可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。
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(動画事前録画版、ライブ中継動画版)
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太陽暦かつ共通紀元(西暦)では2026年を迎えました。1月6日まではクリスマスですので、仮にみなさまのお家にクリスマスツリーが飾ってあったとしても教会から観ればおかしいところはありません。ただし東アジアには新たな年を大いにお祝いするという習慣があります。日本や韓国では西暦の元旦が特別な意味をもちますし、中国では旧暦の正月が重んじられ日本にも多くの観光客がお見えになります。欧米に比較いたしますと東アジアの場合、近代化の時期が遅れておりますので、それぞれの国の歴史に根ざすところの礼儀作法が時にお互いの交流を勧めもすれば妨げもします。生活習慣の違いに基づく摩擦がお互いの国々の友情を妨げないようにと祈るところです。
さて2026年の元日の礼拝で開きますのが『出エジプト記』12章43~51節、ユダヤ教徒にはわたしたちには正月以上の意味をもつ「過越の祭」の規定に関する文章です。なぜこの『出エジプト記』を開いたかと申しますと、人の子としてはユダヤ教を背景にして育ったイエス・キリストもまたこの記載を重んじ、弟子たちだけでなく直接には人の子イエスとの出会いを経なかった使徒パウロもまた当然のように重んじたという点で、元旦礼拝に相応しいと考えたからです。もちろんこの過越の祭はわたしたちにとりましてはイエス・キリストを通した神の愛によって、記された様々な制約が廃されまして、すべての民へと罪からの解放、歴史や構造に基づく束縛からの解放が声高くうたわれます。ただし「解放の物語」と申しましてもわたしたちには今ひとつピンと来ないようにも思われるのではないでしょうか。
『出エジプト記』はアブラハムの神による奴隷解放の物語として知られておりますけれども、よくよく考えるとわたしたちはこの「解放」という言葉を「潔よし」とはしない習わしや文化に縛られています。生徒は学校や受験に縛られ、農家は土地に縛られ、会社員は企業に縛られ、公務員は国や地方自治体に縛られると申します。そのような日々を過ごす中で、働く場所での仕事を尊いものであるどころか神聖化し、それにすがるという性癖をわたしたちは持っています。仮に合理的ではなかろうともそのような組織の習慣や掟について行けない人々は仲間はずれにされる、または「常ならぬ者」として「異常者」として「個性的」の言葉の裏で扱われます。
しかしイスラエルの民はわたしたちのこのような倣いとは正反対の態度をとります。すなわち、人々にとって大切なのはアブラハムの神の祝福のうちに開かれた道を、信頼に満ちてあゆむことであって、何が何でも一箇所に留まり続けるという態度ではありません。これをイエス・キリストとの関わりのなかで受け取り直すのであれば、まさしくキリストを信頼して、キリストに委ねて祝福された道を行くという理解へと繋がります。そう言えば、飼葉桶のイエスに黄金・乳香・没薬を献げた三人の博士たちも、夢で聞いた「ヘロデのところへ帰るな」との言葉に導かれて、別の道を通って各々の祖国へ帰っていきました。
今年の干支は馬とされています。家畜化された馬は『聖書』では専ら軍事用に用いられるばかりですが、北米大陸に住む、実際の野生の馬は絶えず居場所を変えてまいります。アフリカのシマウマもまた同じです。同じ神の被造物であるのにも拘わらず、動物に赦されて人間には赦されない態度といえば「逃げる」という姿勢です。とりわけ捕食される側の動物には「逃げ足が速い」とはその特徴だけで捕食者に対する決定的な武器とさえなります。「逃げるは恥だが役に立つ」とはドラマにもありましたが、もともとはハンガリーの諺だとされます。
『出エジプト記』の過越の祭の規定に記された諸々の規定にある制限をイエス・キリストが自らの内に取り込んでくださり、本来の神の愛に基づくわざである解放の視点に立ちますと、縛られた一方向に基づく考えからも自由にされます。『ヨハネによる福音書』8章32節には「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」とのイエス・キリストの言葉が刻まれます。この新しい年、わたしたちがイエス・キリストにあって逃れの道を見出すのであれば、それは単なる「逃避」に繋がる惨めな道ではなくて、主なる神が示すところの約束の地へと続く道となるに違いありません。立ちはだかる岩があれば、その岩を砕こうと留まるのも道かも知れませんが、急がば回れとばかりに迂回するという道もあります。奴隷解放の神に解き放たれた60万人とも言われるイスラエルの民は、多くの躓きを覚えながらも、二世代を経て「乳と蜜あふれる約束の土地」へと到達します。わたしたちの主イエス・キリストに祝福された2026年の年末の喜びは、すでにこの元旦から始まっています。
