時間:10時30分~
場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂
『ルカによる福音書』では、イエス・キリストは神の国を「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」とファリサイ派の人々に語りかけます。つまり、わたしたちの一見凡庸に思える、しかし祈りの中で育まれる交わりの中にこそ、神の国の訪れが「未だなお」と「もはやすでに」との緊張感の中ですでに授けられているのだとの理解に立ちます。まさしく『聖徒の交わり』であり『共にいきる生活』というボンヘッファーの主題に重なります。神の統治の先取りとして、夕暮れのエマオへの道の風景が描かれていくと考えても全く問題はありません。エルサレムから11キロほど離れたところにあるエマオという村。その道を歩く二人の弟子には、女性たちが懸命に伝えたであろう主の復活の出来事のメッセージはまだはっきりとは理解されてはいません。二人にとってイエスは「イスラエルを解放してくださる」という意味での救い主であり「イエスは生きておられる」との証言を受けとめはするものの、人の子イエスを埋葬したはずの墓は空だった、という程度でしか理解できてはいません。この二人の弟子はイエス・キリストをそのような枠の中でしか捉えてはおりませんでしたし、納得もできてはいなかったことでしょう。だからこそ10キロに及ぶその道すがら、復活の出来事の現場にいた女性たちから受けた報せを疑いながら議論し続けずにはおれなかったのです。
しかしそのような疑いをも含めたところのやりとりの中に、主イエス・キリストはそれとない姿でともにあゆんでくださったのです。「ああ、物わかりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずではないか」と、あえてざっくりと分かりやすく申しあげれば「仕方がないなあ」と言いながら、モーセ、すなわち『律法』とすべての『預言者の書』から始めて、その時代の『聖書』すべてにわたってキリスト自らに基づいて記されていることを解き明かされたのだ、と書き記すのです。言い換えればキリストの訪れに基づいて、すなわち神の支配の先駆けに基づいて『旧約聖書』全体が解き明かされることとなります。その究極の救い主のありかたが「ともにあゆむキリスト」となります。
『旧約聖書』に収められている物語を目通しすれば、そこには決して理想的な人物像が描かれていないことに気づかされます。神との約束を気づかないまま破り続けていく人間。虐げられた人々と分かち合うべきところ、独り占めして道を踏み外す原因となる財産の用いられ方、言われなき殺人。また神の名前を口実にした大量殺戮や戦争。エジプトのファラオの命令に基づいてナイル川に投げ捨てられていくこどもたち。若いころは神から知恵を授かった名君であっても年老いて権力欲にとりつかれる王の姿。見えない神より見える金銀に心が奪われる人々の群れとその滅び。そのような世界と無関係では暮らせない中で神を受け容れた人々の危機、使徒たちの群れの危機、そしてわたしたちの暮しの危機。魂の危機は時を超えて重なっています。そのような中だからこそ、十字架で処刑された後も変わらずに「シャローム:神の平和があるように」(神さまがいる。大丈夫だよ)と声をかけ、自らの身体の痛みに先んじてわたしたちの心身の痛みや悩みを分かち合ってくださる救い主が、幼いころから、そして今もなおわたしたちとともにあゆんでくださるのです。わたしたちの暮らしの中でともにあゆむイエス・キリストをより信頼してまいりましょう。
説教=「ともにあゆむイエス・キリスト」
稲山聖修牧師
聖書=『ルカによる福音書』24 章 13~27 節
(新約聖書 160 頁).
讃美= 154, 155,540.
