2026年6月7日日曜日

2026年 6月14日(日)礼拝ライブ配信

時間:10時30分~

 

説教= 「恵み」    
吉村厚信 伝道師

聖書=コリントの信徒への手紙Ⅱ 第12章9~10節 

讃美=「神のかぞく」「ワ・ワ・ワ一緒に」「うたいましょう」


礼拝当日、10時30分より
礼拝のライブ配信を致します。

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2026年6月1日月曜日

2026年 6月7日(日)礼拝ライブ配信

時間:10時30分~

 

説教= 「原点」    
吉村厚信 伝道師

聖書=ルカによる福音書 第4章1~13節

讃美=21-343 21-346
頌栄=21-27

    
可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。

礼拝当日、10時30分より

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【説教要旨】
現在のイラン・アメリカの戦闘状態の影響で、中東からの原油に大きな支障が出ています。「ナフサ」が足らなくなり、ガソリン供給にも不安があるなど、以前のコメ不足も彷彿させて何か豊かさが失われていくようです。自分勝手なイデオロギーや権力主張から紛争が起こっても何もよいことはありません。日本は株価が6月1日で6万円台を超え会社員現役の頃の7年前2019年の3倍近い株価で経済は非常に活発に見えますが、色々な商品値上げなど一生懸命働いていても良い方向に向かっているように思えません。

今わたしたちを照らす電機の照明も化石燃料から供給された電力や生活を支えるエネルギー、そこに前述のイラン・アメリカの戦争同様人間の欲望も見え隠れしています。本日の聖書箇所は、「サタン」の様々な誘惑に対して聖霊に満ちたイエス様が対峙する、その場面では私たちがよく耳にする聖書の言葉が登場します。「サタン」は一神教の下で神や人間に敵対する悪魔的な存在を指します。キリスト教神学で「サタン」は神に対して謀反を起こした堕天使で人間を誘惑し、特にカトリック教会では教会を滅ぼそうとするものとされてきました。

1-4節:イエス様は受洗のあと、聖霊に導かれて荒れ野の中で40日間悪魔からの誘惑を受けますが、申命記9:9にありますモーセの四十日間四十夜断食をしたことを彷彿させます。悪魔からの石をパンにする誘惑、註解書では「パン」を「マナ」に変えるような内容に対して、イエス様は有名な一節「人はパンだけで生きるものではない。」「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」といいます。5-8節:悪魔がイエス様を高い山に連れていき、世界のすべての国々、当時のローマ帝国の世界の権力と繁栄をイエス様に与えようという誘惑をイエス様は「ルカによる福音書10:22」「すべてのことは父からわたしに任せられています。」異教徒たちへの宣教のメッセージとして「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」と信徒と教会への励ましをも表されています。9-12節:エルサレム、この地名が明確に示されたことでイエス様の受難の死から復活された最後の勝利が示されています。悪魔はそこでイエス様にメシア(=神)であることを示せと試みを要求しますが、イエス様は、「主を試すな」と一蹴します。

13節:悪魔の誘惑はイエス様の受難のときがくるまで、「イスカリオテと呼ばれるユダの中にサタンが入る」までイエス様を離れます。

この聖書箇所はイスラエルの民が神を信じなかったがゆえに神からの信頼を失い、荒れ野の旅を全てイエス様への悪魔の都合の良いようにイエス様を誘うその誘惑=試みに遭わせず、イエス様が悪より救い出す、その場面を表しています。

先週の井上牧師からの御言葉をお聞きして、ひとは「聖人」になることではなく、「キリストを信仰せよ」の意味が「きれいなものを見てきれいなことをせよ」、とのメッセージだったと思います。どんなに頑張ってもひとは神にはなれません。しかし、自身に神に近づくために何かのノルマを課される必要もありません。家族や周りの方々を大事にして与えられた仕事に真摯に向き合い生活する、その一点に於いてひとは十分に聖化されているのだと思います。バプテスマ(洗礼)はわたしたちが神の子となる大きな機会を神様から頂くことですが、「受洗した」としてもあとにいっぱい辛いこと、苦しいこと、悲しいことを神様は私たちにお与えになります。ご存じのパウロ書簡一節をお読みします。「コリントの信徒への手紙一 10: 13」「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共にそれに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださいます。」苦しいとき、悲しいときにひとは必ずと言っていいほど天を仰ぎます。神さまを仰ぎます。そしてまた前を向いて歩きだす。不完全で足らないけどそれでよいのです。教会共同体で共に神様の方向を向いて共に歩み努力する、ときに受洗者という果実=同じ方へ歩もうとする仲間を神様から頂く、それが本当の神様から「洗礼を施された」という意味ではないでしょうか。18世紀のドイツの自由主義神学者フリードリヒ・シュライエルマッハーは、自らの著書『宗教論』の中で、「宗教の本質は知識や行為ではなく、直観と感情」と記しました。「神さまがわたしたちの中に着床される」という感覚、シュライエルマッハーの神学思想は、人の外側の超越的な存在、その存在への畏怖の念ではなく「人間自身の中に存在する」のです。人間は生まれたときは無垢できれい、それが様々な紆余曲折を経て経験した辛いことや悲しいことからあくまで「ひと」として学習していっぱい鎧兜を身に着けてしまいます、財産、地位、そして保身、それが本日の「サタンの仕業」だとしたら、神さまが着床してくれたことで、サタンに誘惑されて悪の方向へ向かうことを自ら止めて、神さまと同じきれいで前向きな気持ちが自然と自らの中に芽生える、そんな感覚になるのではないでしょうか。

