2019年6月9日日曜日

2019年6月9日(日) ペンテコステ・花の日礼拝 説教要旨

使徒言行録2章1~4節
「神さまの愛はいつもアツイ」
稲山聖修牧師


 今日は「子どもの日(花の日)礼拝」であり、また同時に、イエスさまを見送った弟子たちに聖霊がそそがれて、教会の働きが始まったことをお祝いする日でもあります。
 病気で仲間はずれにされていた人の苦しみを癒したり、お腹が空いてクタクタになっている何千人もの人々を感謝の思いで満たしたり、目の見えない人や耳の聞こえない人を見聞きできるようにしながら旅したイエスさまは、逮捕され十字架に架けられて殺されてしまいました。お弟子さんたちは悔しくて仕方なかったもしれませんが、本当は「次は自分が同じ目に遭うのではないか」という思いでびくびくしてばかりいました。でも、イエスさまは葬られたお墓からよみがえって、お弟子さんたちと一緒にお魚を食べてくださったり、同じテーブルについてお話をしてくださったりするうちに、ようやくみんな、安心できるようになりました。


 けれどもイエスさまは、「ぼくはこれから天のお父さんのところに行くから、今度はみんながぼくの生き方や教えたことをどんな人にも伝えるんだよ。また来るからね」と言って、神さまのもとに行ってしまいました。もうお弟子さんのところには、イエスさまはいません。お弟子さんたちは「イエスさまがいなくなってしまった」という不安もありましたが、ひたすらお祈りするよりほかにはありませんでした。

 ある日、同じようにお弟子さんが集まってお祈りを献げていたところ、とっても強い風が吹いてくるような音が聞こえてきました。音はだんだん大きくなってきます。みなさんは強い風の吹く音を聞いたことがありますか。去年にはとっても強い台風がわたしたちの暮らしているところにやってきましたが、とっても怖かったですね。屋根は飛ぶし瓦も飛んでしまいます。やさしいそよ風でも、強く吹くとこんなに力があるのかなとドキドキしました。けれどもお弟子さんたちはこう考えたかもしれませんね。「この風に吹かれたのなら、いったいどこまで行けるのだろう」。
 風の力は人間が作った壁や垣根をかんたんに壊してしまいます。渡り鳥は風の力を用いて世界中の国々へと旅をします。いろいろな壁を越えてことばや食べ物や習慣のちがう人々と会えたのならば、かならずイエスさまから任されたお仕事をしなくては、とお弟子さんの胸はとってもアツくなりました。
 でも、特別に外国のことばを勉強していないお弟子さんたちに、ことばも暮しのようすも違う人へイエスさまのはたらきと教えを伝えることができるのでしょうか。
実は、それができるのです。稲山先生がある外国にいったときのお話です。その国はあまりお金持ちだとはいえない国でした。お店で安いハンバーガーみたいなものをお願いしたのですが、そのときにお財布を落としてしまいました。「ないないない!」と困り果てたのですが、隣にいた人が「ここにあるよ」と笑って渡してくれました。また別の国での話ですが、やっぱり公園で忘れ物をして、「ないないない!」と困っていた人に「これ、忘れていましたよ」と届けたら、とってもよろこんでくれました。困っている人を助けるときに、イエスさまのことばが通じます。それは、その人を大切にするということです。こちらは日本語で話します。相手はその国のことばでお返事をしてくれます。違うはずのことばが通じます。それがとっても嬉しいのです。

 それだけではありません。イエスさまのことばは、ときにはとってもきびしく聞こえることがあります。みんなが赤信号なのに横断歩道を渡ろうとしたら、きっとお母さんは「あぶない!なんてことをするの!」と𠮟るでしょう。それはお母さんがみんなを嫌っているのではなくて、大好きだからきびしくしかるのです。とってもアツイきもちです。人間の世の中では、大切に思わない人には何も声をかけないということもあるかもしれませんが、イエスさまはしらんぷりはしません。やさしいことばも、きびしいことばも、イエスさまはみんなにかけてくださります。イエスさまのお弟子さんも、ようやくそのことに気がついたのかもしれませんね。お弟子さんのからだは、いつのまにかとってもアツくなってきました。お花を咲かす光のような、神さまのアツイきもちをいつもわすれないで、大切にしましょうね。イエスさまが示してくれた、そのアツイ愛の力を、聖霊と呼ぶのです。