2023年8月11日金曜日

2023年 8月13日(日) 礼拝 説教

ー聖霊降臨節第12主日礼拝ー

時間:10時30分~


説教=「神の愛のともしびをかかげて」 
稲山聖修牧師

聖書=『ルカによる福音書』12章 35~40節
(新約聖書 132頁).

讃美= 532,194, Ⅱ171.
可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。


動画は2種類
(動画事前録画版、ライブ中継動画版)
ございます。

説教動画「こちら」←をクリック、
又はタップしてください。

礼拝当日、10時30分より
礼拝のライブ配信を致します。


ライブ中継のリンクは、
「こちら」←をクリック、
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なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、お願い致します。

「制限付きモードが有効になっているため再生できません」という旨の表示が出た場合は、YouTubeの制限付きモードを解除してください。
方法は、こちらのページをご覧ください。
 

【説教要旨】
  本日の『聖書』の箇所では、人の子イエスが教えの中心に据えたところの神の愛による世の直接の統治がいつ訪れるのか、という福音書の書かれた時代の世にあるキリスト者の最大の関心事に、イエス・キリスト自らがお応えになるとの箇所です。「腰に帯を締め、ともしびをともしていなさい。主人が婚宴から帰ってきて戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。主人が帰ってきたとき、目を覚ましているのを見られる僕(しもべ)たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒がいつやってくるかを知っていたら、自分の家に押し入らせはしないだろう。あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである」。

 福音書の理解に立てば、わたしたちは人の子イエスが神の愛にあふれた生涯の果てに十字架で殺害され、三日後にキリストであることを公にされるように復活され、天に昇られたという出来事と、世の終わりにキリストが再臨され神の愛による世の統治が訪れるというその中間の時、「時の間」に立っています。神の統治の訪れは単に遅れているのではなく、すでに訪れているが、まだ始まったばかりであるとの理解です。見方を変えれば、神の統治はわたしたちの期待通りには来ないが、いつ来るか分からないとの「善き緊張」をわたしたちの信仰生活に備えてくださいます。この時の間には何が起きようとも、それは過渡期に過ぎない出来事として、つまりわたしたちがうろたえる必要のない出来事として見なされ、心を惑わさないようにと繰り返し念を押されます。

 しかし書物としての『聖書』に書いてあるという理由だけで、わたしたちはキリストに支えられた、凛とした態度を続けることができるのでしょうか。『旧約聖書』を開けばモーセはエジプトの奴隷解放を命じる神の招きに五回も戸惑いを見せ、預言者エリヤは度重なる困難に「主よ、もうたくさんです。わたしのいのちをお取りください」と呟き、預言者ヨナにいたっては、イスラエルの民を虐げた人々の都市ニネベを悔い改めさせようとの神の命令を拒絶してその招きから逃れようとします。八月は「平和聖日」に始まりました。この時期には新聞のテレビ欄でも書店でも戦争と平和に関する様々な報道番組や書籍が並びます。しかし本当に辛かった体験はなかなか言の葉にはされません。思い出すことで心の傷がぱっくりと開く可能性もあるからです。

 そのような中で思い出しますのは、神学生のころに二度ほど旅した長崎での体験でした。あまりにも人間的な問題に打ちのめされ立ち直れなくなるときがあり、安価な切符を握りしめて京都から在来線に乗っての旅でした。長崎にはアウシュヴィッツの収容所で殺害されたコルベ神父の建てたフランシスコ会修道会の「聖母の騎士修道院」があり、そこを訪ねようとしましたが、長崎原爆忌に重なり、カトリック浦上教会での平和祈願ミサとタイマツ行列にも参加しました。この行列は長崎市内の平和公園まで続きます。しかしそれは荘厳な雰囲気に決して包まれてはいませんでした。当時はまだ中核派や革マル派といった暴力革命を標榜する団体のデモ活動がシュプレヒコールとトランジスタメガホンでのかけ声とともに行なわれ、騒然としたところもありました。しかしその中をご高齢の方や女性やこどもたちが進んでまいりますと急に静かになります。団体各々も行列の主旨を分かっていたのかも知れません。坂道を上り下りする中で消えそうになるともしび。これを地域の人たち、また見ず知らずの人たちが互いに支えながら歩き続けるというその姿に、少しばかりの静寂さが訪れます。そして公園に準備された場所に火の消えたタイマツを置いて、人々は静かに各々の家へと帰っていきます。人々の顔には、原爆で召された人々への追悼や悲しみとは異なる表情が浮かんでいました。当時は被曝された人々におきましてもかなりの数の方々が生存されておられたことでしょう。

 八月六日、広島に原子爆弾が投下され、それが新聞記事となり全国の人々の知るところとなったのが八月九日だと申します。当時の新聞の見出しには「新型爆弾により広島に相当の被害」との記事以外にはさらに詳しい内容は記されるはずもありません。戦時中ということもありますが、当時の「原子爆弾」には分からないことが多すぎたのです。その後に生きた人々には個人では推し量れないほどの大きな苦しみと痛みが暮しに伴ったことでしょうが、被爆者には「原爆ですべてを失ったから後はすべてを逆手にとるしかない。困難の中で励まされてきた事もないと言えば嘘になる」と仰せになる方もおられました。もちろん、あの地獄絵図の只中を歩き、度重なる家族の葬りにより涙も涸れ果て、一時は感情を失ってしまったという「底打ち」を経てのことです。

 八月から九月へと、平和のありかたに思いを馳せる時が続きます。これは敗戦にいたるまでは無かったわたしたちの倣いです。神の愛の支配によって生まれるのはいのちの祝福と深い慰めです。胸痛む歴史に向きあいながらも、くすぶる灯心を消さないイエス・キリストに感謝しつつ、新しい一週間を過ごしたいと祈ります。