この感覚が神さまからわたしたちに頂いたまさに「原点」になる、と聖書は教えてくれています。

2026年5月24日日曜日

2026年 5月31日(日)礼拝ライブ配信

時間:10時30分~

 

説教=「キリストを見るために」    
井上隆晶牧師

聖書=創世記3章8~13節
ルカによる福音書19章1~10節

讃美=21-18, 21-432
頌栄=讃美歌21-29番  
  
可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。

礼拝当日、10時30分より

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【説教要旨】
①【イエス様を見ようとしたザアカイ】
エリコの町にザアカイという徴税人の人がいました。このザアカイが、なぜか「イエス様がどんな人か見ようとした」というのです。それは、自分と同じ徴税人を弟子にしている人がいるという噂を聞き、そのイエスというお方に興味が湧いたからだと思います。イエス様を見るために出かけたのですが「背が低かった」 (19:3) ため群集に遮られて見ることが出来ませんでした。しかし彼の中のイエス様を見たいという思いは収まらず、何としても望みを果たそうとします。彼は走っていって先回りし、いちじく桑の木に登り、その葉の影からイエス様を見たのです。私はこの物語を読むと、エデンの園のアダムを思い出します。その昔アダムは神の顔を避けて、園の木の間に隠れましたが、ザアカイはその神の顔を見るために木に登りました。ここに人間の回復の始まりを見ます。私たちがどんなに罪深くても、それは神と出会うための障害になりません。本当の障害は、罪深さではなく、キリストに期待しないことです。

②【回心とは=この世ではなく、キリストを見ること】
この物語には「見る」という言葉が5回も繰り返されています。この物語は「見る」ことがテーマです。人間の五感「視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚」はもともと神を知り、神と交わるための道具として造られました。しかしそれは神に向けられるのではなく、この世に向けられたのです。創世記のエデンの園の箇所で「女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け」(創世記 3:6) と書かれています。その木とは善悪の知識の木であり、神が「食べると必ず死んでしまう」 (創世記2:17)と、食べることを禁じた木です。この善悪の知識の木とは神を抜きにしたこの世の象徴です。この世は神よりも魅力的に見え、私たちの目を引き付けます。この世は私たちを喜ばせ、この世の中に命があると思わせます。最初の堕落はこの世を「見ること」から始まりました。 私たちは「食べると必ず死んでしまう」(創世記2:17) という言葉を、軽く聞いています。この世を求めたくらいでは私たちは死なないと思っています。修道士たちは「悪魔は穴が空いたところから入って来る」といいましたが、目からは汚れた映像、耳からは汚れた言葉、口からは過度の飲食が入って私たちの魂は汚れてしまうのです。しかし教会に帰ると私たちの五感が神に向かって正しくリセットされるので人に戻ることができるのです。イエス様はいちじく桑の木の下まで来ると足を止められ、上を見上げて言われました。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」(19:5) 驚くべきことに、イエス様の方からザアカイに声をかけられました。ザアカイは自分がイエス様を求める以上に、イエス様が自分を求めていたことを知りました。ザアカイは急いで木から降りてきて、喜んでイエス様を家に迎え入れました。

