時間:10時30分~
頌栄=頌栄21-27
礼拝当日、10時30分より
「だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持って いるものまでも取り上げられる。」(マタイによる福音書 25 章 29 節)
はじめまして。井上良作と申します。
今朝は、泉北ニュータウン教会の礼拝にお招きいただきありがとうございます。
本日の聖書箇所は、おそらく皆さんがよくご存知の、「タラントンのたとえ」というイエスがなさったたとえ話です。『天の国はまた次のようにたとえられる。』(14節)とあります。神様は私たちの人生の後に天国へ招いてくださるというのだけれども、それは今この人生をどんなふうに生きるかということと繋がっているということです。
『ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。』(14、15節)
「ある人」には僕が三人いました。この主人と僕との関係は神様と私たちの関係をたとえています。主人はそれぞれの僕の「力に応じて」異なる額の財産を預けました。「タラントン」というの当時の通貨名が「タレント」、「才能」、「賜物」という言葉になっていることはご承知のことと思います。では、このタラントンというお金がどれくらいの額かと云うと、一タラントンは六、〇〇〇デナリオンに相当します。「デナリオン」はいくらなのかと云うと、「ぶどう園の労働者のたとえ」では、雇い主が労働者を一日一デナリオンの賃金で雇っています。今日の日本で考えて、労働者一日分の賃金が大体一万円ということにしましょう。一タラントンは六、〇〇〇万円、二タラントンは一億二千万円、五タラントンは三億円という大変大きな金額になります。たとえ、一タラントンだとしてものすごい大金です。この主人は大変な大金持ちです。
『早速、五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。』(16~18節)
二人の僕は預かったタラントンで「商売をして」、さらに儲けて預かった額の倍にしました。彼らは「商売=ビジネス」を起こしたということです。“business”は“busy”の名詞ですが、“busy”とは「空いているところを埋める」というような意味です。電話が話し中でふさがっているときには、“The line is busy.”と言われます。世の中の欠乏、人々の必要を満たしていくことが“business”です。二人の僕は主人から預かったお金を用いてそのようにビジネスしました。そこへ主人が旅行から帰って来て、僕たちと清算をしました。五タラントン、二タラントンの僕たちはそれぞれ預かったお金を倍の金額にして主人に返したところ、主人はたいそう喜んで、『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』(21、23節)と言いました。
ところが、一タラントンを預かった僕は何もせずに、ただ穴を掘ってそのお金を隠しておきました。そして、旅行から帰った主人に、預かったお金をビタ一文違えること無く返しました。すると、主人は非常に怒って言いました。『さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』(28~30節)
このたとえ話を理解する鍵は、一タラントンの僕が主人に報告するときに言った言い訳に秘められています。彼はこう言いました、
ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』(24、25節)
一タラントン預かった僕と他の二人の僕たちとの決定的な違いは、一タラントンの僕だけが主人に対してとても否定的なイメージを持っていたということです。「蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集める」という最悪な主人ですから、自分が何かやったらきっとダメ出しされる、叱られるに違いない。だから、文句を言われないように預かったお金には一切手も触れず地面の中に隠しておいた。
ところが、他の二人は異なります。彼らには主人に対する否定的なイメージは一切無く、むしろ非常に肯定的なイメージしか持っていませんでした。だから、何とかして主人を喜ばせたい。主人から預かったお金を役立てて何かをすれば主人はきっと喜んでくれるだろうとワクワクしました。彼らには恐れや不安や疑いが全く無かったのです。主人に対して抱いているイメージが僕たちの命運を決定的に分けました。はじめに言いましたように、主人と僕の関係は、創造主である、父なる神様と私たちとの関係を表しています。主人に対して持っているイメージが僕たちの人生のイメージとなりました。同じように、神様に対して持っているイメージがあなたの人生のイメージとなるのです。
創造主である父なる神様は私たち人間すべてを愛し、罪と滅びから救い出し、永遠の命を与えるために、御自分の独り子であるキリスト・イエスを十字架で死なせられた方です。私たちに本当の自由を与えるためなのです。