2019年5月12日日曜日

2019年5月12日(日) メッセージ


マタイによる福音書28章20節

「だいじょうぶ、神さまがいっしょだから」
メッセージ:大野寿子さん
(日本基督教団浦安教会員、メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパン理事)

※今回は父母の日礼拝の報告と感想になります。


 「メイク・ア・ウイッシュ」とは、もともとは1980年にアリゾナ州に住む、白血病と闘う7歳の少年が抱いていた「おまわりさんになりたい」という夢を叶えるために、州の警察官が本物そっくりの制服を準備し、名誉警察官に任命したところから始まったという。少年は警察官としてパトロールを行ない、その五日後に逝去した。少年の笑顔は「夢をもちながら病気と闘っているこどもは、他にもたくさんいるにちがいない」という想いを人々に残した。その想いを引き継いだ人々の手で「メイク・ア・ウィッシュ」は誕生したのであった。

大野寿子さんがその運営に関わっているのが「メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパン」。日本で「メイク・ア・ウイッシュ」の活動を展開しており、2018年は235名のこどもたちと関わった。1994年にこの団体の活動に出会い、職員としても働いてこられた人物である。大野さんのメッセージには次のような言葉があった。「難病を抱えているこどもたち、というと可哀想なこどもという、大人が勝手にこしらえた上から目線のイメージを抱かれがちなのですが、実際のところは、どんなこどもたちでも必死に生きようとしているのであって、そこにおかしな先入観を大人がもつのは間違っています」。司会を担当しながら、稲山は「時代は変わったのだな」という不思議な感慨を抱いた。高校生だった頃、稲山は武蔵野日本赤十字病院で実母が乳癌の手術と治療、そしてその後にボランティア活動に従事していたこともあり、何度か小児病棟で入院患者のこどもたちと遊ぶという関わりをもったことがある。ある日出かけると、随分となついてくれた男の子がどこを探しても見つからない。「どうしたのかな」と尋ねたところ「お家に帰ったの」というお話だった。男の子は急激に病状が悪化して逝去されたのだと、後日知ることとなった。今から30年以上も前のことである。

それはメディアでの扱いも似たところがあった。テレビドラマでも小児病棟が舞台となっていた番組があったように思う。看護師を務める桃井かおり演じる女性が多くのこどもたちの生き死に、また家族の葛藤や悲しみや医療組織の無理解と向き合う内容で、入院前の母が観ては涙していたのを思い出す。いわゆる「難病もの」の作風ではあるのだが、そのようにして刷り込まれたイメージから、わたしたちはなかなか自由にはなれない。
礼拝後の親睦会で、そのような高度成長期の病児へのイメージが定着してしまった理由と「可哀想なこども」という先入観の由来、そして「メイク・ア・ウイッシュ・オブ・ジャパン」で語られたり、映像資料に登場したりするこどもたちの笑顔とのギャップについて、大野さんはこうお答えになったと記憶する。「高度経済成長期には、世の中がどんどん好景気になっていくその陰で、おとながどんなに努力しても手の施しようがないこどもたちがいたのは確かだったが、日陰に置かれたままだったのは確か。それは決して充分はなかった福祉事業に対する後ろめたさにも言えるだろう。また、小児病棟にかつてあったような『可哀想なこども』という先入観には、告知の問題も深く絡んでいたように思う。現在では、こどもたちへの病気の告知は積極的に行なわれているはずだ」。やはり30年間で社会の常識が大きく変わったことを感じずにはおれなかった。

もちろん「メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパン」の働きが、今もなお必要とされている背景には、既成社会のもつさまざまな予断や先入観から、難病のこどもたちだけでなく、むしろその保護者の方々が解放されてはいないという現実があるに違いない。いわゆる「逆縁」の苦しみが、どれほど遺族に腸を断つような痛みをもたらすのかは想像もつかない。そして現に、公害や原子力災害などの後遺症に苦しむこどもたちも後を絶たない。けれども、そのような種々の壁を、単に崩そうとするだけでなく、どんなときにもこどもたちの笑顔を育むために関わりを大切にする大野さんは、父母の日礼拝に集ったわたしたちををいつのまにか笑顔の当事者にしてしまった。生涯を笑顔で全うするその支えに従事される大野寿子さん。「だいじょうぶ」との声には突き抜けた明るさがあった。大野寿子様、またスタッフのみなさま、お越しくださったことに心から感謝申しあげます。