ー聖霊降臨節第12主日礼拝 ー
時間:10時30分~※コロナ禍対策により
しばらくの間会堂を用いずリモート中継礼拝・録画で在宅礼拝を執行します。
状況に変化があれば追って連絡網にてお伝えします。
説教=「神に育まれたこどもたち」
稲山聖修牧師
聖書=『マルコによる福音書』 10章13~16節
(新約聖書81頁)
讃美=308,461,544.
可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。
動画は2種類
(動画事前録画版、ライブ中継動画版)
ございます。
礼拝のライブ配信を致します。
ライブ中継のリンクは、
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又はタップしてください。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、お願い致します。
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方法は、こちらのページをご覧ください。
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旭川というと、『塩狩峠』や『氷点』で知られる作家・三浦綾子さんを連想します。しかし今、旭川の町は三浦綾子さんとはまた異なる苦難を生き延びてきた人々を迎えています。その一人、降旗英捷(ふりはたひでかつ)さん。3月19日に成田空港に降り立ったこの方は78歳。心臓を悪くされており薬が欠かせません。南樺太にお生まれになりましたが、ソ連軍が進駐してきたとき内地へ帰国できず家族で抑留を味わい、東欧に育つこととなります。ポーランドでご伴侶と知り合い結婚。西部ウクライナの工業都市ジトーミルに暮らしたことで生活の状況が急変します。郊外の集落は3月4日、ロシア軍の攻撃で破壊され避難、その結果、ワルシャワ経由で来日。きょうだいのいる日本に逃れ、現在はお孫さんとともに旭川の道営住宅で生活されています。生まれ故郷を仰ぐため、かつて稚内と樺太を結んだ連絡船の記念碑の鐘を鳴らし、海峡の向こうに見える生誕の地を眺め「ボージェ・モイ(ああ、神さま)」と呟くことば。英捷さんは日本語を忘れてしまい、今はウクライナ語が生活のことば。「ボージェ・モイ」に78年の生涯が凝縮されます。
本日の『聖書』の箇所は「イエスに触れていただくために、人々がこどもたちを連れてきた」と始まる、よく知られた箇所です。弟子たちはこの人々を叱ったが、主イエスはこの様子を見て憤り「こどもたちをわたしのところへ連れてきなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」と語り、こどもたちを抱き上げ、手を置いて祝福されたという物語です。しかし何度味わっても胸を震わせられるのは、このこどもたちがどのような育ちや環境、また身体の特性やどのようなことばを話していたのかが一切記されてはいない、というところです。人間扱いされないこどももいたことでしょう。「イエスに触れていただくために」と記されているところを踏まえますと「癒し」を示します。このこどもたちは、何らかの事情を抱えていたようです。つまり「イエスに触れていただく」とは、福音書の文脈では、人々がイエスにこどもたちへの癒しを求めているのではないかとも考えられるのです。病の癒しや、何らかの生きづらさを抱えているこどもたち。幼子は栄養失調や病気にも罹患しやすく、すぐに亡くなったと引揚の経験者は語りました。親御さんの保護があればまだしも、混乱の中で家族とはぐれたこども、親を失ったこどもたちの行方がまだ分からないと嘆く声、逆に親を探すこどもの声が、かの地だけではなくわたしたちの地域でも響いています。たとえ血がつながっていたとしても、虐待されるこどもがいます。その子にとって、無言の家庭は警戒サイレンの鳴る町と同じくらい恐ろしい場所です。見かねた大人に連れてこられたこどもたちが、イエスを囲む群れの中にいたとしてもおかしくありません。弟子のことばはこどもたちを人の子イエスから遠ざけようと強いる暴力となっています。そのような態度を主イエスは一蹴いたします。
『コリントの信徒への手紙Ⅰ』で使徒パウロは次のように語ります。「幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを捨てた」。確かにわたしたちは、すでに幼子ではありません。だからこそ、どのような拒絶にあってもイエス・キリストの祝福を求めて、こどもたちを連れてくる大人になりたいのです。多くの人生の場数を踏んだところで見えてくる展望は、いつしか智恵となってこどもたちのいのちをイエス・キリストに結んでまいります。わたしたちは幼子ではありません。だからこそ「こどもたちをわたしのところへ連れてきなさい」との招きに応じていくのです。自分のところではなくキリストのところ。それは幼子がやがて味わう困難を耐え忍び、その中から神の智恵を授かり、神の希望に授かるところでもあります。その場こそイエス・キリストに根ざす交わり。神に育まれたこどもたちが招かれる交わりです。
現在ウクライナでは総動員令が発令され、青壮年期の男性は、原則国外脱出が困難です。ですから降旗さんのようなご高齢の方や女性だけが、状況と事情さえ整えば、国外へと逃れることもあります。降旗さんと孫のウラジスラワさんは旭川市民となり、ともに渡航してきた家族は再び彼の地へと戻っていきました。樺太からおそらくはシベリア経由でウクライナまでたどり着き、抑留生活の中でご両親に育てられ、今はお孫さんに支えられ、よくぞこの逃避行を続けられたものだと溜息をつくほかありません。戦災孤児となるそのギリギリのところで抑留の地が実質的にはウクライナとなり、動乱の中で辛くも生きる道を備えられた人です。「ボージェ・モイ(ああ、神さま)」は決して単なる詠嘆ではなかったはずです。孫のウラジスラワさんは語ります。「戦争は初めてでそれは最も恐ろしいものです。でもおじいさんはさらにひどい状況を生き延びました。おじいさんはわたしたちと自分のために苦境を生き抜き、今回もそうするでしょう。おじいさんはわたしたちを愛してくれています。わたしたちもおじいさんを愛しているのです」。『マタイによる福音書』にあるクリスマス物語では、イエス誕生の物語とともに、ベツレヘムで起きたヘロデ王によるこどもたちの殺害の記事を掲載します。その中でなお、いのちを繋いでいった人々が神の愛を証ししていきます。「こどもたちをわたしのところへ連れてきなさい」。キリストとの交わりの中でいのちそのものが輝く瞬間を尊び、また喜びたいと切に願います。