2015年12月13日日曜日

2015年12月13日「クリスマスの秘義」稲山聖修牧師

聖書箇所:ルカによる福音書1章26~38節

 洗礼者ヨハネの母エリザベトの身籠もりの出来事から6ヶ月目、天使ガブリエルはダビデ家のヨセフという人の許嫁であるおとめのところに遣わされた。出エジプト記に登場するモーセの姉と同根の名をもつマリアの生い立ちについて物語は関心を寄せず、系図にも子細を記さない。さらに物語の劇的さにかけては他の福音書の追随を許さないはずのルカ福音書で、天使ガブリエルの祝福はあまりにも唐突に告げられる。戸惑うマリアへ畳みかけるように告げられたのは「あなたは身籠もって男の子を産むが、その子をイエスと名づけなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない」との宣言。この宣言はあまりにも一方的でマリアの事情を一切考慮しない。マリアはいのちの身籠りだけでなく、こどもの将来までも告げ知らされてしまうのだ。「どうして、そのようなことがありえましょうか、わたしは男の人を知りませんのに」とのマリアの答えに耳を澄ますと、マリアがガブリエルの受胎告知を拒んでいるかのようにも聞こえる。「そんなことはありえない。わたしは男性を知らないから」と語るマリアは、処女懐胎など理屈ではありえないことをよく分っていたのではないか。
そんなマリアの態度を、ガブリエルの言葉は打ち砕く。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」。ガブリエルの決定的な言葉は「神にできないことは何ひとつない」。マリアはヨセフとの結婚なしに身籠もることが、その時代のユダヤ教では死罪にあたる姦通の罪、不倫の罪を意味するリスクを知りながら「わたしは主のはしためです。お言葉どおりになりますように」と受け容れた。
 イエス誕生の予告の箇所はマリアの召命の出来事としても読みとれる。モーセですら奴隷解放の呼びかけを五度に渡り拒む。天地の創造主なる神の御子を、被造物でありながら授かる救い主の受肉の秘義。これを我が身に引き受けたマリアの勇気。この勇気なくしてイエス・キリストが世に生まれる出来事は語れない。「お言葉通りになりますように」。クリスマスの秘義が開示されるその時を、日々の喧騒に立ちつつも静かな喜びに包まれながら待ちたい。