―聖霊降臨節 第17主日礼拝―
時間:10時30分~
本日の『ヨハネによる福音書』10章1~6節では、羊の群れ、羊飼い、羊の囲い、そして門番というその時代の牧畜のありかたが具体的に記されています。羊の群れは囲いによって保護され、そしてその囲いは門番にまもられています。さらに羊たちもまた繊細な感覚で羊飼いの声を聞き分けて誰に導かれるべきかを知っています。羊飼いが羊を追いかけて捉えようとしなくても、羊は自らの足で羊飼いの後を追ってまいります。反対に、門を通らないで他のところを乗り越えてくるのは「盗人」「強盗」と見なされて、羊たちは決してついて行かず、逃げ去るとの話です。人の声なら誰でも構わずついていくのではなく、深い信頼関係を結んだ羊飼いを識別して後をついていくのです。続く箇所では人の子イエスは「わたしはよい羊飼い」と語ります。イエス・キリストのもとでは誰もが神の平和と慰めを授かります。
他方で本日の箇所からは「盗人」や「盗賊」の姿も描かれます。初代教会の交わりに様々な噂を流して分断を誘い、混乱を起こすものもまたわたしたちの現実として記されてもいると覚えるべきでしょう。『旧約聖書』『申命記』はイエス・キリストに連なる『律法』の誡めが記されています。その中でも本日は『申命記』19章14節「あなたの神、主があなたに与えて得させられる土地で、すなわちあなたが受け継ぐ嗣業の土地で、最初の人々が定めたあなたの隣人との地境を動かしてはならない」に注目します。地境、すなわち隣人との土地の境を侵してはなりません。この箇所に則するならば、現在パレスチナでイスラエルが行なっている領土拡張の争いはその掟に反します。事実、ユダヤ教で超保守派と呼ばれる人々は近代国家を規範とするイスラエルを「神の国」としては決して承認しません。
不当に地境を動かされ、追い出された羊飼いや羊たちはどこへ逃れればよかったのか。この問いをもまた『ヨハネによる福音書』は伏線としています。『旧約聖書』でエジプト脱出をする他生きる道がなかった、あるいはバビロン捕囚からの解放を待ち焦がれた人々は何に希望を託せばよかったのでしょうか。わたしたちもまた、そのように世をさまようなかで、隣人の助けをいただき、神が定めた地境のもとで、すべての人の救い主であるイエス・キリストにまもられ活かされる喜びと豊かさを分かちあいたいと願います。