時間:10時30分~
押し寄せる津波にレンズを向けるカメラマンもまた、自宅を同じ津波で失う。あるいは家族や親戚に犠牲者が生じる。スマートフォンでの動画撮影と並んで、そのような報道はマスメディアにあっても例を見なかったように思います。阪神・淡路の震災には、被災から距離のあるところから取材に来たマスメディア関係者に罵声を浴びせる人々の姿があり、そしてその人々にお詫びするという記録映像がありましたが、東日本大震災では「普段はここからわたしの家が見えるのですが、家は流されて全くありません」との音声がありました。撮影位置のベストポジションに入ると、挨拶しているご近所の人々の逃げ惑う姿が映り申し訳なく、撮れない。しかし自宅が流されるのであれば一当事者として状況を伝えられる、と当時を振り返るカメラマンもいました。なぜわたしはその場に立ち会ってしまったのかと、国際的な写真賞を受賞するほどに重圧に耐えきれなくなる当時の青年カメラマンもおり、「救助のヘリコプターでなくてごめんなさい」と深く葛藤する空撮班の班員もいました。津波に流される自宅を撮影したカメラマンは語ります。「復興って何なのでしょうね。もしかして100人いれば100通りの復興があって、もしかして復興できた人がいるかも知れないし、一生復興できない人もいるかもしれない。もしかしたら本当の復興とは施設や家の整備だけではなく、心の復興が終ってからの復興かと思いますが、それができないままの人もいるのかもしれない。ただ取材する側としてはそれも含めて復興にはこれだけ大変であり時間がかかることは伝えていかなくてはならないとの意識があり、思いがあります」とのお話でした。
本日描かれる物語はラザロという青年とその家族を軸にして描かれる『ヨハネによる福音書』の名場面です。病に罹患し瀕死の兄弟ラザロのためにイエスを捜し求めるマリアとマルタ。協力する人々がようやく人の子イエスを見つけ出します。「もう一度、ユダヤに行こう」と弟子に促す人の子イエス。しかし弟子の群れは決して結束が堅くはありません。「ラビ、ユダヤ人たちがついこの間もあなたを石で打ち殺そうとしたのに、またそこへ行かれるのですか」。ラザロが病床にいるベタニアは、弟子には身の破滅を招きかねない場所でした。「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く」。物分かりの悪い弟子は「主よ、眠っていれば助かるでしょう」となるべく関わりから遠ざかろうとしますが、この声に「ラザロは死んだのだ。わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう」と「その場に居合わせなかった」とのあり方が「ラザロの甦り」の出来事により深くつながるかけがえのない機会となるのだと人の子イエスは意味づけます。この「ラザロの甦り」は後にイエス・キリストの十字架と復活の兆しとされてまいりますが、この混乱のなかでただひとり、自らの恐れを振り払うようにして「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と仲間を鼓舞する弟子がいます。それがディディモと呼ばれるトマスであり、怯える弟子の群れのなかでは意気盛んな者として際立ちます。しかし、イエス・キリスト復活の折には、その復活の出来事を頑なに拒みもする弟子でもあると、わたしたちは後から気づかされるのです。
十字架にイエス・キリストが釘打たれ、いのちを失うという絶望。イエスと熱心に関わろうとした弟子であるほどに、その絶望は深かったと記すようです。何事かに懸命に取り組んでいればこそ、何もかも失った、あるいは期待を裏切られたとの失意の痛みもまた直ちには癒しがたい傷となります。そのような人々を神は引きあげます。先ほど「伝えなくてはならない」と語ったカメラマンは自宅兼仕事場再建のため80歳にいたるまでの多額の返済を抱えました。しかし。
死への勝利を全地に知らせるキリストの復活。神の愛なくしては不可能な可能性。この人は必ずやり遂げるとの信頼を、一見重苦しく見えるその負債は、実は想像もできないほど豊かな刈入れとしても示しているはずです。今なお迷いと苦しみに喘ぐ人々の涙を、イエス・キリストはともに分かちあい、つつんでくださります。
可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。
