2024年8月21日水曜日

2024年 8月25日(日) 礼拝 説教

 聖霊降臨節 第15主日礼拝― 

時間:10時30分~

 

説教=「天にいのちの希望を仰ぐ」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』8 章 12~20 節
(新共同訳 新約181頁)

讃美=   21-494(228),Ⅱ 192.Ⅱ.171
可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。

動画は2種類
(動画事前録画版、ライブ中継動画版)
ございます。

説教動画は「こちら」←をクリック、
又はタップしてください。

礼拝当日、10時30分より
礼拝のライブ配信を致します。

ライブ中継のリンクは、
「こちら」←をクリック、
又はタップしてください。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、お願い致します。

「制限付きモードが有効になっているため再生できません」という旨の表示が出た場合は、YouTubeの制限付きモードを解除してください。
方法は、こちらのページをご覧ください。

【説教要旨】
 「いのち尽きる日まで天を仰ぎ 一点の恥じることもなきを 木の葉をふるわす風にも わたしは心を痛めた。星をうたう心で すべての死にゆくものを愛さねば そしてわたしに与えられた道を 歩みゆかなければ。今宵も星が風に身をさらしている」。
 大規模なコロナ禍に節目がつき、キャンパスの芝生に車座となり会話を楽しむ若者たちの傍を過ぎると、そこにはひっそりと詩を刻んだ記念碑があり、今も献げる花が絶えません。『これも讃美歌』として記された川上盾牧師の解説によりますと、作者の尹東柱は、戦前の朝鮮に生まれたキリスト者詩人であり、立教大学と同志社大学に学び、ハングルによる詩の創作を続け、それが「治安維持法違反」として京都府警下鴨警察署により1943年に逮捕・翌年福岡刑務所へ投獄、ポツダム宣言受諾の半年前に27歳で獄死。死因は今なおはっきりしません。その詩作は敗戦直後に発見され、今なお高い評価を受けてわたしたちもその日本語訳を読むことができます。先ほど引用したのは『序詩』であり、1941年11月に創作されています。東京から京都への転校は軍事教練を拒否し配属将校から憎まれての対応だったとも言われています。ただ尹東柱の詩の世界は一般でいう「抵抗の詩人」とは異なるきらめきとも眼差しとも呼べる透明さを感じるように思います。「いのち尽きる日まで天を仰ぎ」これは「死ぬ日まで天を仰ぎ」ともありますが、日本語でいう「死」が中心になっているとは思えません。むしろ「天を仰ぐ」とのその眼差しが、自らの死を予期しながらもその痛みや限界を超えていく橋として、神の眼差しと向き合っているようにも思えます。母語を禁じられる屈辱も、すべての死にゆくものを愛そうとする意志に勝るところはありません。
 本日の『聖書』の箇所では「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」とあります。その意味を理解できない一部のファリサイ派は「そのような自分についての証しは真実ではない」と批判しますが、人の子イエスは「あなたたちは肉によって裁くが、わたしは誰をも裁かない。しかし、もしわたしが裁くとすれば、わたしの裁きは真実である。なぜならわたしはひとりではなく、わたしをお遣わしになった父と共にいるからである。あなたたちの律法には、二人が行う証しは真実であると書いてある。わたしは自分について証しをしており、わたしをお遣わしになった父もわたしについて証しをしてくださる」と、神に自らを委ねきった人の子として、そして神の子キリストとしての言葉を紡いでいきます。身柄を拘束しようとするファリサイ派にはどのように響いたことでしょうか。
 イエスが臆さずこのように語る姿を見て人々は手出しができませんでした。「イエスが神殿の境内で教えておられたとき、宝物殿の近くでこれらのことを話された」とあります。「仮庵の祭」ではこの「宝物殿」の近くで、「光の祭儀」が行われました。この背景を踏まえますと、イエス自らがイスラエルの王であるとの宣言をイエス・キリストは高らかに行ったとの理解へと導かれます。『律法』にある「二人」が行う証しとは、イエス・キリストの行う証しには必ず主なる神がともにいるとの確信が記されています。
 現状では、至極一般的な暮らしを続ける限り、冤罪は別としてわたしたちが身柄を拘束されて獄中に置かれるなどということは現時点では考えられません。しかし種々の告発を受けなくても、身柄の拘束を禁じ得ない場はいたるところにあります。例えば突然の病によって入院を余儀なくされ、治療により心身が健やかになるどころか病状が悪化する場合。コロナ禍では誰が悪いというわけでもないのにご家族との関わりまで遮断され一人治療を受けるなか、別の病、例えば認知症を発症してしまう事例も枚挙に限りがありません。当人にはなぜこのようになったのかという理由すら分かりません。抵抗すれば身体を拘束される場合もありました。神への眼差しを遮ろうとする力は、いつの世にも誘惑として、暴力として、圧力として、そして先ほどの詩人に先立つこと2000年も前に、エルサレムで起きた出来事としてわたしたちの健やかないのちを脅かしてまいります。
 しかし、世の渦巻にあっても、イエス・キリストは「わたしは世の光である」と力強く宣言されました。詩人・尹東柱は、世にある時には自らの詩集の出版を考えませんでした。他方で後の世の人は様々な解釈をして議論もしています。天にあるイエス・キリストとともにいる尹先生の思いもお聴きしたいところです。わたしたちも、救い主をお遣わしになった父なる神に背中を押され支えられています。いのちの主が屋台骨としておられます。