―降誕前 第6主日礼拝―
――謝恩日礼拝――時間:10時30分~
場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂
説教=「穏やかでない相手とともに暮らすには」
稲山聖修牧師
聖書=『マタイによる福音書』5 章 38~48 節
(新共同訳 新約 8頁)
讃美= 21-43-3,Ⅱ 41,21-29(544).
稲山聖修牧師
聖書=『マタイによる福音書』5 章 38~48 節
(新共同訳 新約 8頁)
讃美= 21-43-3,Ⅱ 41,21-29(544).
可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。
泉北一号線、また泉北高速鉄道のレールの近くに暮らしておりますと、始発電車の音が目覚ましとなるときがあります。光明池駅の始発電車は5時9分。ダイヤこそ違いましたが、かつてはこの便を用いたこともあります。 安心するのは始発電車として泉北高速鉄道は実に静かなことです。乗客も身支度を調えておられる方々ばかりで気持ちも引き締まります。なぜこのようなことをお話しするかと申しますと、始発駅によっては車両内がかなり常識を越えてしまう場合があるからです。時に起きる車内トラブル。そのあり方も西日本と東日本とでは温度差があります。さしあたり罵声が飛び交うのが近畿界隈。しかしその大声を言い換えますと「わたしの近くによらないでください。意見はありますか」とも聞こえなくはありません。その場合は他の車両に乗り換えます。
いずれにしても一日の始まりは人情としては穏やかにしていたいのが本音です。ですからなおのことトラブルの元凶とされる人々の心には大きな不安や心配や悲しみが宿っているようにも思います。「他にどうすればよいのだ」との叫びが沈黙の車両には響きます。
本日の『聖書』の箇所は、平和を目指す偉大な事業を成し遂げた人々や、大規模な争いや災厄を経ながらその中で優しさや良心を失わなかった人々が愛した聖句としても知られていますが、あまり高嶺の花咲くところばかりで響くようですとわたしたちに縁遠いようにも思えてしまいます。けれども人の子イエスが語りかけた相手が名も無く、個々の交わりの希薄な「群衆」であったり、その群れから導かれた弟子であったりすることを踏まえますと、通俗的な場面にあっても人を導く力を失わないと考えます。本日の箇所で人の子イエスは『目には目、歯には歯』という、『ハンムラビ法典』の「同害復讐法」を乗り越えるあり方として「復讐の禁止」を訴えます。本来はこの「同害復讐法」にはおはぎ一つ盗んだ過ちで、幼子が大人の私刑によって殺害されてしまうような状況を回避するために編み出されたはずなのですが、時を経るに従って、果てしない憎しみの連鎖として理解されるにいたってしまいました。むしろ本来は、もともと対立関係や憎悪の関係にある二者間が、憎しみの土俵に立たずに、食事に飢えた幼子がのけ者にされないためにどうすればよいのかとともに智恵を絞る協力関係に立つための示唆であったはずです。誰も好き好んで泥棒や強盗になりたいとは思わないはずです。
それは次の「敵を愛しなさい」との教えにも通底しています。「あなたがたも聞いている通り、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている」とあります。共同体の結束力を強めるために、敢えて外部なり内部に排除すべき「異なる者」を設け、共同体の繋がりを緊密にする手口は、古代ローマ帝国に限らず、現在のわたしたちの間でも見出せます。その「異なる者」の象徴として本日の箇所では「徴税人」との言葉が見いだせます。人の子イエスは徴税人の存在を当時のユダヤ社会の「分断統治」の典型として理解していた模様です。しかしこの徴税人を憎悪したところで人は憎しみからは決して解放されません。好感を得られる人と時と場所をともにするのは誰にでもできます。けれどもかつて、年老いた牧師が和やかな雰囲気の中、敢えて「教会は仲良しサークルではない」と懸命に語った背景には、イエス・キリストが愛した愛の土台に立ちなさいとの強い思いがあったのではないでしょうか。
今、世の中は分断を叫ぶ声が強まりつつあるところに立っています。家族の中にもそのような分断が頭をもたげる場面があるかもしれません。けれどもその時こそがキリスト者の正念場です。何度も負の気持ちに溺れる中で、いつもわたしたちに必ず差し伸べられるのがイエス・キリストが堅く握る「いのち綱」です。もし今、わたしたちが深い憎悪に囚われていたとすれば、キリストを通して神にその憎しみを敢えてぶつけていく道もあるでしょう。十字架を通して神と繋がる憎しみは、やがて時が経つほどに全く別の、全く異質の尊いものへと変えられていきます。憎しみはわたしたちのすべてではありません。そのことをわたしたちは敵を愛する生き方から教わります。光は闇に勝利し、愛は憎しみを必ず克服します。わたしたちはこの実に単純な教えを、高嶺の花ばかりからだけでなく、足下に咲く野の花の彩りからも気づかされます。イエス・キリストの愛を心に宿しましょう。