2026年8月2日日曜日

2026年 8月9日(日)礼拝ライブ配信 

 時間:10時30分~

 


説教=「感謝は人を生かします」
井上 良作 牧師
 
聖書=詩編118編22~29節 (旧約958頁)
   使徒言行録16章16~34節(新約245頁)

讃美=讃美歌21-11番、讃美歌21-204番     
頌栄=讃美歌21-27番   

可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。

礼拝当日、10時30分より

礼拝のライブ配信を致します。

当日のライブ中継のリンクは、
「こちら」←をクリック、
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方法は、こちらのページをご覧ください。

【説教要旨】
 『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。』(テサロニケの信徒への手紙一 5 章16〜18 節) 
 神様がわたしたちに望んでおられることについて、これほど端的に述べられているところは他にありません。このように教えたパウロ自身はどのようだったか、それを伝えてくれるのが、今朝の聖書箇所です。 
 パウロとシラスは伝道旅行最中のフィリピで、占いの霊に憑かれてた女性に出会いました。この女性がパウロたちについて来ては叫び声をあげるということを幾日も繰り返すので、パウロはたまりかねてその霊を女性から追い出しました。占いで金儲けをしていたこの女性の主人たちが恨みによってパウロとシラスを捕らえ、役人に引き渡して偽りの訴えによって投獄させました。その際には、パウロたちは、正当な裁判も受けられず、衣服を剥ぎ取られ、鞭で何度も打たれました。「どんなことにも感謝しなさい」と教えたパウロは、このような状況で感謝できたのでしょうか。できたとすれば、一体に何に感謝したのでしょう。こんな最低な状況に置かれたとしたら、私たちは、果たして感謝することができるでしょうか。 
  『真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。』(25節)ユダヤ人にとって「祈る」とは、十中八九「感謝する」ことを意味していました。パウロやシラスたちはこの時、一体何に感謝していたのでしょう。それは、この先を読み進めるとわかります。パウロとシラスが賛美し祈っていると、ほかの囚人たちはそれに聞き入っていました。そのとき、突然、大地震が起こりました。そのため、囚人たちの鎖は外れ、牢の戸が開いてしまいました。囚人たちにとっては、自由の身になれる奇跡的なチャンスでした。牢の看守は眠って休んでいたのでしょうが、大地震のため囚人を逃してしまうことになり、自らの過失の重さに自害しようと考えました。自分が責任を取らなければ、家族にも害が及ぶと考えたのでしょうか。 
 そこに、パウロの叫び声が響きました。「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる」。なんと自由の身になれるはずだった、パウロも囚人たちも誰一人そこから逃げることなく、その場に残っていました。このことをどう理解すればよいのでしょう。看守は震えながら「先生方、救われるためにはどうすべきでしょう」と求めました。大地震の前と後では、それぞれの立場が変化しました。看守の畏れの対象も、ローマの権威から、主なる神へと変わりました。「愛には恐れがない」。この続きは、ぜひメッセージでお聴きください。