―受難節第6主日礼拝―
――棕櫚の主日礼拝――
吉村厚信補教師
聖書=『ヤコブの手紙』1 章19~27 節
可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。
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本日の聖書箇所、「ヤコブの手紙」の「ヤコブ」とはヘブライ語で「出し抜くひと」「かかとをつかむ者」、を意味します。旧約聖書創世記に登場するヤコブはアブラハムの子イサクの次男として出て来ます。聖書ではヤコブの名前はたくさん出てきます。最も可能性のあるのが主イエスの死後に書かれたとして兄弟とされているヤコブとされています。その内容は「行動が大事」と強調しています。この「ヤコブの手紙」には二つのことが神学的に主張されています。ひとつ目は「信仰」についてです。行いを軽視した「義」の誤った教えを持った人々への戒めだと思います。ふたつ目は「貧しさ」と「富」についてです。神さまはこの世で低い地位でも高い地位を与え、富める者には謙遜が無い限りその者を低くされる、この逆説は「ルカによる福音書」にも出てきます。25節で「自由をもたらす完全な律法」は「束縛」を強いるものではなくキリストの十字架ゆえの自由が神によって定めた律法、すなわち「福音」を置き換えています。その律法が守られ実行される限りそのひとは幸せになれる、とされます。26節舌を制御できないことは「ヤコブの手紙」第3章にも詳しく述べられています。ひとは言葉を制御することは極めて難しい、言葉は神から与えられたものですが、同時にその言葉によって自らを正当化したりその場を取り繕ったりしてしまうようなことはないでしょうか。15日日テレ「バンキシャ」で東日本大震災直後悲嘆にくれた宮城県南三陸町住民の大事な身内を失ってしまった悲しみに暮れた方々の心に力を与えたのがお互いを支え合う「行動」でした。祈りに合わせて「行動」することが大きな力になることを教えています。
「ヤコブの手紙」の著者が想定している相手は、先ず「イエスの教えについて語る弟子」たちのこと、わたしも「教師」ですのでこのことを真摯に受け止めます。教師たちは「自家撞着(=自己矛盾)に陥らない」努力を続けねばなりません。使徒ペテロはイエスのいちばんの弟子だと誇っていざイエスが捕まってみるとマタイによる福音書27:69-75「そんなひとは知らない」を繰り返し述べイエスの預言通り大きな後悔を残します。信仰の本当の意味は、弱い悲しいことこそ仲間がいる安心や満足を持つそれが大きな「恵み」になる、イエスの苦しみを味わったその次に来る大いなる喜びがレントのイエスの十字架は希望の初穂ではないでしょうか。
「ブレストワークス」という名前の就労支援作業所で働いています。「祝福される(blessed)働き」の意味の他に「神の聖霊(God‘s breath)の働き」と言う意味にも取れる作業所です。 知的身体的精神的重荷、彼らを支えようとする重荷、看取りをしようとする重荷、神さまが本当の牧会を問われています。
来たる主イエスの再臨に向けて信仰を見つめ直すような時間を共にさせて頂いたことを教会の皆さんに感謝します。






