時間:10時30分~
礼拝当日、10時30分より
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❶【信仰は行動であること】
男の人たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来ました。しかし群衆に阻まれて中に運び込むことができなかったので、屋根に上って瓦をはがして穴をあけ、病人を床ごとつり降ろしました。イエス様はその人たちの信仰を見て「人よ、あなたの罪は赦された」(ルカ5:20)といわれました。ここには「信仰を見て」と書かれていて、「信仰を聞いて」とは書かれていません。信仰というのはただ言葉だけではなく、行動を伴わなければならないものなのです。ヤコブは「行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。」(ヤコブ2:17)とも語っています。今では、イエス様は福音書の中に、礼拝の中に隠れておられます。あきらめないで深く読み続ける者、捜し求める者、何度も呼び求める者は、キリストという宝を見つけるでしょう。神様は隠れておられ、人間に捜してもらいたいのです。神が隠れるのは、本当に自分を必要とする者を見つけるためなのです。「求めなさい、そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば見つかる。」(マタイ7:7)
❷【罪の赦しと病の癒し】
この中風の人は、病気を癒してもらうためにやってきました。それなのにイエス様は病気の癒しではなく、まず罪の赦しを宣言なさいました。なぜでしょうか。教会はこの順序を重んじます。病いの癒しよりも、罪の赦しの方が重要だからです。多くの人は教会に「癒し」を求めてやって来ます。しかし教会が提供するのは「救い」なのです。癒しと救いは違います。癒しはこの世的なものであり、一時的なものです。いくら病気が癒されても、再び別の病気になり、最後は癒されずに死にます。癒しには限界があるのです。しかし救いは永遠のものです。イエス様が望まれるのは癒しではなく救いです。地上の一時的な癒しではなく、救いを求めなければなりません。すなわち、神キリストを求めるのです。
❸【病人の癒しは人類の復活のしるしであること】
イエス様が罪を赦す宣言をされたのを聞いて、律法学者は「神を冒涜するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったい誰が、罪を赦すことができるだろうか。」(ルカ5:22)と非難しました。そこでイエス様は「『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」と言われ、中風の人に「起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われると、病人は立ち上がり、神を賛美しながら帰ってゆきました。
皆さんは病気を癒すのと、罪を赦すのとどちらが易しいと思いますか。聖書では「罪が赦される」というのは、神様との関係が回復することを意味しています。病気を癒すことは簡単ですが、罪を赦すこと、つまり神様との関係が回復し、人が信仰者になることはものすごく難しいのです。イエス様に重い皮膚病を癒してもらった10人の人がいましたが、信仰するために戻ってきたのはたった一人だけでした。いくら病気が癒されても人は神を信じません。奇跡では信仰者は生まれないのです。しかしイエス様は、ご自分が罪を赦す権威を持つ者、つまり学者が言った神ご自身であることを教えるために、病気を癒し、信仰者を創造されたのです。
人々が恐れに打たれますが、それは神の栄光を見たからです。神が地上に現れ、人の罪を赦し、死から命に回復させられるのを見た、ということでしょう。天が、神が自分たちの近くにおられたということに対する恐れです。この病人の癒しは、人類の復活のイメージとして行われました。
土合竹次郎(どあい・たけじろう)という牧師さんがこんなことを言っています。「歳をとらないと分らない真理がある。最近になって確信をもったことがある。天国は行く所ではなく、来るものである。主イエスも、『御国が来ますように』と祈れと教えておられる。…死は永久の眠りの永眠ではなく、やがてキリストによって復活するまでのひとときの眠りにつく就眠である。」キリストはあなたと一体になるためにこの世に来ました。キリスト自身が天国です。あなたが天に昇るのではなく、天国の方からあなたの所に来てくれたのです。あなたを神の国に入れるためです。天上で罪が赦されるのを待つことなく、地上にいる時からあなたに罪の赦しを宣言するためにキリストは来ました。来世での復活を待つのではなく、この地上にいる時からあなたの中に復活を始めるためにキリストは来たのです。もしあなたが地上で彼と一体になるなら、罪も死もあなたを支配できないのです。あなたのすぐ隣に天国が来ておられます。だから大いに喜びましょう。