―復活節第1主日礼拝―
時間:10時30分~
説教=「主の復活はすべてのいのちの希望」
稲山聖修牧師
聖書=ヨハネによる福音書 20 章 11~18 節.
(新約聖書 209 頁).
讃美= 155(1.2.4),148,540.
可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。
その心痛を表わすかのように本日の箇所で記されるのが、マグダラのマリアの涙です。鞭打たれた亡骸でもありますから傷みは激しかったことでしょう。マグダラのマリアが誰であったのかをはっきりと示す箇所は実のところ『福音書』の物語にはありません。しかし『ヨハネによる福音書』の場合では、ベタニアで主イエスの足に香油を注いだ女性がマグダラのマリアであるとの理解もできます。となれば彼女はイエスに復活させられたラザロの妹にあたります。不治の病を癒してもらった恩人でもある人が葬られたところへやってきたのはよいものの、墓から石が取り除けられ、弟子たちも首を傾げる始末。途方に暮れるほかないマリアは涙ぐむほかありません。彼女は十字架の出来事の傍観者ではなく当事者でした。目の前に白い衣を着た人々が二人、一人は遺体が置かれた頭、もう一人は足の方に座っていたと申します。この二人が訪ねるには「どうして泣いているのか」との問いです。マリアは「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか分かりません」と答えるほかありません。愛する人を失うことは痛ましいことですが、その遺体が見つからないとはさらにその傷をえぐるような傷みが伴います。その傷みの中で響く声がします。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれをさがしているのか」。この声にマリアは応えます。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります」。一介の女性が「わたしが、あの方を引きとろう」という絶望を突き抜けた申し出。絶望は復活の光に刺し貫かれています。この申し出の中で、イエス・キリストは自らを証しされるのです。その生々しさは、思わずヘブライ語で「ラボニ」と口走ったマリアの態度に示されています。しかしまだ時は来てはおりません。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と」。マグダラのマリアが聞いた復活の主の委託が、マリア自らの新しい希望となって今なお恐怖に震える弟子たちへと希望を伝えるのです。
理不尽に奪われていくこどもたちを含めた民間人の報に取り囲まれながら、わたしたちはなおも新しい年度を復活の主に定めます。祈って何になる、との声の中で、わたしたちはなおも弟子のもとに走りに走るマグダラのマリアの姿を仰ぎます。片や世の絶望と不安をもたらす報、片やキリストによるいのちの希望。どちらに信頼を置くべきか。わたしたちにはもう答えが出ているはずです。従来の経験の通じない、グレートリセットの声高まる今、福音を伝え、神の愛を証しせずして何といたしましょう。事の大小ではなく、今すでに主に用いられていることを喜びたいのです。
初代教会の時代、教会の象徴として用いられたのは十字架ではありませんでした。むしろ好んで用いられたのは羊飼いに重ねられた救い主の姿であり、「イエス・キリスト・神の・息子・救い主」とギリシア語で綴った場合の頭文字をまとめた単語である魚の図案であり、または苦しみの多い困難な世の波風の中で逃れの交わりが備えられ、なおかつ『旧約聖書』のノアの物語と重なる舟が用いられてまいりました。なぜ十字架が用いられなかったのかと言えば、端的に申しあげてそれは処刑の道具であり、しかもそれは日本でいう磔刑に匹敵するほど目を背けられるほどのもので、ローマ帝国の内部ですらその是非の論議が停まらなかったと申します。日本の磔刑と異なるのは用いられる材木が人間の背丈程度のもので、その刑によって息絶えた亡骸は晒されたまま禽獣の餌食となるところにあります。「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と刻まれた板を打ち込まれた柱で絶望の叫びをあげて事切れた救い主イエスの亡骸。本来ならばさらしものとされるところでしたが『ヨハネによる福音書』では「イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを怖れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフ」がピラトのもとに遺体の引き取りを願い出たとあります。このヨセフは「議員」であったと記されているところを考えますと、エルサレムの神殿中枢に出入り出来るだけの立場にあった模様ですが、死刑囚の関係者であると公にし、ローマ帝国の総督に申し出るだけでも、清水の舞台から飛び降りるほどの勇気が要ったことでしょう。またこの福音書3章で夜分に人の子イエスを訪ねて「神の愛による統治」「新しく生まれるという出来事」について語らったニコデモもともにいて、イエス・キリストのご遺体を引き取り墓地に納めたとあります。二人はイエスに心を寄せていたファリサイ派の人物であったと申しますから、言葉にならぬ心痛を抱えていたことでしょう。
その心痛を表わすかのように本日の箇所で記されるのが、マグダラのマリアの涙です。鞭打たれた亡骸でもありますから傷みは激しかったことでしょう。マグダラのマリアが誰であったのかをはっきりと示す箇所は実のところ『福音書』の物語にはありません。しかし『ヨハネによる福音書』の場合では、ベタニアで主イエスの足に香油を注いだ女性がマグダラのマリアであるとの理解もできます。となれば彼女はイエスに復活させられたラザロの妹にあたります。不治の病を癒してもらった恩人でもある人が葬られたところへやってきたのはよいものの、墓から石が取り除けられ、弟子たちも首を傾げる始末。途方に暮れるほかないマリアは涙ぐむほかありません。彼女は十字架の出来事の傍観者ではなく当事者でした。目の前に白い衣を着た人々が二人、一人は遺体が置かれた頭、もう一人は足の方に座っていたと申します。この二人が訪ねるには「どうして泣いているのか」との問いです。マリアは「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか分かりません」と答えるほかありません。愛する人を失うことは痛ましいことですが、その遺体が見つからないとはさらにその傷をえぐるような傷みが伴います。その傷みの中で響く声がします。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれをさがしているのか」。この声にマリアは応えます。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります」。一介の女性が「わたしが、あの方を引きとろう」という絶望を突き抜けた申し出。絶望は復活の光に刺し貫かれています。この申し出の中で、イエス・キリストは自らを証しされるのです。その生々しさは、思わずヘブライ語で「ラボニ」と口走ったマリアの態度に示されています。しかしまだ時は来てはおりません。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と」。マグダラのマリアが聞いた復活の主の委託が、マリア自らの新しい希望となって今なお恐怖に震える弟子たちへと希望を伝えるのです。
理不尽に奪われていくこどもたちを含めた民間人の報に取り囲まれながら、わたしたちはなおも新しい年度を復活の主に定めます。祈って何になる、との声の中で、わたしたちはなおも弟子のもとに走りに走るマグダラのマリアの姿を仰ぎます。片や世の絶望と不安をもたらす報、片やキリストによるいのちの希望。どちらに信頼を置くべきか。わたしたちにはもう答えが出ているはずです。従来の経験の通じない、グレートリセットの声高まる今、福音を伝え、神の愛を証しせずして何といたしましょう。事の大小ではなく、今すでに主に用いられていることを喜びたいのです。