時間:10時30分~
説教=「眠るイエス様」 井上隆晶牧師聖書=マルコによる福音書4章26~29節、35~41節
讃美=讃美歌21-55番「人となりたる神のことば」
讃美歌21-456番「わが魂を愛するイェスよ」
頌栄=讃美歌21-29番
可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。
礼拝当日、10時30分より
礼拝のライブ配信を致します。当日のライブ中継のリンクは、「こちら」←をクリック、又はタップしてください。「制限付きモードが有効になっているため再生できません」という旨の表示が出た場合は、YouTubeの制限付きモードを解除してください。
【説教要旨】
1【嵐に遭う舟】
夕方になって、イエス様は「向こう岸に渡ろう」と弟子たちにいわれました。ガリラヤ湖は海抜マイナス213mの谷底にあり、周囲を山が巡っているので、たびたび山からの突風が湖に吹きつけては嵐になりました。ベトロは漁師ですからそのことを良く知っていましたが、イエス様が言われたので仕方なしに彼らも従いました。弟子たちがイエス様を舟に乗せて漕ぎ出すと、案の定、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって水浸しになりました。昔からユダヤ人たちは水を怖がりました。 ノアの洪水で多くの人を滅ぼしたのも、エジプト軍を滅ぼしたのも水であって、水は滅びの道具として用いられたからです。しかしイエス様は「嘘の方で枕をして眠っておられ」 (38節)ました。 そこで弟子たちはイエス様を起こして「先生、私たちがおぼれてもかまわないのですか」と言いました。私たちも嵐の中の弟子たちと同じように祈ってきました。「神様、教会が潰れても構わないのですか。この世界が滅びても構わないのですか。神様が支配しているなら、どうして悪人を放っておかれるのですか。神様に任せておいて大丈夫なのですか。私たちの目には、あなたは眠っているようにしか見えないのです。」すると「イエスは起き上がって、風を叱り、湖に『黙れ、静まれ』といわれた。すると風はやみ、すっかり凪になった。」(39節)とあります。自然を従わせることができるのは神様だけです。実は神様が彼らと共に一つの舟に乗っているのです。でも弟子たちはそれにまだ気がつきません。イエス様は弟子たちに「なぜ、怖がるのか。まだ信じないのか。」(40節) と言われました。どうもイエス様はわざと弟子たちに嵐に遭う試練を与えているようなのです。
2【眠るイエス様】
私は最初、この物語を読んだ時「よくまあ、この人はこんな嵐の中で眠れるものだ」と思いました。 水をかけられたら普通の人は目が覚めます。水がかかっても眠り続けるなんてよっぽどこの人は疲れているのか、鈍感なのかと思いました。しかしイエス様は水がかかり、舟が沈みそうになっても眠り続けます。まるで幼子のようです。幼子は地震の時にも親を信頼してその胸で眠ります。眠るというのは委ねる最高の行為です。イエス様の眠りは、私たちに信仰とは何かを教えているのです。 嵐のような試練にあっても、神様を信頼して、すべてを委ねなさいと教えているのです。安心して水に飲み込まれなさい、つまり安心して試練に逢い、安心して死になさい、と教えているのです。 水に飲み込まれても必ず浮いてくる、死んでも必ず復活することをイエス様は信じていたからです。
3【キリストが共にいたら必ず復活する】
先ほど4章26節以降で「成長する種」のたとえを読みました。「神の国は次のようなものである。 人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、・・・」 (26~28節) 植物の生命力というのは本当に不思議です。枯れたと思っていた木が、いつの間にか芽を出し、次の日にはもう伸びています。いつ芽が出たのか、いつ成長したのか私たちは分かりません。私たちの気づかない内に、植物は成長します。それと同じように、神の国というのは私たちが気づかない内に成長し、 どんどん大きくなって広まり、やがて実を結ばせるというのです。この土に蒔かれた種とはキリスト自身であり、キリストの命です。土とは私たちのことです。このキリストの命という神の種が私たちの中に蒔かれたのです。この神の種は決して死なない命です。人間は神様に任せてただ寝起きしていればいいのです。安心してこの神の種と共に死ねばいいのです。このキリストという種を持っていたら必ず生きることになるからです。キリストの決して死なない命の種が今も、私の中に生きています。私が死んでも、この神の種が私を蘇らせます。だから、楽しいのです。わくわくするのです。キリストに一切を委ねて、安心して眠りましょう。