2018年8月5日日曜日

2018年8月5日(日) 平和聖日礼拝 説教「神の平和を語り継ぐ涙と喜び」稲山聖修牧師

2018年8月5日
ローマの信徒への手紙9章30~32節
マルコによる福音書10章13節~16節
「神の平和を語り継ぐ涙と喜び」
平和聖日礼拝説教:稲山聖修牧師

 教会がサロン的な社交場と袂を分かつのは、天に召された方々をも包み込む交わりを築きあげるところにも明らかだ。聖書の伝えるところでは宇宙万物の主なる神は、アブラハムの神として告知される。その御手の中では、逝去された方々も、わたしたちと同じく被造物として召されている。その交わりは、イエス・キリストとの関わりの下で検証されるべき、世に刻まれた歴史を、生きた声として響かせ、わたしたちとの対話を重ねている。吉田満。『戦艦大和ノ最期』の著者であり、大和の生き残りである彼は1960年代、教会で兵士たちが犬死にであったとの声にふれ、おだやかな口調で「そのことは、今度ゆっくりと話しましょう」と答えた。

 「イエスが触れていただくために、人々がこどもたちを連れてきた。弟子たちはこの人々を叱った」。「人々」と訳される言葉は、「群衆」と訳される「オクロス」。芥子粒のような「その他大勢の人々」を示す。名もなき人々の間で「メシア」との評判のあった主イエスのもとに連れてこられたこども。「こどもたち」には所有格がない。親のないこども、世にいう孤児がいたかもしれない。イエスに触れていただく、とは癒しのわざをも意味する。病気のこども、障がいを抱えたこども。弟子にはこどもたちは排除の対象でしかなかった。イエス・キリストは憤る。「こどもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」。イエス・キリストの受難の歩みは、このこどもたちの弱さと痛みを分かちあい、十字架の上での苦しみを頂点とするものでもあった。敗戦後の上野に溢れた戦災孤児。「あいのこ」と呼ばれたこども。引揚の最中落命したこども。被曝孤児。毒殺された障がい児。キリストは、神の国とはこのような者たちのものであると語る。「はっきり言っておく。こどものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」。そして、「こどもたちを抱きあげ、手を置いて祝福された」。癒しを超えて注がれる祝福があった。「では、どういうことになるのか。義を求めなかった異邦人が、義、しかも信仰による義を得ました。しかし、イスラエルは義の律法を追い求めていたのに、その律法に達しませんでした。なぜですか。イスラエルは、信仰によってではなく、行いによって達せられるかのように考えたからです。彼らはつまずきの石につまずいたのです」。パウロは、なぜイスラエルの民にではなく、まず異邦人に神の選びが臨んだのかを語る。内向きで交わりを欠き、目的化した律法主義的な義。それが暴力を常にはらむところも見抜いているところは鋭い。
 戦艦大和の乗組員は内地の人々だけではない。士官の出身大学には、京城帝国大学、台北帝国大学があった。日系二世で日本国籍を選んだ者もいた。芥子粒扱いの兵士がいた。その思いを背負いながら吉田は戦後、銀行員として歩んだ。「進歩のないものは決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじすぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れてきた。敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。今日目覚めずしていつ救われるか。俺たちはその先導になるのだ」。吉田が戦後に加筆した士官の言葉。戦死・戦病死だけでなく、犠牲となった全ての人々には家族や関係者がいた。敵視され、蔑視され、殺害した相手にも愛する家族がいた。平和聖日に始まる八月。復活のキリストという窓を通して、逝去された人々、苦しみを担い続けた人々との交わりの中、涙を伴う神の平和を語り継ぐわざを感謝とともに喜び、犠牲の上に活かされている者として、各々のあり方を主の前で確かめる月を、今年も迎えた。