2015年11月8日日曜日

2015年11月08日「教会の礎、信仰の根」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録9章26節~31節

律法学者サウロのキリスト教への転向は、初代教会を迫害する側にも迫害された人々にも青天の霹靂。この事件が劇的に描かれるほど、初代教会の大きな疑いと戸惑いが表明される。「サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だと信じないで恐れた」。サウロの登場によって教会に一大変革がもたらされる。サウロは処刑以前のイエスと直接には関らずに、なおも力強く福音を証しする次世代先取り型とも呼ぶべきキリストとの出会いを経験しているからだ。サウロには「慰めの子」バルナバがエルサレムの使徒への仲介者として関わり、あたかもサウロがエルサレムにおける使徒たちから認められたかのような記述が続く。
 但しそう簡単には話は進まない。例えば「ギリシア語を話すユダヤ人」は虎視眈々とサウロの命を狙う。いずれにせよキリストの招きはサウロに大きな危機をもたらしたのは確かだが、同時にサウロは初代教会の「兄弟たち」から逃れの道を備えられ、故郷タルソスで雌伏の時を過ごすこととなった。続く「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった」と記す箇所は使徒言行録の大きな節目。この箇所で初めて「教会」則ち「エクレシア」が主語をなすからである。
 「エクレシア」には神の真理に関わる事柄が真理問題として多数決原理を超えて問われる。同時に歴史としてのヘブライ的な考え方も反映される。サウロは旧約聖書を戒律主義的に解釈する道を批判したのであり、旧約聖書そのものを決して否定しなかった。そして論争相手となったエルサレムの教会を財政的に支援する旅の途上で落命することとなる。サウロの考えとしては、異邦人の教会とエルサレムの教会はイエス・キリストを頭とする共同体として一つであり、具体的には豊かな多様性が教会の不可欠な特質となる。
イエス・キリストの啓示に示された神の愛を、サウロは使徒として主張して譲らなかった。この恩寵に私たちの信仰も根を深く下ろす。この根があるからこそ世の風雪や嵐に耐えつつ信仰は花を咲かせる。本日の礼拝では幼児祝福式が行われるが、こどもたちの将来もまた神さまの愛に深く根を下ろしイエスさまに導かれる、主のみ旨に適ったものであるよう切に祈る。