―待降節 第2主日礼拝―
――アドベント第2主日礼拝――
時間:10時30分~
場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂
可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。
少しずつ歳末を迎えて、シャッター街が増えたと言われる現在でも、人通りの多い商店街はまだまだ健在です。改正道路交通法など気にせず、荷物を自転車に満載して行き交う人々の姿は今でも大阪の下町では健在です。物価が高くなるほど人々は少しでも安いものをとチラシを手にして買い出しに走ります。その慌ただしさはニュータウンの比ではないように思います。そのような時に教会のクリスマス関連のトラクトを配る人がいます。その多くが捨てられていきます。それでも人の波の潮目を見極めながら、家族連れやご高齢の方々に笑顔で接する人々は、虎視眈々と安売りの商品を買い求める群れとは異なる表情をしています。日々の暮らしに汲々としている人には分かりませんが、それでも分かる人には分かるという具合です。とは言え、イエス・キリストはどのような人のために生まれたかと申しあげれば、笑顔でトラクトを受けとる人だけでなく、暮らしに汲々としている人々のためにでもあります。
それでは人の子イエスが譬えをもって教えを語った後に向かったナザレの村人はどのような人々だったのでしょうか。それは言わずもがな日々の暮らしに窮し、その暮らしに追われる他に道がなかったに違いありません。人の子イエスはその時代のユダヤ教の律法学者ではなく、言わんや牧師でも神父でもありません。人の子イエスもまたナザレの村では本来は大工という家業を継ぐべき若者であり、だからこそ次のように会堂で教えている人の子イエスの様子を見て語ります。「この人は、このような知恵とこの奇跡をどこから得たのだろう。この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹達は皆、我々と一緒に住んでいるではないか。この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう」。
暮らしに追われるナザレの村人の目に、人の子イエスがこのようにしか映らなかったとしても無理はなかったことでしょう。村人のこの言葉からは人の子イエスの家族構成こそ分かるものの、「わたしたちは見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ」という使徒パウロの言葉さえ響くかどうか考えるところです。しかし、それでこそ救い主が人の姿を見にまとって世に現れたという言葉がわたしたちに迫るのではないでしょうか。
『ルカによる福音書』でイエスの母マリアと父ヨセフは徴税のための「住民登録」のために皇帝アウグストゥスの命令で、このナザレという村から故郷ベツレヘムへの旅を強要されました。皇帝の命令に無理強いされた旅人の群れに夫婦は身を置くほかありませんでした。そしていのちを身に宿したままの旅という危なさを経ながらも、この若い夫婦を迎え入れるはずの人々は故郷にはおりませんでした。どの宿屋からも客としてもてなしを受けず、親戚を頼るわけにもまいりませんでした。その中で飼い葉桶を初めての居場所としたのが人の子イエスだったのです。「わたしたちは見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ」という言葉に、今や神の愛の力が注がれます。使徒パウロは人の子としてのイエスとの出会いはなかったと言われています。しかし生活に汲々としながらもイエスを救い主だと仰ぐ人々を律法学者として弾圧しながらも、その後キリスト者とされた折に、人の子イエスの人物やイエスの起こした愛のわざ、そしてその教えとその生涯を他の弟子だけでなく、人の子イエスを知る多くの人々からその様子を聞いたとも言われています。人の子イエスと救い主イエス・キリストは決して分離はされません。
わたしたちが世の事々、しかも多くが目を覆いたくなるような事々に気をとられたり、家族の不幸に身を置くほか術が無かったりしたときに「神さまあなたはどこにいるのですか」と涙ながらに嘆くほかない場合があります。また世の不正を糾すため懸命になってはみたものの、心身疲れ果てるばかりでなく、心すら病む場合もあります。家財を失ったときも同じです。そのようなときにこそ、飼い葉桶の中に横たわるみどり児が何者であるのかと問うてみてはいかがでしょうか。問いかけるうちに、そのみどり児がイエス・キリストであるとの確信を授かるはずではないでしょうか。飼い葉桶にみどり児を授かるとは、イエス・キリストを授かることに他なりません。この神の愛に裏づけられた出来事こそが、いかなる困難にも、いかなる悲しみにも、いかなる嘘偽りにも勝利するための足場となります。みどり児はキリストとしてお生まれになりました。誰からの苦言も疑問も遠ざける信実を、わたしたちはすでに授かりつつ、その日を待ち続けるのです。