時間:10時30分~
「ヨハネは、燃えて輝くともし火であった。あなたたちは、しばらくの間その光のもとで喜び楽しもうとした」。人々に神の国の訪れを告げ知らせ、水による清めと悔い改めの洗礼を授けるヨハネの姿は、エルサレムの神殿で献げられる祈りでさえローマ帝国の支配に用いられるという行き詰まった状況の中で、どの階層の人々にも希望を備えるものでした。サドカイ派にも、ファリサイ派にも、そして、ヘロデ・アンティパスでさえも、その教えを聞いて当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていました。おそらくユダヤに暮らす人々の中には、洗礼者ヨハネの名を知らない者はいなかったのではないかと思われるほどです。洗礼者ヨハネが、イエス・キリストを指し示す預言者の列の最後の接点、最後の預言者とさえ呼ばれる理由がこのような描写にあります。
その事情を十全に知った上で、人の子イエスは次のように語ります。「わたしにはヨハネの証しにまさる証しがある。父がわたしに成し遂げるようにお与えになったわざ、つまり、わたしが行なっているわざそのものが、父がわたしをお遣わしになったことを証ししている」。この箇所では洗礼者ヨハネとの関わりを伝えながら、自らは根本的に異なる存在であると人の子イエスは語ります。それは誰の目にも明らかなナザレのイエスその人こそが、人々が待ち望んでいたメシアであるという事実です。イエスがキリスト、すなわち救い主であると受け入れるところから、わたしたちは『聖書』の言葉を神の言葉として聴く道が開けます。「あなたたちは聖書の中に永遠のいのちがあると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとはしない」。この箇所でいうところの聖書とは『旧約聖書』を示します。わたしたちは『旧約聖書』を開いたときに戸惑いを覚えはしないでしょうか。
『旧約聖書』には神の恵みが記されるだけではなく、その恵みに応じきれない人間の姿がありありと描かれます。「神の名をみだりに唱えてはならない」と十戒にはありながらも、神の名によって行なわれる戦争が記されます。神の名によって立つ預言者たちが世の権力者にいのちを奪われ、周辺諸国との戦いに敗北し捕虜として見聞きも知らない土地へと強制連行されていく物語があります。奴隷としての身分から解放されても、与えられた自由に不平を洩らす人々の姿があります。男女の立場は決して対等かつ公平ではありません。しかしそのような物語を神との関わりで味わうならば「神などいない」という言葉さえも、神との関わりを示す貴重な証しにすらなり得ます。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ』」。他の福音書で洗礼者ヨハネはそのように人々に呼びかけながら登場します。ヨセフもマリアも、羊飼いたちも、三人の博士たちも、各々異なりはいたしますが、行き先はひとつであるその道筋をあゆみながらベツレヘムへと向かいます。それはわたしたちにも言えます。この一週間、わたしたちはそれぞれ与えられた日々の課題という道を、時には仲間とともに、時には一人であゆんでまいりました。それは躓きの多かった道かもしれませんし、わが身を顧みれば恥ずかしくてとても口にできない道かもしれません。洗礼者ヨハネからすれば「悔い改めに相応しい実を結べ」と叱咤される道だったかもしれません。けれどもその道筋がベツレヘムにいたる道であり、クリスマスにいたる道であると気づくならば、行き詰まるどころか飼い葉桶のイエスへの道となるのです。『旧約聖書』に記された悲しみは、必ずやキリストが癒し、平和をもたらします。
説教=「クリスマスにいたる道」
稲山聖修牧師
聖書=『ヨハネによる福音書』5章35~40節
(新約聖書 173頁).
讃美=97,95,540.
