時間:午後7時30分~
【説教要旨】
説教=「天使の観た世界とは」
稲山聖修牧師
聖書=『マタイによる福音書』2章 1~12節
動画は2種類
(動画事前録画版、ライブ中継動画版)
ございます。
説教動画は「こちら」←をクリック、
又はタップしてください。
礼拝当日、10時30分より
礼拝のライブ配信を致します。
ライブ中継のリンクは、
「こちら」←をクリック、
又はタップしてください。
(動画事前録画版、ライブ中継動画版)
ございます。
説教動画は「こちら」←をクリック、
又はタップしてください。
礼拝当日、10時30分より
礼拝のライブ配信を致します。
ライブ中継のリンクは、
「こちら」←をクリック、
又はタップしてください。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、お願い致します。
説教動画の方をご覧頂きます様、お願い致します。
「制限付きモードが有効になっているため再生できません」という旨の表示が出た場合は、YouTubeの制限付きモードを解除してください。
方法は、こちらのページをご覧ください。
方法は、こちらのページをご覧ください。
クリスマスは12月25日、クリスマスイヴは12月24日と倣いが決まっているもの、つまり固定聖日であるとの認識に基づいて、これまでの日本ではクリスマスがお祝いされました。しかし最近では他宗教への配慮という観点から「メリークリスマス」ではなく「ハッピーホリデー」との呼び方もされます。とはいえ日本でキリスト教はファッションとして、商業化された祝祭としての理解が殆ど。思えばムスリームやムスリーマへの偏見と差別も目立つようになりました。それだけに、教会のようにあえて日曜日、則ち聖日をクリスマス礼拝に指定する態度もひとつの表明かと考えます。むしろその方が大勢の人々が寝泊まりした宿屋からは相手にされなかった父ヨセフと母マリアの見守る中で、飼葉桶に安らうみどり児イエスの誕生を祝うには相応しいかもしれません。
さて本日の週報をご覧になりますと、クリスマスに因んだ讃美歌が列挙されています。その中でこれまでの日本のクリスマスの讃美歌の倣いからは違和感を覚える歌はないでしょうか。そう、頌栄の「主よ、おいでください」と訳された讃美歌がそれです。『讃美歌21』には「アフリカ民謡」と記されます。しかしこれはアフリカ民謡ではありません。アフリカから北米大陸へと連れてこられたアフロ・アメリカン、黒人奴隷を先祖にもつアメリカ人が、祖母や祖父の代から大切してきた部族の歌、日本でいう民謡に己の生活状況を重ねて歌い継がれてきた讃美歌です。歌詞には今のところ四つの版があるそうですが「泣いている人がいます(Someone’s crying, my Lord, kumbay ya)」という歌詞を「嘆きを聞いてください、クンバーヤー(Hear me crying my Lord, kumbay ya)」とする版もあり、この訳ですと救い主を待ち望むという気持ちがより切実になります。また二つの歌詞を並べますと、悲しみに打ちひしがれている人と、その人に寄り添おうとする人との関係を歌う内容にもなります。クンバーヤーは「こちらに来てください」の意味で、歌う人々のキリストの訪れを待ち望む切々たる叫びです。キリストの救いを願い歌う讃美歌であり、飼葉桶のキリストを訪ねた人々を包むメロディーでもあり、今、人生の行方を前に途方に暮れている方々を包む歌声だとも言えます。
「本当のクリスマスをあなたに」という種々のポスターを見かける季節でもありますが、本当のクリスマスとはいったい何でしょうか。それは「誰とともにいるのか」という問いかけに決してたじろがないクリスマスを指すのではないでしょうか。『聖書』のクリスマス物語に描かれる天使そのものは、神ではなく、人でもなく、救い主でもありません。けれども今なおわたしたちを見つめ、世の常識からすれば出会うことのなかった人々をイエス・キリストのもとに招き、勇気づけ、冷たい夜に熱い神の愛をそそぎ、明日への希望を告げ知らせた声ではなかったかと思います。イエス・キリストを通して、その声は今も人々に向けて主イエス・キリストの誕生を呼びかけています。