2023年12月14日木曜日

2023年 12月17日(日) 礼拝 説教

ー待降節第3主日礼拝ー

時間:10時30分~


説教=「キリストへの道をととのえなさい」 
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』1章19~28節
(新約聖書  163頁).

讃美=96,Ⅱ 119,540.
可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。

動画は2種類
(動画事前録画版、ライブ中継動画版)
ございます。

説教動画は「こちら」←をクリック、
又はタップしてください。

礼拝当日、10時30分より
礼拝のライブ配信を致します。

ライブ中継のリンクは、
「こちら」←をクリック、
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なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、お願い致します。

「制限付きモードが有効になっているため再生できません」という旨の表示が出た場合は、YouTubeの制限付きモードを解除してください。
方法は、こちらのページをご覧ください。
 
【説教要旨】
  本日の『聖書』の箇所には、人の子イエスがかかわったその時代のユダヤ教のグループが網羅されています。洗礼者ヨハネ、エルサレムの祭司やレビ人、そしてファリサイ派。アドベント第二週の礼拝でお話ししたように、洗礼者ヨハネはエッセネ派と深く関わっていたとされますので、ヨハネの背後には影響を受けたエッセネ派の姿が透けて見えてまいります。「遣わされた人たちはファリサイ派に属していた」とわざわざ記していますから、逆にいえば律法学者でもあるファリサイ派でかつ祭司を兼務するという立場は珍しかったのかもしれません。いずれにいたしましても本日の『聖書』の箇所には人の子イエスはそのものとしては登場せず、洗礼者ヨハネとそれ以外の人々との問答となります。

 エルサレムから遣わされた人々は洗礼者ヨハネに「あなたはどなたですか」と尋ねます。洗礼者ヨハネは「わたしはメシアではない」と答えます。「あなたはエリヤですか」と伝説の預言者エリヤであるかと問えば「違う」と言い、「あの預言者なのか」とユダヤ教ではメシアだとは認められてはいなかった人の子イエスかどうかを尋ねられても「違う」と答えます。このように洗礼者ヨハネは「お前は何者か」という問いかけに対して『旧約聖書』『イザヤ書』を引用し「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と」とのみ答えます。洗礼者ヨハネは問いかける者に対して自分の身分や名前を明かすことなく、自らに課せられたその役目だけを答えます。洗礼者ヨハネにとって重要であったのは救い主の訪れを告げ知らせるのは誰なのかというよりも、「主の道をまっすぐにせよ」という、告げ知らされる内容にありました。アドベントに本日の箇所を味わいますと、イエス・キリストの誕生に相応しい道筋を整えよと呼びかけているように聞えます。

 イエス・キリストの誕生に相応しい道筋。それはどのような場所でも時でも主なる神を仰ぐところから始まります。夜の闇に閉ざされていても、凍える寒さに覆われていても、人々の姿しか見えないといった態度からは難しいところがあります。羊飼いは凍える寒さの中で天使と天の大軍の訪れる中、ただただ羊の番をするほかなかった日常を破られて立ちあがりました。三人の博士たちは救い主の誕生の地のはるか彼方から夜空に輝く星を見つけ、その星の導くままに旅路を重ねてまいりました。その眼差しは、エルサレムの人々には権威であり権力者であったヘロデ大王の王権すら眼中に入らなくなってまいります。マリアの婚約者ヨセフは伴侶となる者が自らとの関わりなくしていのちを宿した折、悩みに置かれながらも夢に現れた天使に励まされ、長旅を全うするだけでなく、伴侶と生まれたばかりの救い主を、ヘロデ大王の殺意から護り抜くためにエジプトまで逃れてまいります。そしてイエスの母マリアは尋常ならざる仕方での妊娠を祝福した天使ガブリエルに「お言葉通りになりますように」と挨拶するのです。

 イエス・キリストの誕生物語に登場する者はその立場を問わず、みな「前をむく」「頭をあげている」という共通する態度が見られます。それは表面上の姿勢に留まらず、イエス・キリストに出会った人々のあゆみに重ねることができるのです。「荒れ野にあって主の道をまっすぐにする」。長旅にあって道なき道を進む。夜通し羊の番をする。決してそれは物理的には困難な道であったのにも拘わらず、です。学者であろうと羊飼いであろうと、血の繋がらないわが子を抱えた親であろうと、今日の医学では説明の出来ない仕方でいのちを身体に宿そうとも、描かれる人々はすべて「頭をあげている」のです。

 アメリカ合衆国公民権運動で知られるマーティン・ルーサー・キング・Jr.牧師は、ワシントン大行進の説教で「わたしには夢がある」と語りました。その折にも「主の道をまっすぐにせよ」とのメッセージが響いていました。聴衆には黒人だけではなく、人種差別に反対する白人も多く集り、こどもでさえも真剣に耳を傾けていた様子が映像の記録として遺されています。そして現在。ごく最近ではチャドで暮らすカメルーン国籍YouTuberのKongbo2ことコベナントさんに届いたDM(ダイレクトメール)。そこには日本人の青年から「次、自殺しようと思っています。会社のしがらみもパワハラももう限界です。いつもKongboのおバカな投稿で元気をもらっていました。いつ死ぬかは分からないけれど、どうせなら最後にDMだけ送ってみたかった。ありがとう」との文章に「自殺する予定だとDMをくれた日本人へ、アフリカ人として伝えたい。あなたの幸せな場所は必ずある。もしなかったらアフリカに来い。見ろ、たくさんの土地がある。農業をしよう。あなたにもできる」と、日本とは比べものにならないインフラと所得格差の中で「失敗は終わりではない」と熱く語りかけるのです。わたしたちはかつて「開発途上国の人々を貧しさから救わねばならない」、あるいは「アフリカを支援しなくてはならない」との思いで一杯でした。今となってはSNSを通して見かけ上は貧しいはずの人々からいのちに関わる励ましを受ける側に立っています。どこにつながるか分からない道は、このように神の愛を通していのちの道につながっています。わたしたちもまた待降節の招きにより、大切な隣人を通してキリストへの道を歩んでいます。