―降誕節第2主日礼拝―
時間:10時30分~
場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂
説教=「神に育まれる少年イエス」
稲山聖修牧師
聖書=『ルカによる福音書』2 章41~52 節
(新約104 頁)
讃美= 21-257.21-412.21-29.
可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。
ローマ・カトリック教会や東方オーソドックス教会では権威ある「聖家族」として描かれる母マリア・父ヨセフですが、本日の箇所では思いもよらない息子の成長に戸惑う両親の姿が実に写実的に描かれます。貧しいながらも家族は毎年過越祭を祝うためにエルサレムへ旅を繰り返します。おそらくその負担も決して軽くはなかったと思われますが、それでも両親の背中を通してその生きざまはまことに質素な出で立ちながらも伝わるところはあったでしょう。
ところで本日の箇所では人の子イエスの12歳を迎えた過越の祭の旅路が描かれます。今の時代の12歳と『新約聖書』の時代の12歳では時の密度が異なり、おそらく現在の少年よりは成熟していたのではないでしょうか。両親もおそらくはこの旅が家族最後の旅路であろうと考えたかも知れません。しかし事件は祭の期間が終ってから起きます。「少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった」その記事。マリアとヨセフはあろうことか息子イエスをエルサレムに置いてきてしまいました。単にマリアとヨセフがイエスを置き去りにしたとは考えられません。おそらくはそれまでの旅のパターンでは少年イエスもまた両親についてきたことでしょうが、この年になって両親が予想もしなかった行動に少年イエスは出てまいります。マリアとヨセフは一日そのままイエスがついてくるものだと思い込み、そのままナザレへと道を進んでしまいました。けれども振り返るとそこに息子の姿はありません。そのような具合ですから慌てふためきながら旅を同じくしていた親類や知人の間を捜し回りますが、そこにもおりません。それでは少年イエスは何をしていたのでしょうか。
それはエルサレムの神殿に留まり、律法学者たちの真ん中で、その時代のユダヤ教の聖書をめぐる対話に熱中していたのです。言葉のやりとりは決して洗練されてはいなかっただろうとはいえ、その指摘に並み居る律法学者たちも目を輝かせて対話を楽しんでいたのではないでしょうか。それではこの三日間、少年イエスはどこで何をしていたのかといえば、その言葉のやりとりに惹かれた律法学者のところで寝食を整えられていたとも言えるでしょう。明らかに少年イエスは両親の保護から自立し始めました。
この無届けの外泊に母親は当然ながら「なぜこんなことをしてくれたのですか。ご覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです」と叱りつけます。しかし興奮した母の言葉に少年イエスは「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」。この答えに「両親はイエスの言葉の意味が分からなかった」と福音書の書き手は記します。この箇所で明らかに少年イエスは両親の手から離れ、将来の救い主としての片鱗を見せ始めました。この謎の言葉の後に、少年イエスはともにナザレへと戻り、両親に仕えて暮らしたとあります。マリアとヨセフもまた、息子の自立には首を傾げること多々あったとの物語です。
この物語を通して、わたしたちは未来を拓く次の世代の若者たちの言動に戸惑うように、いわゆる「聖家族」も首を傾げていたその態度に自らを重ねます。しかしその理解できない立ち振る舞いが、洗礼者ヨハネのもとで始まる救い主としての歩みに繋がってまいります。
「最近の若い者は」という言葉。これはみなさまもご存じのように、古代エジプトの遺跡の落書きからも、古代メソポタミアの粘土板からも見つけられています。その気持ちは確かによく分かるところではありますが権威ある「聖家族」像とわたしたちの異なるところがあるとすれば、それでもなおマリアとヨセフは息子のイエスを信頼し続けたところに重なるところがあります。たとえ息子が周囲の評判としてユダヤ教の文化圏での「メシア」と呼ばれようとも、逆に「頭がおかしくなった」と囁かれようとも、幾つになってもこどもを信頼しない親はおりません。育児に必死になっている両親の姿を決して侮ることなく、むしろ救い主の成長物語の一幕に加えているところが、わたしたちの胸にも染み入るところです。巷でどのような言葉が溢れようとも、聖家族が息子を信頼したように、次の世代の背中を押してまいりましょう。人の子は神の愛に育まれて成長します。神の愛の光をわたしたちは映し出すのです。
