2025年9月11日木曜日

2025年 9月14日(日) 礼拝 説教

        ―聖霊降臨節第15主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  


説教=「神の輝く真珠を身につけて」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』13 章44~50節
(新約26頁)

讃美=
517,520,Ⅱ 192(1 節のみ),21-26
可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。

動画は2種類
(動画事前録画版、ライブ中継動画版)
ございます。

説教動画は「こちら」←をクリック、
又はタップしてください。

礼拝当日、10時30分より
礼拝のライブ配信
を致します。

ライブ中継のリンクは、
「こちら」←をクリック、
又はタップしてください。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、お願い致します。

「制限付きモードが有効になっているため再生できません」という旨の表示が出た場合は、YouTubeの制限付きモードを解除してください。
方法は、こちらのページをご覧ください。

【説教要旨】
 大和川から南をおもな範囲とする日本キリスト教団南海地区。個性的な教会が軒を連ねます。そのなかでもわたくしどもの教会と交流が活発なのは日本キリスト教団いずみ教会。いずみ教会の創立に関わる物語としてはその設立に携わった人々が被差別部落とその関係者による奉仕が知られています。2025年度からは吉澤和海牧師が主任として招聘され地域伝道に励まれております。その就任式に際して贈られたのは真珠がついたしおりでした。牧師の就任式に随分と高級なものをと驚いたのですが、実はそれは地域で生まれた「人工真珠」というものでした。

 和泉市の特産品となった人工真珠は、当初は小さなガラス玉に太刀魚の皮を貼り付けて製造した、本物の真珠に庶民の手が届かなかった時代に製造された真珠をいいます。この仕事は手作業で行われるのが殆どでしたが、風雨に負けず仕事を続けられる特徴から皮革業や屋外の作業が中心だった被差別部落の人びとが、天候に左右されない稀な職種でもありました。化学塗料や溶剤の臭いこそあれ、身体にかかる負担は大幅に軽減され、文化活動や社会活動に献げる時間、もっといえば礼拝に献げる時間を勝ち取っていったと申します。

 本日の『マタイによる福音書』には次のように記されます。「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。また天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う」。畑に隠されている宝、一粒の高価な真珠。このようなものは探そうとしても見つけられるものではなく、たまたまそこにあったものを見つけられるか、絶えず注意を払っているのか、いずれにしても世にいうリサーチの結果見つけられるというものではなく、二度と繰り返すことのできない出会いの機会、チャンスをものにできるかどうかという一点に懸かっています。その意味では文字通り一度きり与えられるものとして始めてその意味をなすものだと言えるでしょう。

 その意味で本日のたとえ話の結びとなる箇所は辛辣です。「網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。世の終わりにもそうなる」。それから先には世の終わりのさまが記されますが、世の終わりの描写の直前にその時代の人々の暮らしが細かく描かれているのが興味深いところです。集められた「いろいろな魚」のうち、人々はその網を岸に上げて良い物と悪い物、則ち食用になるものとそうでないものとを仕分けするというのです。あえて深読みすれば、「魚」とは「イエス・キリスト・神の・息子・救い主」とのギリシア語の頭文字を集めての略語でもありますから、教会に連なる人々がこのように仕分けされると記されるのですが、いったいどこにその基準があるのかは分かりません。そうなのです。この箇所で記される終末のあり方とは「全世界に福音が宣べ伝えられた」その後の出来事であって、わたしたちには知る由もありません。けれども天の国、則ち神の国の先取りとしての地に隠された宝、一粒のよい真珠という小さなかけらを尊ぶ仕方に気づくや否やという問いにつながってくるかと存じます。その道筋とは、祈りを軽んじず、イエス・キリストとの関わりを片時も離さないという点にあります。

 一粒のガラス玉に魚の皮を張り付け、樹脂でコーティングした人工真珠。その真珠が人々の暮らしを支えるだけでなく、事実上はカルシウムの塊である真珠というまことにデリケートかつ富裕層にのみ身につけることを赦されていた宝物がタフな姿で一気に民衆のお洒落になっていくという様子。工業用にも用いることができるという、本来の真珠では不可能な領域をも開拓していく道筋が拓けてまいります。貴重なまことの真珠をお持ちの方はその宝を大切にしてくださればと願います。そして手作業によって暮らしを成立たせた、日々差別を被るところの人々がもたらした人工真珠もまた、貧困層に属する人々の暮らしを底あげしました。その意味では富の分かちあいを通して神の国のモデルとなる交わりをもたらしたと言えるでしょう。神の輝く真珠がそこにあります。

 本日は「長寿感謝祝福式」を行います。様々な時の経過とあゆみの中で、神の国のかけらを見出してこられた兄弟がこの祝福に加えられます。イエス・キリストを通してこの祝福は、わたしたちにも注がれています。齢を重ねるのはまことに尊いわざです。これまででなくこれからもその賜物を用いてくださればと願います。