ー聖霊降臨節第13主日礼拝 ー
時間:10時30分~※コロナ禍対策により
しばらくの間会堂を用いずリモート中継礼拝・録画で在宅礼拝を執行します。
状況に変化があれば追って連絡網にてお伝えします。
説教=「あなたの祈りは必ず聴かれる」
稲山聖修牧師
聖書=『マルコによる福音書』 10章46~52節
(新約聖書83頁)
讃美=39,234,544.
可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。
動画は2種類
(動画事前録画版、ライブ中継動画版)
ございます。
礼拝のライブ配信を致します。
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説教動画の方をご覧頂きます様、お願い致します。
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方法は、こちらのページをご覧ください。
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現在、会議で話し合われた議案なりテーマなりを、組織として意志決定する際に用いるのは「多数決」原理です。概して議会の多数決は、全会一致を理想として議案をはかります。その際には、少数意見が顧みられることは殆どありません。
それではイエスの時代のエルサレムにあった「最高法院」では事情はいかがなものだったでしょうか。この最高法院は71人の長老から構成され、一人は議長、もう一人は副議長、69人が議員。サンヘドリンとも呼ばれるこの会議体は、ローマ帝国の支配下、ユダヤ教の教えと政治的な判断が同一視されていた時代の組織でしたが、同一視されているからこそ、現在の会議体のあり方を問う場合忘れられがちな視点を含んでいます。それは、最高法院で全会一致の議決となった場合、再び議題を差し戻して審議し直さなくてはならないという手続きです。サンヘドリンが定める全会一致制の問題は、人は神の前に過ちを犯す罪人であるとの理解に根拠があります。罪人が集り全会一致の結論を出せば、その判断はどこか歪みがある。従って審議差し戻しとなります。ですから、議案の審議に際し、少数の意見が結論を点検するという視点があって、初めて決議が定まります。わたしたちが見落としがちな少数意見の尊重という考えが、ローマ帝国の支配下のエルサレムの神殿では具体化されておりました。
さて本日の『聖書』の箇所をたどりますと、人の子イエスが弟子そして群衆とともに古代都市エリコを出て行こうとしたときに「ティマイの子バルティマイ」という盲人の物乞いが道端に座っていた、とあります。バルティマイのそれまでの日々は人々から蔑まれるのを承知で物乞いを続けるほかない暮らしでした。道端に転がる骸となったところで誰も悲しまないだろうという身の上。絶望的な闇の中にバルティマイは佇んでいたのかもしれません。その彼が、ナザレのイエスの名を聞くと、人が変わったように叫び始めます。悪霊に取り憑かれた男のように「わたしから離れてくれ」というのではなく、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と堂々と叫び始めたというのです。バルティマイにとって人の子イエスは唯一の希望でした。身体の不自由が罪の結果だと言われたこの時代です。その中で「わたしを憐れんでください」と叫ぶバルティマイ。だからこそ多くの人々が咎め立て、黙らせようとします。「非常識だ」「静かにしろ」との罵声が一斉にバルティマイに浴びせられる様子が瞼に浮かぶようです。しかしバルティマイは屈しません。「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と、その声は止みません。この叫びもまた、イエスの名を呼ぶ祈りです。人の子イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われ、人々がバルティマイを呼んで言うには「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ」と、この叫びが人々を変え、バルティマイ自らを救いの現場へと招く潮の流れを生みます。バルティマイは上着を脱ぎ捨て躍りあがるという最大限の喜びを全身で表わし、人の子イエスから「何をしてほしいのか」との言葉を引き出します。切実な声が群衆の前で遠慮なく語られます。「先生、目が見えるようになりたいのです」。バルティマイと向き合うイエスは「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と語る中、もう盲人の目は見えるようになり、道を進まれるイエスに従ったとの結びにいたるのです。そして『マルコによる福音書』では、これがエルサレムに入城される前の、イエスの最後の癒しの奇跡の物語となります。バルティマイの心の灯火の芯は燻ってはいても、神がこれを消すことはなかったのです。イエス・キリストは多数決原理に縛られて物事を考えることはありませんでしたし、自らの振る舞いをお決めにはなりませんでした。
わたしたちの教会や(福)地球の園にも身近な、堺市東区に本部を置く(福)コスモス。7月28日(木)に、グループホームに暮らす、知能と聴覚に障碍のある女性が37,8度の熱を出し、陽性反応が出ました。しかし問い合わせた保健所からは連絡がなく、病院からも患者届が必要だと言われます。定常利用の方々を迎える準備する中でも保健所には連絡がとれず、堺市からも入院先や療養先の指示がありません。当初は一定時間に使える施設の空き部屋を一時的に利用、それ以外の時は患者と職員は車の中に閉じこもります。この酷暑の中です。第六波での療養では8,500万円の損失を抱えたコスモスさんは、自治体たる大阪府の設けた40床ある介護型ケアハウス「ほうせんか」を使えるよう、最悪の状況も想定しながら対応を進めます。障碍者の療養は後回しなのかと呟きながら対応する中、メディアが動きます。大阪府知事に質問すれば「保健所に任せている」との返事だけ。「ほうせんか」では患者を支えるだけの「マンパワーが足りない」との答え。しかし発熱から1日半後の午後9時過ぎて療養施設に入所。堺市長は「検討して実施したい」と言うばかりでしたが、コスモスさんは決して諦めずに「朝日放送」というメディアをフル活用し、時間と戦いながら病床使用に漕ぎつけました。コスモスさんは誰に何と言われようと叫び続けました。その結果、福祉の現場を正面からは見ようとしない政治家でさえも、課題を直視せずにはおれなくしたのです。「わたしを憐れんでください」と福音書の舞台に響いた叫びは、いのちを軽んじる同調圧力や空気を破る神の力に満ちています。病床に主の深い癒しと支えを祈りましょう。