―受難節第6主日礼拝―
時間:10時30分~
場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂
可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。
地中海に面した北アフリカ、現在はリビアの領内の一部を指すキレネ。現在ではキレナイカという名で知られています。地中海を北上すればギリシアやイタリア半島がありますが、多くの遺跡がありこの時代としてはかなり栄えた町であったかもしれません。この地域出身のユダヤ人シモンは海路・陸路を伝ってようやく念願かなってエルサレムへと過越祭を詣でに来たはずです。しかしキレネ人シモンが神殿へと続く沿道で目のあたりにしたのは、意味も訳も皆目分からずこれから十字の杭に打ちつけられて処刑されるところの、「ユダヤ人の王」と刻んだ板で罪状を告げられている人の子イエスでした。沿道には鞭打たれ傷だらけになったその人を囃したてる人々が人垣を作って口々に罵っています。旅人シモンにはこの様子は全く異様に映りますが、沿道の人々は体のよい見世物とばかりに囃し立てるばかりです。そして恐ろしいことにその様尋常ではない人々を制していたローマの兵士は、茫然とするシモンにイエスの背負う杭を「ともに背負うように」とばかりに無理やり担がせます。人の子イエスの十字架刑ほど不条理なものはないと感じるのですが、このシモンはそれ以上に驚愕と絶望を憶えたことでしょう。イエスの弟子はみな逃げました。見知らぬ傷だらけで無力な、それこそ苦しみのあまり悪態をつくなど一切ない死刑囚とあゆむこととなったのです。シモンのあゆみはエルサレムの神殿とは正反対の処刑場に到着し、そこでようやく解放されるのです。シモンにも立ち入れない一線がその先にはあります。
それではその後にキレネ人シモンの五感に飛びこんできたのは何だったのでしょうか。それは見るも無惨な人の子イエスの姿とその体臭です。掲げられた罪状書を見なければその顔の表情すら分かりません。荒い呼吸のなか何も言わずに血と汗にまみれた木材を担いで運んでいるのです。幾度もいくども躓く姿にシモンは心痛を憶えずにはおれなかったことでしょう。それだけではありません。「ゴルゴダ:髑髏」と呼ばれる刑場に到着するや本来は苦痛を麻痺させる薬草を溶かし込んだ薬を服用させられます。しかし人の子イエスはそれを拒否します。訳も分からず処刑用の木材を担がされた出来事こそ、キレネ人シモンとイエス・キリストとの出会いでした。
それは人の子イエスよりも先に一人は右の、もう一人は左の十字架につけられた強盗の言動でした。両隣にはゼベダイの息子ではなく強盗がいたのですが、この二人が人の子イエスの両隣から罵るには「神の子なら、自分を救ってみろ、そして十字架から降りて来い」との声でした。そしてこの強盗の声と人の子イエスを罵る祭司長や律法学者、神殿の長老の声がともにイエスを侮辱していたのです。キレネ人シモンにはこれも衝撃的な出来事でした。「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りてこい」。シモンには、悪人とは明らかに異なるこの人の子に、強盗の罵りと同じ言葉を、本来ならば尊敬に値するべき祭司長や律法学者、それに神殿の長老たちが浴びせている光景に衝撃を憶えたことでしょう。決してこのような場面は過越の祭を祝いに来たキレネ人シモンには出くわしたくない出来事でした。このように罵りや罵声の中に置かれながらシモンの人生はイエス・キリストの苦難の渦巻きへと、その深淵へと巻きこまれます。
それは人の子イエスよりも先に一人は右の、もう一人は左の十字架につけられた強盗の言動でした。両隣にはゼベダイの息子ではなく強盗がいたのですが、この二人が人の子イエスの両隣から罵るには「神の子なら、自分を救ってみろ、そして十字架から降りて来い」との声でした。そしてこの強盗の声と人の子イエスを罵る祭司長や律法学者、神殿の長老の声がともにイエスを侮辱していたのです。キレネ人シモンにはこれも衝撃的な出来事でした。「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りてこい」。シモンには、悪人とは明らかに異なるこの人の子に、強盗の罵りと同じ言葉を、本来ならば尊敬に値するべき祭司長や律法学者、それに神殿の長老たちが浴びせている光景に衝撃を憶えたことでしょう。決してこのような場面は過越の祭を祝いに来たキレネ人シモンには出くわしたくない出来事でした。このように罵りや罵声の中に置かれながらシモンの人生はイエス・キリストの苦難の渦巻きへと、その深淵へと巻きこまれます。
キレネ人シモンがその後どうなったのか、『マタイによる福音書』は記しません。しかし本日はこの箇所に紡ぎたい無名の人が記した詩を味わいたく存じます。「ある夜、わたしは夢を見た。わたしは、主とともに、なぎさをあるいていた。暗い夜空に、これまでの人生が映し出された。どの光景にも、砂の上に二人分の足跡が遺されていた。ひとつはわたしの足跡、もうひとつは主の足跡だった。これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、わたしはあの足跡に目を留めた。そこにはひとつの足跡しかなかった。わたしが人生でいちばんつらく、悲しいときだった。このことがわたしのこころを乱していたので、わたしはその悩みを主にお尋ねした。『主よ、わたしがあなたに従うと決心したとき、あなたはすべての道とともにあゆみ、わたしと語り合ってくださると約束されました。それなのに、わたしの人生のいちばん辛いとき、ひとり分の足跡しかなかったのはなぜですか。いちばんあなたを必要としていたときに、あなたが、なぜわたしを捨てられたのか、わたしには分かりません』。主は囁かれた。『わたしの大切な子よ。わたしはあなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みのときに、足跡がひとつだったのは、わたしがあなたを背負っていたからだ』」。キレネ人シモンはこのようにして人の子イエスの苦難を分かちあい、やがて復活の報せを耳にして喜んだことでしょう。キレネ人シモンはこの出会いに不平を洩らさず沈黙を守ります。イエス・キリストが自らを救わなかったように。