2019年7月14日日曜日

2019年7月14日(日) 説教

ルカによる福音書17章11~19節
「ありがとう、というために」
説教:稲山聖修牧師 

本日の『ルカによる福音書』では、ローマ帝国の分断統治を前提にした上で、イエス・キリストの癒しの物語が記される。それは次のような次第。すなわち「イエス・キリストがエルサレムに上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた」。エルサレムを見つめながら暮らす人々にとって、ガリラヤ地方は異邦人やサマリア人の間にある飛び地のような地域として映る。そのような地域に生きるユダヤ人の中には選民意識の強い人々もいたであろう。そのような中で「ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、『イエス様、先生、どうかわたしたちを憐れんでください』」といったとある。『マルコによる福音書』1章40節ではイエス・キリストのもとに跪いて癒しを乞い願った同じ病の人が描かれるが、『ルカによる福音書』では「遠くの方に立ち止まったまま」である。実はこちらの方が、ユダヤ教の誡めに適った立ち振る舞いだ。ギリシア語で「レプラ」、口語訳聖書では「らい病」と訳された病に罹患した人々は、その身と病が穢れているという理由で、一般の人々には近寄ることもできず、道行くときも自ら病状を叫びながら歩かずにはおれなかった。だから今朝の箇所では「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」というだけである。この言葉だけでこの十人は清められ、癒されたのだが、実はこの箇所、癒しのわざそのものは物語の中心にはなってはいない。焦点は、むしろ癒された人々各々の、その後の態度である。
「その中の一人は、自分が癒されたのを知って、大声で神を讃美しながら戻って来た」。病を癒され、神を讃えながらイエス・キリストのもとに戻ってきたのは誰であったのか。そして、イエスの足元にひれ伏して感謝したのは誰であったのか。その人はサマリア人であった、と『ルカによる福音書』の書き手は記す。イエス・キリストの癒しの恵みは、十人に等しく注がれたはず。けれども「ありがとう」というために戻ってきたのはたった一人。それはユダヤ社会からは疎外されていたサマリア人だった。イエス・キリストは問いかける。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を讃美するために戻って来た者はいないのか」。なぜほかの九人は戻ってこなかったのだろうか。祭司たちの前で病の癒しを証言したのは誰かを考えれば、解釈の幅が広がる。この祭司はユダヤ教の祭司である。そして十人は「イエス様、先生」と呼びかけた。この呼びかけに解き明かしの鍵が隠されているかも知れない。誡めに忠実であったところの九人は、祭司に「先生」すなわち「ラビ」に癒してもらったとの証言が可能となる。そのわざに賛否両論あるイエス・キリストに癒されたとはいわなかったかも知れない。しかもそれが、ローマ帝国の分断統治の中で関わりを絶っていたはずのサマリア人とともに癒された、とあればなおさらだ。他の九人は社会から排除される病が癒されたとしても、他者を排除する態度からは決して自由ではない。だからイエス・キリストの名も、その関わりも公にはせずに姿を消していく。重い皮膚病を癒すわざをもってしても治癒できない病がここに隠されている。他方でユダヤ人の集落からは排除され、穢れていると見なされていたサマリア人は、神を讃え、喜びながらイエス・キリストのもとに戻り、跪いて感謝する。彼は「ありがとう」というために、戻ってきた。キリストのもとに戻ってきたのは十分の一。この十分の一であるサマリア人が、初代教会の礼拝のモデルを構成しているといえないだろうか。初代教会の課題と、礼拝出席者の「数」をつい気にしがちな、わたしたちの課題が重なるところだ。



それでは他の九人が、より深い病であるところの憎しみや独善から救われるのは「主よ、いつなのですか」とわたしたちは問わずにはおれない。「主よ、いつなのですか」。幾年にもわたり各々奉仕を続け交わりを深めた人々は多いのにも拘らず、人に過ぎないわたしたちにではなく、主なる神に感謝してくださる日は「主よ、いつなのですか」。それは、イエス・キリストの味わった苦難と十字架での死にいたるまでの苦しみによって深く身も心も癒され、ともに重荷を担う者を気づかされる時である。イエス・キリストの復活の光は、十字架の苦しみと死の痛ましさを「なかったこと」にはしない。むしろ困難に直面しての「死にたい」との呟きを、実は死にたいほど「生きたい」という気づきへと変える出会いと交わりをもたらす。ここに「ありがとう」というための道が整えられる。イエス・キリストの歩んだ十字架への道と死、そして復活こそが、わたしたちの生きる力の根源だ。