復活節第2主日礼拝
説教= 「エマオ」
吉村厚信 伝道師
聖書= ルカによる福音書24章13~35
可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。
動画は1種類です。
教会のYouTubeチャンネルは、こちらのURLです。
https://www.youtube.com/@senboku.newtown.church
※原則、ライブ中継のみとなります。当日用の新しいURLは、こちらのホームページの説教のページに、その都度掲載してまいります。よろしくお願いいたします。
礼拝当日、10時30分より
礼拝のライブ配信を致します。
当日のライブ中継のリンクは、
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方法は、こちらのページをご覧ください。
改めてイースターおめでとうございます。今日の聖書箇所、「エマオ」は地名でエルサレムから60スタディオン、約12km離れた村になります。そして地図上で「エマオ」から東南東に進むと今のイスラエルが攻撃している「ガザ地区」、そのような地理を想像してみましょう。この箇所はある意味で復活の「イエス様」を認めなければイエス様の受難と復活の意味は分からないことが大きなテーマです。私たちは日常イエス様の行いや教えを理解しているでしょうか。キリスト教の最も大切なイエス様を信仰し自分を愛するように隣人を愛することですが、私たちの行動は伴っているのでしょうか。「ガザ地区」の惨状はテレビやインターネットの報道で情報を得ることが出来ます。アラブ人とユダヤ人が共生する地域だったガザが、イスラエル建国のあとアラブ人の生命危機まで追い詰められて歴史が全く変わろうとしています。イエス様が十字架の刑に処せられた、そしてイエス様の墓は空だったその一部始終、復活したイエス様がともに居るこの二人の弟子たちの心の目が遮られた、イエス様の本当の意味を分りませんでした。弟子のひとりクレオパがその出来事を話していき「行いにも言葉にも力のある預言者だった」とイエス様に告げます。「言葉と行い」ではない「行いと言葉」の順に「祈りと共に行動することが大事」ではないでしょうか。この弟子たちはイエス様の旅が受難死を方向付けされていたことが分らずイエス様御自身が説明していきます。そしてイエス様はエマオから先を目指そうとされます。イエス様にとってエマオは目的地ではなく通過点だというのです。そして食事の時にパンを裂きます。「復活」は「パンを裂く行為」に準じて復活者と聖餐式の関係を聖書は明記しています。ときに弟子たちはその旅人が「イエス様」と認識した瞬間イエス様は消えてしまいます。弟子たちは「イエスがともに居てくださることが分かった」、イエスが生きておられる、即ち「復活」が分かったというのです。このことは二人の弟子たち同様に私たちにも「真理」ではないでしょうか。本日の箇所では二つのことを教えてくれています。ひとつは人間の目にはイエス様はみえない、でもそのことを覚え真摯に毎日を過ごす、神様は必ず傍に寄り添って下さるのではないでしょうか。もうひとつはイエス様にとって「エマオ」は目的の場所ではない、つまり終点ではないということです。肉体は無くなってもその先がある「大きな希望」ではないでしょうか。就労支援活動で介護施設清掃を行っていますがご入居者の中でおひとり気になるご婦人がおられます。ご入居者Tさんは私が就労援御利用者の掃除を見守りしていると私の手を握られ、「あったかいねえ」と仰いそしてどこかへ私を連れ出そうとされます。わたしには何かこの方若い時に一生懸命に「働いて」おられた、だからいま神様からの祝福があって当然ではないか、と思う瞬間がありました。神さまはこの方に寄り添っていてくれる、とこの方ご自身が何か一瞬「感覚的におられることが分かる」のはないでしょうか。





