―受難節第5主日礼拝―
時間:10時30分~
場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂
説教=「たがいに支えあうために」
稲山聖修牧師
聖書=『マタイによる福音書』20章20~29節
聖書=『マタイによる福音書』20章20~29節
讃美=21-57(Ⅲ.5).
21-463(Ⅰ 494).
21-24(Ⅰ 539)
可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。
大阪市の学校給食を見てみますと、コッペパンが異様に大きく、トングひとつまみの酢の物のようなおかずに汁物、フルーツと牛乳という具合で、その少なさに驚かされるところがあります。牛乳と汁物を除く惣菜は耐熱プラスチック製のプレートに配膳されており、アルマイトのお椀に入れられていた時代からするとお代わりしづらい作りとなっています。もともと学校給食は欠食児童、つまり事情で昼食を摂れない児童のために当初はララ物資に始まり、後には公共の福祉という観点に基づいて児童の充分な発育に資する滋養の提供という動機に始まったはずですが、何事につけて民営化という行政の方針から21世紀に強まり、心配を要する時代となりました。脱脂粉乳や鯨肉がまずかったという時代は逆に豊かだったかも知れないとの逆説が生まれつつあります。
公教育でさえそのようなありさまです。親御さんが「コストパフォーマンス」「タイムパフォーマンス」に惹かれたとしても無理からぬところがあるかもしれません。手っ取り早く成果をあげたいとの気持ちはあるでしょうが、その気持ちが焦るほどにこどもたちは友人や家族の絆をじっくり育むことが難しくなります。
本日の『マタイによる福音書』の箇所ではゼベダイの子ヤコブとヨハネの母が、息子と一緒にイエスのところに来て願い事をしたとあります。12人の弟子の中でも特別の顧みを、との願いです。そしてその内容は神の愛による統治の際に「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人はあなたの左に座れると仰ってください」というものでした。救い主に向けられた「神の統治の密約」とでもいうべきものかもしれません。しかしこの母は知りません。イエスは古代ユダヤ教で待ち焦がれた単なる一民族の解放者ではなく、すべての民を神の愛で包まれる方であり、そのためには十字架での死という苦い杯を呑まねばならないということを。ヤコブとヨハネの母が申し出たのは、神の国の私物化であり、人の手にその行く手を委ねられた「民営化された神の国」であり、その国で優劣をつけ、采配を振るうための競争が果てしなく続くという競争社会の延長でしかありません。けれども、わたしたちが自分の承認願望を満たすよりも先に、主なる神がわたしたちをお認めくださっているのですから、俄然事情はこの申し出とは異なってまいります。
イエス・キリストのあゆみはそれまでのユダヤ教のメシアのイメージを根本から覆していきました。先だっては「山上での変容」の物語をみなさまとともにしましたが、カール・ヤスパースという精神医学者であり哲学者でもあり、かつその時代のドイツの全体主義政権を鋭く批判し続けた人物は、『旧約聖書』の預言者をして「聖なる統合失調症の罹患者」という表現をしました。多くの人びとからその主張が受け容れられなくても託された神の言葉を語り続け、停滞した雰囲気を読まず神の息を人々に吹き込もうとしたのが預言者でした。イエス・キリストはその時代の虐げられた人や心身ともに病み、まさしく重度の病に罹患した人とその孤独を十字架への道をたどりつつ癒していったのです。なにがしかの人の力や能力に依存するありかたは、結局は何者かを敵に仕立て上げなくては共同体を維持できません。もともと人類の共同体は飢えなり災害なり自らを脅かす事柄から身を守るために共同生活を始めたこともあり、これは避けられないことなのかもしれません。イエス・キリストは自ら排除されるその役を引き受けて「支配者への命令による服従」ではなく「仕えることの喜び」を、不穏な雰囲気に包まれた弟子の間に分かちあおうとされました。「大勢の群衆がイエスに従った」とある通りです。
端的に申しあげれば「命令」とは人を一定の型や枠にはめ込もうとする試みであり、その枠や型にはめられない者は排除されていきます。病人、とりわけ心を病んだり知的な特性を否定的に見なされたりした人が、一般的な社会から遠ざけられていく悲劇は過去も現在も問いません。必ず誰かにしわ寄せが向かうように作られているのが命令のみに基づいた組織の特徴です。
しかし「奉仕」には自発性があります。そしてお互いの特性を喜ぶ交わりがあります。祈りのうちにある吟味の中で、譬えその人が病に伏していても、その病を経なくては分からない世界をともにし、人を大切にする交わりが生まれます。その交わりを根底から支えてくださっているのがイエス・キリストです。イエス・キリストが人の子であったとき、誰からも理解されず仲間はずれにされていきました。恐るべき孤独の中で一人献げた「ゲツセマネの園での祈り」には、その場から逃げるか、主なる神に全てを委ねるかの極みがありました。その中で、イエス・キリストは苦い杯をお引き受けになったとの物語を尊びたいと願います。たがいに支えあうために。