コリントの信徒への手紙Ⅱ.12章9〜10節
谷 香澄 牧師(能登川教会 主任担任教師)
ユダヤ人は神の掟である律法を守って生きています。この律法を人々に教える人を律法学者と言って、とても尊敬されていました。パウロはかつて律法学者のトップ・エリートでした。でも、パウロはそんなことを誇らない。別の手紙の中で、そんなものはゴミのようなものだとさえ言っているのです。
ところでパウロは自分の体に「一つのとげ」を持っていました。パウロのとげは、たぶん何かの持病だったと想像されます。パウロは、この病気に相当苦しめられたようです。病の回復を「三度主に願った」と言っています。「三度」というのは繰り返しという意味もあります。三度だけではなく、熱心に何度も祈ったことでしょう。ですが、神は彼に“よろしい。あなたの病気を癒してあげよう”とは言ってくださらなかったのです。
しかし、パウロは “こんなに祈っているのに聞いてくれないなんて、もう神なんか、信じない”とは思わなかったのです。彼は神が治してくださらないということは、この病気によって神が私に伝えたい何か意味があるのだ、と考えました。それで、神にどうぞその意味を教えてくださいと、更に祈り続けたと思います。すると、不思議な答えが神から返って来たのです。病気が治ったら恵みは十分、ということではない。病気を抱えたままで、今のままで、私の恵みは十分だ。そして、神の力、その恵みは、人の弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ、と。
パウロが「弱さを誇る」と言っているのは、その当時、強い者は善なる者、価値ある者であり、弱い者は悪い者、価値なき者という社会的なレッテルが背景にあると思われます。パウロはこのような文化的な背景にあって、自分の「弱さを誇る」と繰り返しているのです。つまり、自分に与えられたその「とげ」こそが、実はパウロを神の恵みへと導くものである。その自分の弱さの中にこそ、実はキリストの力が宿り、キリストの恵みが豊かに働いてくださる。だから、弱い時こそ、自分は強いのだ、というのです。
「とげ」は、大なり小なり誰にでもあるものだと思います。私自身にもあります。しかし、学校で過ごすうちに私が弱点だと思っていたものが人の心を開く力になり、少しでも生徒が聖書の物語や言葉に興味を持ってくれるようになった。弱さを認められるようになるまでは、自分の弱さがそのように用いられるとは思ってもみなかったのですが、神が私の弱さを御言葉を取り次ぐツールとして力強く生かして下さっているのだなと実感します。
そのように思えるようになったのも、実は生徒たちとの関わりはもちろんのこと、もう一つの大切な出会いによるものでした。私が牧師として勤めている能登川教会は、近くにある止揚学園という知能に重い障害を持った人がいる施設の仲間と職員が98%を占める教会です。止揚学園の仲間たちは本当に他の仲間がお腹が痛くなれば、心配するあまり自分のお腹まで痛くなる。1人が笑顔になると、まるでそれが伝染したかのようにみんな笑顔になる。といった他者に対して深い思いやりと共感できる心を持っている、優しく、強い人たちです。
現代の競争社会の価値観で言うと、止揚学園の仲間たちは弱者と呼ばれる立場の人たちです。難しいことや長い会話はできません。しかし、その本当に短い一言の中にいつも真実があり、ハッとさせられ、謙虚な気持ちにさせられるのです。そうして仲間たちと過ごすうちに、本当の「強さ」とは何か。目に見える「強さ」にばかりこだわるあまり、私たちは大切なものを忘れてしまっているのではないかと思うようになっていきました。そして、彼ら彼女たちの、その弱さの中に神様の働きが確かにあるのだ。仲間たちの弱さを通して神様は様々なことを私を含め、色んな人に語りかけてくださっているのだと気付かされていったのです。
弱さを克服する第一歩は、人間的に考えても確かに弱さを弱さとして認めることにあります。そして、パウロも肉体のとげを持ち、一人の弱い人間としての苦しみを体験したことによって、人は神に頼って生きる存在であることを知り、また同時に他者の苦しみを自分の苦しみとすることが出来る。この「神様の前の謙虚さ」と「隣人に対する共感」を持つことが出来たのではないでしょうか。そして、ただ強いだけでない、ただ弱いだけでない、弱さにおいてこそ強い,この新しい別の,いわば第三の生き方を身をもって示したのが主イエスご自身でした。イエスは無力な幼子の形をとって飼い葉桶に生まれ,十字架において死なれました。自ら弱い者となり、そのようにして私たちの弱さを受け入れてくださったのです。
私たちの欠けや弱さが神の愛という宝を美しく見せる土の器となる。神がそのようにして私たちを用いて下さるということに励まされ、日々、イエスの姿に倣って隣人と共に生きる者でありますようにと願います。