たまたまそこにいればこそ。たまたまその場に住めばこそ。何ということもない理由から自然災害に巻きこまれ、人生行路を変えられてしまった人々は後を絶ちません。家族を失い、住まいを失いというところから始まって10年、30年を経てもなお消せない記憶を抱えながら日々の暮らしに向きあう人々は、戦争体験者と入れ替わるように増えています。東日本大震災から14年目へと向かうなか、その時に報道カメラマンとして働いた方々の振り返りもまた世に出ようとしています。押し寄せる津波にレンズを向けるカメラマンもまた、自宅を同じ津波で失う。あるいは家族や親戚に犠牲者が生じる。スマートフォンでの動画撮影と並んで、そのような報道はマスメディアにあっても例を見なかったように思います。阪神・淡路の震災には、被災から距離のあるところから取材に来たマスメディア関係者に罵声を浴びせる人々の姿があり、そしてその人々にお詫びするという記録映像がありましたが、東日本大震災では「普段はここからわたしの家が見えるのですが、家は流されて全くありません」との音声がありました。撮影位置のベストポジションに入ると、挨拶しているご近所の人々の逃げ惑う姿が映り申し訳なく、撮れない。しかし自宅が流されるのであれば一当事者として状況を伝えられる、と当時を振り返るカメラマンもいました。なぜわたしはその場に立ち会ってしまったのかと、国際的な写真賞を受賞するほどに重圧に耐えきれなくなる当時の青年カメラマンもおり、「救助のヘリコプターでなくてごめんなさい」と深く葛藤する空撮班の班員もいました。津波に流される自宅を撮影したカメラマンは語ります。「復興って何なのでしょうね。もしかして100人いれば100通りの復興があって、もしかして復興できた人がいるかも知れないし、一生復興できない人もいるかもしれない。もしかしたら本当の復興とは施設や家の整備だけではなく、心の復興が終ってからの復興かと思いますが、それができないままの人もいるのかもしれない。ただ取材する側としてはそれも含めて復興にはこれだけ大変であり時間がかかることは伝えていかなくてはならないとの意識があり、思いがあります」とのお話でした。
本日描かれる物語はラザロという青年とその家族を軸にして描かれる『ヨハネによる福音書』の名場面です。病に罹患し瀕死の兄弟ラザロのためにイエスを捜し求めるマリアとマルタ。協力する人々がようやく人の子イエスを見つけ出します。「もう一度、ユダヤに行こう」と弟子に促す人の子イエス。しかし弟子の群れは決して結束が堅くはありません。「ラビ、ユダヤ人たちがついこの間もあなたを石で打ち殺そうとしたのに、またそこへ行かれるのですか」。ラザロが病床にいるベタニアは、弟子には身の破滅を招きかねない場所でした。「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く」。物分かりの悪い弟子は「主よ、眠っていれば助かるでしょう」となるべく関わりから遠ざかろうとしますが、この声に「ラザロは死んだのだ。わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう」と「その場に居合わせなかった」とのあり方が「ラザロの甦り」の出来事により深くつながるかけがえのない機会となるのだと人の子イエスは意味づけます。この「ラザロの甦り」は後にイエス・キリストの十字架と復活の兆しとされてまいりますが、この混乱のなかでただひとり、自らの恐れを振り払うようにして「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と仲間を鼓舞する弟子がいます。それがディディモと呼ばれるトマスであり、怯える弟子の群れのなかでは意気盛んな者として際立ちます。しかし、イエス・キリスト復活の折には、その復活の出来事を頑なに拒みもする弟子でもあると、わたしたちは後から気づかされるのです。
十字架にイエス・キリストが釘打たれ、いのちを失うという絶望。イエスと熱心に関わろうとした弟子であるほどに、その絶望は深かったと記すようです。何事かに懸命に取り組んでいればこそ、何もかも失った、あるいは期待を裏切られたとの失意の痛みもまた直ちには癒しがたい傷となります。そのような人々を神は引きあげます。先ほど「伝えなくてはならない」と語ったカメラマンは自宅兼仕事場再建のため80歳にいたるまでの多額の返済を抱えました。しかし。
死への勝利を全地に知らせるキリストの復活。神の愛なくしては不可能な可能性。この人は必ずやり遂げるとの信頼を、一見重苦しく見えるその負債は、実は想像もできないほど豊かな刈入れとしても示しているはずです。今なお迷いと苦しみに喘ぐ人々の涙を、イエス・キリストはともに分かちあい、つつんでくださります。