③【私は、本当は美しい】
イエス様は「この人もアブラハムの子なのだから」と言われました。私たちはみな神の子なのです。 昔の教父たちの言葉を借りるなら「わたしは黒いけれども愛らしい」(雅歌1:5)のです。「罪は私の一部であって全てではない、私は、本当は美しいのだ」と言いましょう。罪も死も病気も私たちの本性ではありません。後から着いた習性です。イエス様は私たちの中の美しいもの、神がお造りになった本当の私を信じ、見ていてくださいます。そこがキリストとつながった時、必ず開花するのです。北陸学院高校の教務教師である高田恵嗣(けいじ)牧師は、「きれいなものを見る、きれいな言葉を聞くことは力になるのです。綺麗ごとを言うな!というけれど、綺麗ごととは、人の本来あるべき姿なのです。そこを目指して生きようと思えるのです。教会は人のあるべき姿を語り続ける場所でありたい。」と言われました。神が人になったのは、人を神に似た者にするためです。キリストの愛と創造の業に期待しましょう。主は必ず、私の中に眠っている美しいキリストの似姿を開花させ、主に似た者に変容させてくださるでしょう。

2026年5月17日日曜日

2026年 5月24日(日) 礼拝ライブ配信

【ペンテコステ礼拝】

時間:10時30分~

 


説教題=「聖霊の業である教会」    
池田清樹牧師 

聖書=コロサイの信徒への手紙 1章24~29節

讃美=讃美歌21-204番 、412番
頌栄=讃美歌21-29番

可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。

礼拝当日、10時30分より

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【説教要旨】
教会は聖霊なる神のお働きによって生み出され建てられる。

私が泉北栂教会において、特に心にとめたことは、人と人とのつながりを結んでいく努力です。

教会がどれだけほっとできる雰囲気づくりができるかを心がけていきました。

教会とは、基本的に何より愛の交わりです。

1989年9月23日 第一回目の会堂建築委員会が発足しました。その時私は週報にこう記しました。

「神は必ず私達の祈りに応えてくださる。信仰とは常に現実を見ることではなく、神にある可能性を仰ぎ見ることです。私の頭の中には十字架がそびえ立った教会のイメージが描かれている。」

1995年5月31日、泉北栂教会の会堂は一億円の資金で建ち上がったのです。そして、その際の東梅田教会からの7,000万円の借金は、教会員の献金で18年間で完済しました。


2026年5月10日日曜日

2026年5月17日 礼拝 ライブ配信

時間:10時30分~

 

説教= 「lose & lose」    
鈴木 ゴリ 宣仁牧師

聖書=旧約聖書 ヨシュア記2章1節
新約聖書 マタイによる福音書1章1~11節

讃美=讃美歌21-18番、425番
頌栄=讃美歌21-29番  
  
可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。

動画は1種類です。

教会のYouTubeチャンネルは、こちらのURLです。
https://www.youtube.com/@senboku.newtown.church
※原則、ライブ中継のみとなります。当日用の新しいURLは、こちらのホームページの説教のページに、その都度掲載してまいります。よろしくお願いいたします。


礼拝当日、10時30分より
礼拝のライブ配信を致します。

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【説教要旨】
■win-win の関係は本当に正しいのか?

1. 田中正造と足尾銅山鉱毒事件~winner 「勝ち組」としての道を歩めたのに

正造は1841年12月15日、今の栃木県佐野市の庄屋家に長男として生まれた。 衆議院議員になった1890年(49歳)、渡良瀬川の大洪水がきっかけで足尾銅山鉱毒事件が発生。1891年(50歳)、第二回帝国議会で「亡国に至るを知らざれば之れ即ち亡国の儀につき質問書」という憲政史上に残る大演説を行い、利益を得るため政府と大企業が結託し、農地を荒廃させ農民の生活を破壊したことを猛烈に批判し責任を追及した。しかし政府と大企業が責任を取らず、鉱毒事件をなかったことにしようと画策し続けたことから、1901年(60歳)明治天皇に直訴しようと試みる。しかし官吏に取り押さえられ失敗。議員辞職。歴史の表舞台から姿を消した。


2. その後の正造 ~loser 「負け犬」としての道を選んだ 

1904年(63歳)、正造は国策として貯水池として水没させられることになった谷中村に移住。 1908年、谷中村全域が河川地域に指定され、1911年には旧谷中村村民の北海道への移住が始まる。この間、政府のやり方に反発し北海道への移住を拒否した旧谷中村住民たちと共に、旧谷中村貯水池で船上生活を送る。高みからの支援ではなく、住民に学ぶ共生へ。 1913年9月4日(71歳)、胃癌のため逝去。財産はすべて鉱毒反対運動などに使い果たし、その時持っていたのはボロボロの頭陀袋1つ。その中に帝国憲法とマタイ伝の合本、日記3冊、小石3個、川海苔、鼻紙があるのみだった。谷中村村民に倣い、「負け犬」の如き晩年を選んだ正造は、イエスのように生きたいと願っていたのではないか。 
※参照 林竹二著「田中正造の生涯」(講談社 1976)