可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。
今年のイースターは4月9日でした。この日は77年目のディートリヒ・ボンヘッファーの命日にあたります。ボンヘッファーという人物の名前を知らないという方もいるかもしれませんが、世代的に言うと若き日の土山牧羔先生を指導した世代からは少し若いところに位置する人物です。21歳の若さで博士学位を最優秀成績で取得するという天才的な一面がある一方で、その時代のドイツの実権を握っていたヒトラー政権に対しては、その方針、すなわち国策に無用とされた障碍者の安楽死や似非科学に基づいた人種理論によって人間を分類して虐殺を行なう政策、ユダヤ人の公職追放、『聖書』もユダヤ教の依るべきテキストであるという理由から『旧約聖書』を否定する態度を批判、戦争に反対した態度により「戦力破壊活動」を理由に逮捕、そしてヒトラー暗殺計画に連座したという理由から39歳で第二次世界大戦末期の欧州で殺害された神学者でした。ボンヘッファーの著作の中には『聖書研究』という書物があります(生原優、畑裕喜、村上伸訳、『ボンヘッファー聖書研究旧約編』、新教出版社、2005)。その中に「キリストの教会は、すべてのことの終わりについて証言する。キリストの教会は終わりから生き、終わりから考え、終わりから行動し、終わりから宣べ伝える」との一文があります。いったい何のことだろうと考えるのですが、福音書の中でイエス・キリストが語った「神の国」または「神の愛による統治の完成」と理解するとわたしたちにも馴染み深くなるかもしれません。わたしたちが告別式の説教でともにするところの、召された人の身体を前にして語られる復活のメッセージ。すべてのものが、人の世の罪でさえも、また社会に生じている様々な歪みさえも神の愛によって新たにされ、完成されるという「世の終わり」。この「世の終わり」に基づいて当時としては画期的な着想のもとで執筆され、公刊されました。
『ルカによる福音書』では、イエス・キリストは神の国を「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」とファリサイ派の人々に語りかけます。つまり、わたしたちの一見凡庸に思える、しかし祈りの中で育まれる交わりの中にこそ、神の国の訪れが「未だなお」と「もはやすでに」との緊張感の中ですでに授けられているのだとの理解に立ちます。まさしく『聖徒の交わり』であり『共にいきる生活』というボンヘッファーの主題に重なります。神の統治の先取りとして、夕暮れのエマオへの道の風景が描かれていくと考えても全く問題はありません。エルサレムから11キロほど離れたところにあるエマオという村。その道を歩く二人の弟子には、女性たちが懸命に伝えたであろう主の復活の出来事のメッセージはまだはっきりとは理解されてはいません。二人にとってイエスは「イスラエルを解放してくださる」という意味での救い主であり「イエスは生きておられる」との証言を受けとめはするものの、人の子イエスを埋葬したはずの墓は空だった、という程度でしか理解できてはいません。この二人の弟子はイエス・キリストをそのような枠の中でしか捉えてはおりませんでしたし、納得もできてはいなかったことでしょう。だからこそ10キロに及ぶその道すがら、復活の出来事の現場にいた女性たちから受けた報せを疑いながら議論し続けずにはおれなかったのです。
しかしそのような疑いをも含めたところのやりとりの中に、主イエス・キリストはそれとない姿でともにあゆんでくださったのです。「ああ、物わかりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずではないか」と、あえてざっくりと分かりやすく申しあげれば「仕方がないなあ」と言いながら、モーセ、すなわち『律法』とすべての『預言者の書』から始めて、その時代の『聖書』すべてにわたってキリスト自らに基づいて記されていることを解き明かされたのだ、と書き記すのです。言い換えればキリストの訪れに基づいて、すなわち神の支配の先駆けに基づいて『旧約聖書』全体が解き明かされることとなります。その究極の救い主のありかたが「ともにあゆむキリスト」となります。
『旧約聖書』に収められている物語を目通しすれば、そこには決して理想的な人物像が描かれていないことに気づかされます。神との約束を気づかないまま破り続けていく人間。虐げられた人々と分かち合うべきところ、独り占めして道を踏み外す原因となる財産の用いられ方、言われなき殺人。また神の名前を口実にした大量殺戮や戦争。エジプトのファラオの命令に基づいてナイル川に投げ捨てられていくこどもたち。若いころは神から知恵を授かった名君であっても年老いて権力欲にとりつかれる王の姿。見えない神より見える金銀に心が奪われる人々の群れとその滅び。そのような世界と無関係では暮らせない中で神を受け容れた人々の危機、使徒たちの群れの危機、そしてわたしたちの暮しの危機。魂の危機は時を超えて重なっています。そのような中だからこそ、十字架で処刑された後も変わらずに「シャローム:神の平和があるように」(神さまがいる。大丈夫だよ)と声をかけ、自らの身体の痛みに先んじてわたしたちの心身の痛みや悩みを分かち合ってくださる救い主が、幼いころから、そして今もなおわたしたちとともにあゆんでくださるのです。わたしたちの暮らしの中でともにあゆむイエス・キリストをより信頼してまいりましょう。