復活節第1主日礼拝
― イースター礼拝 ―
時間:10時30分~場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂
説教= 「見えざる手に導かれ」 池田清樹 牧師聖書= 「コリントの信徒への手紙2」第4章16〜18節(新共同訳 新約329、330頁)讃美=21-204, 讃美ファイル3,21-451, 21-27. 可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。
動画は1種類です。教会のYouTubeチャンネルは、こちらのURLです。
https://www.youtube.com/@senboku.newtown.church
※原則、ライブ中継のみとなります。当日用の新しいURLは、こちらのホームページの説教のページに、その都度掲載してまいります。よろしくお願いいたします。礼拝当日、10時30分より
礼拝のライブ配信を致します。当日のライブ中継のリンクは、「こちら」←をクリック、又はタップしてください。「制限付きモードが有効になっているため再生できません」という旨の表示が出た場合は、YouTubeの制限付きモードを解除してください。
方法は、こちらのページをご覧ください。
【説教要旨】
御教会の講壇の御奉仕ですが、恐れ入りますが私の42年間の牧師としての働きを振り返っての証しの形でお話しします。
私はかつて29才から41才までの12年間、この泉北ニュータウン教会で伝道師・ 副牧師として仕えていました。
1967年 22 才の時に阪和線の和泉府中のアパートに住み始め、初めて「阪和泉ヶ丘伝道所」(今は不在です)に出席していました。
私はその教会で、土山牧師と出会いました。
その教会は 15 名程の小さな集会であったこともあり、ほっとする暖かい雰囲気を感じました。
教会において何より大切なことは集うものが安らぎを覚えて、ほっとする雰囲気をいかに創るかということだと思います。
その頃の私は青年期の憂愁期を過ごしていたので、毎週礼拝説教の中に出てくるみ言葉の説き明かしを聞き続ける中で少しづつ心の中に救いの光明が点り始めました。
教会の持つ力はみ言葉です。その意味で教会は説教を語る者も聞く者も大切にする。そうして私は1967年12月23日のクリスマス礼拝で土山牧師から洗礼を受け教会の一員となりました。
その当時土山牧師はしきりに泉北ニュータウンの中で伝道していく夢を語っておられ、私も土山牧師の鞄持ちになって伝道の仕事をしようと牧師への道を開始しました。
同じ頃、妻の両親が建てた桃山台の住宅を会場にして泉北栂教会の伝道を開始することとなりました。
教会のことも信仰のこともよく知らない者だったので、とにもかくにもがむしゃらに学んだ当時でした。その経過の中で私は土山牧師との働きのスタンスにズレを感じるようになり、結局泉北栂教会の独立へと踏み切っていきました。
しかし、にもかかわらず、ぜひ覚えておいて欲しいことは泉北栂教会は泉北ニュータウン教会によって産み出された親子教会であるということです。
神は私たちの目には見えない。しかし、私たちの人生の歩みは、目には見えないものの、神の大いなる愛の御心の中で、不思議な御手に導かれて歩んでいくのだと思います。