■マタイがこの系図に込めた思い ~血筋や地位ではなく

1. 系図に登場する、歴史を繋いだ四人の女性たち

①3節 「タマル」 娼婦に化けて男(ユダ)の子を生んだ外国人女性 創世記38:1~26 
②5節「ラハブ」 イスラエルを救った敵国の遊女 ヨシュア記2:1~24 
③5節「ルツ」 1人残された姑を見捨てず支えた外国人女性 ルツ記1:1~4:22 
④6節b 「パテシバ」 ダビデ王に夫を謀殺され権力に支配された妻 サムエル記下 11:1~27

2. loser と共にloser として生きる道を選ぶ

四人の女性は、外国人差別にさらされ、貧困に悩み、権力による支配に苦しんだ人たち。勝ち組ではなく社会的に「負け犬」とされた人たち。この女性たちによってアブラハムの家系は存続した。winner 勝者によるのではなく、loser 「負け犬」が紡ぎ績んだ歴史、とマタイは理解した。 さらに、イエスは、そのような家系の末裔ヨセフとは血のつながりがないという。そして極めつけは「イエスはすべての人の奴隷となり、奴隷となって死んだ」。
「誰が一番偉いのか」で紛糾し、分裂しかけていたエルサレム教会に対して、マタイは、田中正造のように「loser としてloser と共に生きる道を敢えて選ぶ」 「それがイエスに倣うということだ。」と伝えたかったのだと思うのです。

2026年5月3日日曜日

2026年 5月10日(日) 泉北ニュータウン教会・こひつじこども園  創立55周年記念礼拝 ライブ配信

2026年 5月10日(日)

開場 10:00 / 礼拝開始 10:30〜

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 


おかげさまで、泉北ニュータウン教会および
こひつじこども園は創立55周年を迎えます。
この節目を記念して、素晴らしいゲストをお招きした特別なイベントを開催いたします。

当日は、福音歌手の森祐理さんをお迎えし、
音楽コンサートを開催します🎵 
  
森さんはNHK教育テレビ「ゆかいなコンサート」の歌のお姉さんとしても、ご活躍された方です。
ご家族やお友達とお誘い合わせの上、ぜひ癒やしの時間をお楽しみください。

どなたでもご参加いただけます。
記念すべきこの日を、皆様と共に過ごせれば幸いです。
皆様のご来場を心よりお待ち申し上げております。


礼拝当日、10時30分より
礼拝のライブ配信を致しました。
当日はコンサート形式となりますので、動画はライブ配信後に非公開とさせて頂きました。

2026年4月26日日曜日

2026年 5月3日(日) 礼拝ライブ配信

 時間:10時30分~

 

説教= 「繋がり」    
吉村厚信 伝道師

聖書= ルカによる福音書 第2章22〜38節

讃美=讃美歌21-528  21-463   
   頌栄=21-29     
可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。

動画は1種類です。

教会のYouTubeチャンネルは、こちらのURLです。
https://www.youtube.com/@senboku.newtown.church
※原則、ライブ中継のみとなります。当日用の新しいURLは、こちらのホームページの説教のページに、その都度掲載してまいります。よろしくお願いいたします。


礼拝当日、10時30分より
礼拝のライブ配信を致します。

当日のライブ中継のリンクは、
「こちら」←をクリック、
又はタップしてください。

「制限付きモードが有効になっているため再生できません」という旨の表示が出た場合は、YouTubeの制限付きモードを解除してください。
方法は、こちらのページをご覧ください。

