルナバと批判した人々が、ファリサイ派との関わりを暗示する。しかしパウロも「ファリサイ派から信者になった人々」の一人であった。
事態の深刻さは、ガラテヤの信徒への手紙1章8節から9節の記事からも推し量れる。「たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい。わたしたちが前にも言っておいたように、今また、わたしは繰り返して言います。あなたがたが受けたものに反する福音を告げ知らせる者がいれば、呪われるがよい」。ギリシア語で呪いを示す「アナテマ」の意味は「滅ぼす」、後の教会では破門をも意味する。
昨年来、泉北ニュータウン教会の主任担任教師として赴任して一年が経とうとしている。先代が退任された理由には、教会の刷新というまことに重大なテーマが含まれていた。託された役目に関して申しあげれば、今は見極めの時と備えの時。私たちは困難な時代に敢えてその変貌のわざにじっくりと取り組む。性急な変革には常に排除が伴うからだ。アナテマと言い得たのは危機的状況下に真理問題が脅かされた初代教会だったからこそ。真理問題について原理的には分っていても、私たちにはその場の雰囲気に巻き込まれ、本来言わなければならない事柄に沈黙する弱さがある。真理問題を曖昧にしないために、かつて教えられたことをより発展させていくために、今は奉仕のわざとともに学びを深めなければならない。それは、イエス・キリストの歩みを問い尋ねることに他ならない。主イエスが「わたし」だけでなく「あなた」の苦しみを一身に担われた出来事への確信なしには教会は成り立たないのである。