2023年12月21日木曜日

2023年 12月24日(日) クリスマス礼拝 説教

ー待降節第4主日礼拝ー
ークリスマス礼拝ー

時間:10時30分~



説教=「奇跡にまもられた幸いな人々」 
稲山聖修牧師

聖書=『ルカによる福音書』2章 8~21節
(新約聖書  103頁).

讃美=108,114,112,讃美ファイル 3,540.
可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。

動画は2種類
(動画事前録画版、ライブ中継動画版)
ございます。

説教動画は「こちら」←をクリック、
又はタップしてください。

礼拝当日、10時30分より
礼拝のライブ配信を致します。

ライブ中継のリンクは、
「こちら」←をクリック、
又はタップしてください。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、お願い致します。

「制限付きモードが有効になっているため再生できません」という旨の表示が出た場合は、YouTubeの制限付きモードを解除してください。
方法は、こちらのページをご覧ください。
 
【説教要旨】
 ローマ帝国の支配を背景とし、ヘロデ大王を暴君として描く『マタイによる福音書』とは異なり、『ルカによる福音書』のクリスマス物語の場合はその描写の視点をより広くいたします。例えば洗礼者ヨハネの誕生の経緯と父ザカリアの驚きと母エリザベトの喜び、天使ガブリエルによる受胎告知とマリアの讃歌が劇的に描かれ、書き手の視点にはエルサレムのヘロデ大王に代わって、時代区分の象徴として初代皇帝アウグストゥスによる住民登録の様子が描かれます。この住民登録とはその時代の住民税である人頭税、すなわち人格を認められた者であれば納めなくてはならない税金の徴収を効率化するために設けられました。故郷へとごった返す民のただ中にヨセフと身重のマリアは置かれていました。その措置が容赦のないものであるのは、身重のマリアでさえ例外として扱われなかったところにあります。今以上に出生時に母子の健康が損なわれるリスクが高かった時代、長旅を強要されるのはまことに無茶な話でした。この事実を福音書の書き手は手加減せずこの物語を献げる宛先となったローマの官僚テオフィロに突きつけます。この若い夫婦が長旅の果てに母子ともに無事出産を成し遂げただけでも奇跡であると呼ぶべきであるかも知れません。それほどまでに二千年前の乳幼児死亡率は高いものでした。

 そして本日の個所。ある時は強風に吹かれ、またある時は氷点下の気温に襲われながら、夜通し羊の群の番をしていた羊飼いたちが描かれます。この場でイギリスや、スコットランド、オーストラリアにある牧場を重ねるのはいささか無理があるというものです。と申しますのもこの時代の羊は羊毛を刈り取るだけがその目的ではなく、品種としても特化してはおりません。今日のように去勢をした上で衛生管理を徹底させてもいない、いわば今よりも「獣」に近い家畜であったと考えてもよいでしょう。「夜通し羊の群の番をしていた」とありますから焚き火を囲みながらの番であると理解されがちですが、屋外で木っ端を燃やして暖を採れていたかは疑問です。むしろパキスタンやアフガニスタンの羊飼いがそうするように、風呂にも入らず夜半に暖をとるときには眠る羊たちの間に潜り込んでその体温を用いたと考えるのがよさそうです。羊飼いたちは殆ど文字を知りません。わたしたちのように数を数える学びもありません。指を折るほか、または木の枝や石を並べるほかに道は無かったと考えられますが、羊たちに名前をつけ、その排泄物や体臭にまみれることで羊たちの信頼を得て、炎を得るならばその糞を乾燥させた燃料を用いていた可能性も考えられます。この暮らしが『聖書』のいう「よき羊飼い」の姿の一面であり、だからこそ法的に人格を認められた人々からは遠ざけられたのでしょう。「人にして人にあらざる」羊飼いたちがローマ帝国から人間扱いされるはずもありません。まただからこそ税金を納める必要もなかったとも言えます。そのような人々に「いのちそのものに触れる人」として扱い、真っ先に姿を現わし、天使は人の子イエスの誕生を告げ知らせます。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる」。民全体とあるからこそ、真っ先にこの生業に従事する人々に「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」との宣言が高らかに響き、天の大軍の神讃美が続きます。この讃美の調べが響いた後、羊飼いの姿勢は全く異なり、以前よりも増して積極的になります。人としてメッセージを告げ知らされたことへの喜びがあります。それでは幼子イエスとマリア、そしてヨセフは羊飼いを拒んだでしょうか。

 もちろん拒むはずもありません。なぜなら幼子は飼い葉桶に眠り、マリアとヨセフは人の眠る宿屋からも各々の故郷に暮らす人々の家からは遠ざけられた家畜小屋にその身を横たえ、その身体を憩わせていたからです。その場には同じ「いのちのにおい」がします。ローマ帝国の市民が求め、わがものにしようとした安らぎからはもっとも遠いところに臨んだ神の栄光と御心に適う人に備えられた平和。イエス・キリストが示した平和とはこのようなものだったからこそ、「民全体」との天使の声が福音書を経てローマ帝国全体に響き渡ります。

 平和を求めるために絶えず戦争を繰り返し、名もなき人々を圧制のもとにおいたローマの平和。それは絶えざる権力闘争を伴いました。他方で羊飼いを始めとした人々のただ中に宿されたイエス・キリストの平和の違いがクリスマスの夜に明らかにされました。わたしたちもその喜びに連なりながら、羊たちとともにその温かさをともにしたいと願うものです。クリスマスの訪れをともに喜びましょう。