時間:10時30分~
ルカによる福音書19章1~10節
讃美=21-18, 21-432
頌栄=讃美歌21-29番
可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。
礼拝当日、10時30分より
礼拝のライブ配信を致します。
当日のライブ中継のリンクは、
「こちら」←をクリック、
又はタップしてください。
「制限付きモードが有効になっているため再生できません」という旨の表示が出た場合は、YouTubeの制限付きモードを解除してください。
当日のライブ中継のリンクは、
「こちら」←をクリック、
又はタップしてください。
「制限付きモードが有効になっているため再生できません」という旨の表示が出た場合は、YouTubeの制限付きモードを解除してください。
方法は、こちらのページをご覧ください。
【説教要旨】
①【イエス様を見ようとしたザアカイ】
エリコの町にザアカイという徴税人の人がいました。このザアカイが、なぜか「イエス様がどんな人か見ようとした」というのです。それは、自分と同じ徴税人を弟子にしている人がいるという噂を聞き、そのイエスというお方に興味が湧いたからだと思います。イエス様を見るために出かけたのですが「背が低かった」 (19:3) ため群集に遮られて見ることが出来ませんでした。しかし彼の中のイエス様を見たいという思いは収まらず、何としても望みを果たそうとします。彼は走っていって先回りし、いちじく桑の木に登り、その葉の影からイエス様を見たのです。私はこの物語を読むと、エデンの園のアダムを思い出します。その昔アダムは神の顔を避けて、園の木の間に隠れましたが、ザアカイはその神の顔を見るために木に登りました。ここに人間の回復の始まりを見ます。私たちがどんなに罪深くても、それは神と出会うための障害になりません。本当の障害は、罪深さではなく、キリストに期待しないことです。
②【回心とは=この世ではなく、キリストを見ること】
この物語には「見る」という言葉が5回も繰り返されています。この物語は「見る」ことがテーマです。人間の五感「視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚」はもともと神を知り、神と交わるための道具として造られました。しかしそれは神に向けられるのではなく、この世に向けられたのです。創世記のエデンの園の箇所で「女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け」(創世記 3:6) と書かれています。その木とは善悪の知識の木であり、神が「食べると必ず死んでしまう」 (創世記2:17)と、食べることを禁じた木です。この善悪の知識の木とは神を抜きにしたこの世の象徴です。この世は神よりも魅力的に見え、私たちの目を引き付けます。この世は私たちを喜ばせ、この世の中に命があると思わせます。最初の堕落はこの世を「見ること」から始まりました。 私たちは「食べると必ず死んでしまう」(創世記2:17) という言葉を、軽く聞いています。この世を求めたくらいでは私たちは死なないと思っています。修道士たちは「悪魔は穴が空いたところから入って来る」といいましたが、目からは汚れた映像、耳からは汚れた言葉、口からは過度の飲食が入って私たちの魂は汚れてしまうのです。しかし教会に帰ると私たちの五感が神に向かって正しくリセットされるので人に戻ることができるのです。イエス様はいちじく桑の木の下まで来ると足を止められ、上を見上げて言われました。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」(19:5) 驚くべきことに、イエス様の方からザアカイに声をかけられました。ザアカイは自分がイエス様を求める以上に、イエス様が自分を求めていたことを知りました。ザアカイは急いで木から降りてきて、喜んでイエス様を家に迎え入れました。
③【私は、本当は美しい】
イエス様は「この人もアブラハムの子なのだから」と言われました。私たちはみな神の子なのです。 昔の教父たちの言葉を借りるなら「わたしは黒いけれども愛らしい」(雅歌1:5)のです。「罪は私の一部であって全てではない、私は、本当は美しいのだ」と言いましょう。罪も死も病気も私たちの本性ではありません。後から着いた習性です。イエス様は私たちの中の美しいもの、神がお造りになった本当の私を信じ、見ていてくださいます。そこがキリストとつながった時、必ず開花するのです。北陸学院高校の教務教師である高田恵嗣(けいじ)牧師は、「きれいなものを見る、きれいな言葉を聞くことは力になるのです。綺麗ごとを言うな!というけれど、綺麗ごととは、人の本来あるべき姿なのです。そこを目指して生きようと思えるのです。教会は人のあるべき姿を語り続ける場所でありたい。」と言われました。神が人になったのは、人を神に似た者にするためです。キリストの愛と創造の業に期待しましょう。主は必ず、私の中に眠っている美しいキリストの似姿を開花させ、主に似た者に変容させてくださるでしょう。