【説教要旨】
南大阪教会の教会員だったころ「臨床宗教師」に魅かれましたが主任教師前々任 横浜紅葉坂教会へ赴任された岩橋常久先生からは、「牧会自体がスピリチュアルケア!」と強くご示唆がありました。チャプレン・大阪生野教会担任教師から離れる前、精神的に「関係妄想」に近い状況になりました。その後自己を理解するために2025年春に一週間「スピリチュアルケア」実地専門演習に参加する機会を頂きました。場所は堺市立総合医療センター、自分の殻を取り素の自分を出し自分の恥部を集まって来たメンバーの方々に披露、クライアントが真の姿迄見せてくれるために自分を開示すること、その訓練をさせて貰いました。現在臨床スピリチュアルケア協会通称PASCH(パスク)に所属しています。定期的に専門講習会(「専門演習」)に参加、3月参加のときのことを聖書箇所から導きたいとおもいます。「彼らの清めの期間」、定められた律法期間40日目になって清めの儀式にイエス様は両親に連れられ神殿に行きます。旧約のサムエル記にも乳離れしたサムエルが母親ハンナに連れられてシロの主の家(神殿)に行きますが、単なる律法を守ることではなく主に「聖なる者」と呼ばれることを強調しています。山鳩ひとつがいは仔羊を捧げることの出来ない貧しい者の捧げもの。シメオン、エルサレムに住んでいた人物です。メシアに会うまで死なない、と聖霊からお告げを受けていました。そのシメオンが神殿でイエス様と出会い、イエス様を抱いて「主の言葉通り、この僕を安らかに去らせて下さいます。」「万人のために整えて下さった」との感謝があり、そこには民族宗教から異邦人までをも包含する普遍的宗教へとその信仰が深まっていきます。長く苦しめられた民は「神からの慰め」が必要、イエス様とイエス様の行動に繋がっていく一つの流れです。当時イスラエルはローマ帝国の植民地、イスラエルの民は奴隷で当時のヘロデ王の元でとても苦しめられていました。民衆は慰めを欲していました。シメオンは「この子はイスラエルの民に衝撃を与え、また反対を受ける」、と十字架に架かることまで預言します。その後アシュル族のアンナと言う女預言者が登場します。アンナは結婚し夫と死別、神に仕える身として原始教会では未亡人の模範でした。アンナの役割はイエス様のことを人びと皆に知らせる役目、これも「神からの癒し」です。この箇所で重要なこと、「ルカによる福音書」のこの章までに登場する人物の多くは「老人」、ということです。ザカリア、エリザベト、シメオン、アンナ、みな高齢者です。高齢の方々は今まで旧約の律法を遵守して生活してきましたがそこには旧約の古い秩序がありました。しかしもうすぐ天に召される立場に比して新しい命の鼓動、ヨセフとマリアの存在とイエス様の誕生、と新しい「秩序」の変化へと繋がっていきます。そして「神の救い」という一点に於いてこの箇所のストーリーの流れが繋がっていきます。自由になることへの神の到来「希望」が見え隠れする、「古いもの」が「新しいもの」へと繋がっていく、歴史の方向は一方向でも「神の救い」を求めるその方向は全く一致しています。スピリチュアルケア専門演習で、わたしは言葉の意味の「深さ」を教えて頂きました。
二人以上で同じことを行う:共同
心と力を合わせて助け合う:協同
複数の主体が共通の目的のために各々の特性や才能を合わせて対等な立場で協力して活動する:協働
協力して働くには「役割分担」が必要です。専門家は自分の領域を「聖域」としたがる、一緒に行うと言っていても排除の方向にぶれるケースが多い、介護施設チャプレンや教会宗教施設宗教者がその専有物として高齢者の方々、患者の方々の魂の不安や叫びに繋がりはしないか、現場で働いているひとへの心の丈を打ち分けやすくなる対象、ボランティア活動の透明化、病院なら清掃係の方々との繋がりで、不満・不安・悩みの打ち明け、そんな環境が必要になります。これは私たちの環境とも全く同じ、考え方・職種・夫々の素晴らしい能力が異なる方々がお互い重なる部分が大きければ大きいほどかつ役割分担が明確であれば明確であるほど、おおきな力が生まれます。高齢の方々、また末期の癌や難病に苦しむ患者さんの「救い」、そしてその方々への「癒し」や「慰め」は、歴史上の繋がりと共に様々な方々の横の繋がりを合わせていきます。それぞれの相手に対して、
ご家族:孤独感、寂しい、ひとりぼっち
医師 看護師 介護士 :怒りや苦痛の意味について問いかけ、生きる意味の喪失への訴え
臨床心理士 精神科医:無意味感、虚無感、罪責感、
チャプレン 宗教家  : 死後の自分の有無、天国の有無、先に亡くなった家族との再会
全てに共通するものは患者や介護や支援が必要な方々に対してその方々のために何ができるのだろう、ということです。互いの役割・能力・専門分野の知見知識・各分野の目的と限界が理解し合って重なり合う範囲が広がって「ひと」という横のつながりの中で本当の環境を作れるのではないでしょうか。自分達だけ救われたいのか、隣人も救いたいのか、もっと広く隣人ではない(クリスチャンではない)方々にも救いの手が差し伸べられるのか、その手は神様から差し出された手を待つだけなのか、私たちの祈りと共に私たちもイエス様と一緒に手を差し伸べるのか、そこに「繋がり」が現れるのではないでしょうか。