―聖霊降臨節 第21主日礼拝―
時間:10時30分~可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。
本日は世界聖餐日・世界宣教日。思えば泉北ニュータウン教会の創立者・土山牧羔牧師は、国際連合の組織であるOMEP(「世界幼児教育・保育機構」)のメンバーとして東西冷戦の「鉄のカーテン」を乗り越えて世界を飛び回っておられました。その精神を継承した渡辺敏雄牧師がご健在のころ親睦を深めた方々にはタイ北部に暮らす少数民族との交わりがあったとのことです。代表的な民としてはアカ族・カレン族・モン族・ヤオ族・ラフ族・リス族・フモン族・チャオカオ族がおり、特にカレン族にはキリスト者が多いとのことです。そのような少数民族とタイの人々の交わる街がタイ北部のチェンライ。為替ではタイバーツが円の四倍を数える世となり、もはや日本のNGOが支援するまでもないと言われる時代、人々はすでに大衆消費社会を迎えているようです。 しかし今年の九月、チェンライ、そして少し南にある古都チェンマイでは豪雨の結果、大小の川が溢れて大規模な洪水が起きました。能登半島のような急峻な河川ではないので流木が人々のいのちを奪うほどに流れてはこないとの話でしたが、タイの河川は概ね護岸工事がありません。だから雨期に雨が降れば洪水は想定内。そのあたりの方々の生活感覚としてはわたしたちとは異なるのかもしれません。いずれにしても、それもまた生活の一部として織り込みずみの人々は、飄々と後片づけに勤しんでいる模様です。
しかし土地計画にしても開発事業に関しましても、この日本の方がはるかに急峻な土地を開拓して人々は暮らしてきたのだと、少しずつ集まる奥能登の水害の報に耳を傾けますと何とも言えなくなります。能登半島で片付けに励む人々は無表情で動きます。そして「涙も出ません」と取材班に呟くのが精一杯の作業が続きます。
かつて日本に暮らす者は欧米人に較べて無表情だと言われてまいりました。少なくとも底抜けな明るさはそこにはなく、男性は涙を滅多に見せてはいけないし、女性も取り乱してはならないと躾けられました。動揺が伝わるのを防ぐ一面はあるのかもしれませんが、それでは心を病む人も少なからず生じます。
そのような「無表情さ」を求めるあり方を人の子イエスに重ねますと様々な課題が鮮やかに見えてまいります。本日の箇所では本来は癒されるべき瀕死の兄弟ラザロが息をひきとりすでに葬られてしまったという冷徹な現実にあって、ラザロの姉妹マリアは人の子イエスの足もとにひれ伏し、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と呻くほかありません。イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して言われます。「どこに葬ったのか」と。「ユダヤ人たちは、『主よ、来て、ご覧ください』と言った。イエスは涙を流された」、と福音書にははっきり記されます。
ラザロのいのちを救うために、家族は東奔西走したに違いありません。このような描写は、ラザロの暮らすベタニアが、人の子イエスのいのちを狙う人々の大勢いるところだという弟子たちの先入観や偏狭さを浮き彫りにします。ベタニアの民に対する弟子の恐れは、恐怖に基づく萎縮と決めつけに満ちていたのでしょう。
イエス・キリストはラザロを甦らせる前に、ベタニアの民と「涙の共同体」を形成します。それは神によって赦された涙であり、信頼と平安あればこその涙です。流される涙はその人の気持ちや心を守り支えます。
今年もまた告別式の多い一年となりました。様々な打ち合わせを経ながら、わたしたちは涙を流すことすらできなくなる忙しさに置かれます。そのように敢えて忙しくして涙を流す暇もない状態にする支援もあるのだとの他宗教の考えもあります。しかしやはり人は涙を流して初めて次のステップに進めるようにも思えます。わたしたちの間では、時に隠し、そして時に街の片隅で人目を憚らなければならないと躾けられた涙。しかしイエス・キリストは超然として世に向きあうのではなく、ともに涙を流しながら、ベタニアの人々とラザロの死を悼んで交わりを一層深めたところで「死は終わりである」との人々の思い込みに亀裂を生ぜしめます。ラザロは必ず甦るのです。そしてその姿はイエス・キリストの復活をも意味しています。痛ましさに震えるかの地にあって、イエス・キリストは人々の傍らにそっとともにおられるのではないでしょうか。背中をさすりながら、涙を流してよいのだと語りかけておられるのはないでしょうか。イエス・キリストの平安はそのような道筋を幾度も重ねてもわたしたちを決して見放しはいたしません。ともに福音を味わい、キリストの平和をともにしましょう。