『新約聖書』に収められる『福音書』にはおもに祭司階級に立つところのサドカイ派、そして『旧約聖書』を徹底的に読み込んで人々の暮らしを導くところのファリサイ派の姿が描かれてまいります。しかしその時代のユダヤ教の群には『福音書』には直には描かれないものの、重要な人々がおります。それは「エッセネ派」と呼ばれる人々でした。そこで暮らす人々は『旧約聖書』の誡めへの従順さと厳格さではファリサイ派には劣らないものの、暮らしの場を都市や農村といった人々の住まうところにではなく、あくまでも荒れ野に身を置き、川や井戸などから水を汲み、一日に何度も沐浴をして心身を清めて『旧約聖書』と向き合い祈る生活を過ごしていました。エッセネ派の人々はその時代のエルサレムの神殿を祈りの場とは見なしませんでした。なぜならば「ローマ帝国が背後にいる政治的な思惑」による建築と見なしてそこでの礼拝を望まなかったからです。むしろアブラハムを始め族長やモーセがそうであったように「荒れ野にこそ神の声が響く」との確信のもと暮らしていました。洗礼者ヨハネはこの「エッセネ派」と関わりつつ宣教のわざに励んでいた模様です。その姿は「らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物とし」、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から人々が来ては罪を告白し、ヨルダン川で清めの洗礼を授かっており、その中にはファリサイ派やサドカイ派もいたというのですから、その時代の人々にどれほど畏れ敬われていたかが分かるというものです。しかし、ヨハネはやがてヘロデ大王の息子であるヘロデ・アンティパスに捕らえられていきます。「ヨハネは、燃えて輝くともし火であった。あなたたちは、しばらくの間その光のもとで喜び楽しもうとした」。人々に神の国の訪れを告げ知らせ、水による清めと悔い改めの洗礼を授けるヨハネの姿は、エルサレムの神殿で献げられる祈りでさえローマ帝国の支配に用いられるという行き詰まった状況の中で、どの階層の人々にも希望を備えるものでした。サドカイ派にも、ファリサイ派にも、そして、ヘロデ・アンティパスでさえも、その教えを聞いて当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていました。おそらくユダヤに暮らす人々の中には、洗礼者ヨハネの名を知らない者はいなかったのではないかと思われるほどです。洗礼者ヨハネが、イエス・キリストを指し示す預言者の列の最後の接点、最後の預言者とさえ呼ばれる理由がこのような描写にあります。
その事情を十全に知った上で、人の子イエスは次のように語ります。「わたしにはヨハネの証しにまさる証しがある。父がわたしに成し遂げるようにお与えになったわざ、つまり、わたしが行なっているわざそのものが、父がわたしをお遣わしになったことを証ししている」。この箇所では洗礼者ヨハネとの関わりを伝えながら、自らは根本的に異なる存在であると人の子イエスは語ります。それは誰の目にも明らかなナザレのイエスその人こそが、人々が待ち望んでいたメシアであるという事実です。イエスがキリスト、すなわち救い主であると受け入れるところから、わたしたちは『聖書』の言葉を神の言葉として聴く道が開けます。「あなたたちは聖書の中に永遠のいのちがあると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとはしない」。この箇所でいうところの聖書とは『旧約聖書』を示します。わたしたちは『旧約聖書』を開いたときに戸惑いを覚えはしないでしょうか。
『旧約聖書』には神の恵みが記されるだけではなく、その恵みに応じきれない人間の姿がありありと描かれます。「神の名をみだりに唱えてはならない」と十戒にはありながらも、神の名によって行なわれる戦争が記されます。神の名によって立つ預言者たちが世の権力者にいのちを奪われ、周辺諸国との戦いに敗北し捕虜として見聞きも知らない土地へと強制連行されていく物語があります。奴隷としての身分から解放されても、与えられた自由に不平を洩らす人々の姿があります。男女の立場は決して対等かつ公平ではありません。しかしそのような物語を神との関わりで味わうならば「神などいない」という言葉さえも、神との関わりを示す貴重な証しにすらなり得ます。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ』」。他の福音書で洗礼者ヨハネはそのように人々に呼びかけながら登場します。ヨセフもマリアも、羊飼いたちも、三人の博士たちも、各々異なりはいたしますが、行き先はひとつであるその道筋をあゆみながらベツレヘムへと向かいます。それはわたしたちにも言えます。この一週間、わたしたちはそれぞれ与えられた日々の課題という道を、時には仲間とともに、時には一人であゆんでまいりました。それは躓きの多かった道かもしれませんし、わが身を顧みれば恥ずかしくてとても口にできない道かもしれません。洗礼者ヨハネからすれば「悔い改めに相応しい実を結べ」と叱咤される道だったかもしれません。けれどもその道筋がベツレヘムにいたる道であり、クリスマスにいたる道であると気づくならば、行き詰まるどころか飼い葉桶のイエスへの道となるのです。『旧約聖書』に記された悲しみは、必ずやキリストが癒し、平和をもたらします。