『マタイによる福音書』17章1~8節
説教:稲山聖修牧師
聖書:マタイによる福音書17章1~8節(新約聖書32ページ)
讃美歌:244(1,3), 247(1,3), 539.
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山の上で人の子イエスの姿が弟子の目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった、という「山上の変容」の記事。自らの死と復活を弟子に語り、その言葉がペトロも含め大きな動揺をもたらした箇所の後に記されるこの物語。イエスとともにいた弟子はペトロ、ヤコブ、その兄弟ヨハネという、いずれも人の子イエスと絶えずともに歩んだ者ばかりでした。岩肌でできた傷だらけの足の痛みを堪え、山特有の強い風に震えながらイエスとともに歩む弟子は、図らずも、エルサレムへ行き苦難の道の果てに十字架で殺害された後、復活された姿を先取りして仰ぐこととなりました。この姿の顕現は、同時にそれまでの弟子のイエスへの思いを根底から覆す出来事でもありました。しかし不思議なことに、弟子たちには、十字架での死の後にある復活を語るイエスを咎め立てしたありようへの反省は一切見られません。目の当たりにされるのは、イエス・モーセ・エリヤという、モーセが『律法の書』、エリヤが『預言者の書』を象徴し、この書物は『旧約聖書』全体に記された神の愛のわざと不可分の間柄にあるという、キリストの復活が指し示す重大な意味が理解できませんでした。モーセは出エジプトの出来事の中で、奴隷とされていたイスラエルの民を導く役目を授かった人物。そしてエリヤは『旧約聖書』の中で、同じくイスラエルの民の多くが神の愛から離れ、目に見えるところのかたちある豊かさの奴隷となったありようと、貧しい者や弱者を虐げるありかたを強く戒めた預言者でした。『律法』を授かったモーセのわざと、神の言葉を託された預言者の働きが、救い主の訪れによって活きいきと結ばれ、そして完成する。わたしたちもこの箇所を読む毎に、そのような華々しさばかりを思い出します。その意味ではモーセとエリヤとイエスとの語らいに水を差すペトロと何ら変りはありません。そのようなペトロは逆の視点を持てないでいます。つまり、モーセの苦悩はどこにあり、エリヤの苦しみや悲しみはどこにあり、そして人の子イエスの苦難はどこに根ざしていたのか、という問いです。『旧約聖書』、例えば『出エジプト記』『レビ記』『申命記』『民数記』。いったいどこに、モーセ自らの栄光が記されているというのでしょうか。イスラエル60万の民を率いて荒れ野を旅したモーセは、多くの困難の中でイスラエルの民に誡めを授けながらも、イスラエルの民の過ちのゆえに、自らは神に約束されたパレスチナの地に入る願いは叶わず、次の世代がヨルダン川を越えていく様子を眺めながら生涯を終えてまいりました。預言者エリヤは、奴隷解放の神を忘れ、物質的な豊かな暮らしの糧を司るとされた土着の神々バアルを崇拝するばかりで、貧しさにある者や奴隷、寡婦、孤児を顧みないその時代の王をいのちがけで批判するだけでなく戦いましたが、志を同じくする者のいのちは次々と奪われ、「主よ、もう十分です。わたしの命をとってください。わたしは先祖にまさる者ではありません」と呟きながら四十日四十夜歩き続け、一人かつてモーセが十戒を授かったホレブの山で「静かに響く神の声」に背中を押され、その役目を全うしてまいりました。後の世の者が振り返れば、英雄として誇るべきだとされる『旧約聖書』の指導者や預言者は、その実は自らの力を依り頼むならば何もなすこと能わず、ただ神の栄光と後ろ盾によってのみ、その名を物語に刻んだ人々でした。そしてその苦しみは不条理でありながらも、人の子イエスに及んだ苦難と同じ線の上にあり、キリストの苦難もまた虐げられた者を顧みようとせず、また小さないのちの豊かさに何ら関心を寄せず、目の前の救い主を決して認めない長老・祭司長・律法学者らによるものでありました。この頑なさによって、キリストは不当な裁判を経て十字架で殺害されるに及びます。ですからもし今日の箇所で描かれる人の子イエスの姿の変容の中で、弟子たちが圧倒された栄光の救い主を描くのであれば、それは神のみが授けたもう栄光以外のなにものでもありません。その栄光の輝きを前に、弟子たちはキリストを讃えるのではなく、戸惑うだけでした。この姿や態度には、わたしたちの姿が重なります。
山の上で人の子イエスの姿が弟子の目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった、という「山上の変容」の記事。自らの死と復活を弟子に語り、その言葉がペトロも含め大きな動揺をもたらした箇所の後に記されるこの物語。イエスとともにいた弟子はペトロ、ヤコブ、その兄弟ヨハネという、いずれも人の子イエスと絶えずともに歩んだ者ばかりでした。岩肌でできた傷だらけの足の痛みを堪え、山特有の強い風に震えながらイエスとともに歩む弟子は、図らずも、エルサレムへ行き苦難の道の果てに十字架で殺害された後、復活された姿を先取りして仰ぐこととなりました。この姿の顕現は、同時にそれまでの弟子のイエスへの思いを根底から覆す出来事でもありました。しかし不思議なことに、弟子たちには、十字架での死の後にある復活を語るイエスを咎め立てしたありようへの反省は一切見られません。目の当たりにされるのは、イエス・モーセ・エリヤという、モーセが『律法の書』、エリヤが『預言者の書』を象徴し、この書物は『旧約聖書』全体に記された神の愛のわざと不可分の間柄にあるという、キリストの復活が指し示す重大な意味が理解できませんでした。モーセは出エジプトの出来事の中で、奴隷とされていたイスラエルの民を導く役目を授かった人物。そしてエリヤは『旧約聖書』の中で、同じくイスラエルの民の多くが神の愛から離れ、目に見えるところのかたちある豊かさの奴隷となったありようと、貧しい者や弱者を虐げるありかたを強く戒めた預言者でした。『律法』を授かったモーセのわざと、神の言葉を託された預言者の働きが、救い主の訪れによって活きいきと結ばれ、そして完成する。わたしたちもこの箇所を読む毎に、そのような華々しさばかりを思い出します。その意味ではモーセとエリヤとイエスとの語らいに水を差すペトロと何ら変りはありません。そのようなペトロは逆の視点を持てないでいます。つまり、モーセの苦悩はどこにあり、エリヤの苦しみや悲しみはどこにあり、そして人の子イエスの苦難はどこに根ざしていたのか、という問いです。『旧約聖書』、例えば『出エジプト記』『レビ記』『申命記』『民数記』。いったいどこに、モーセ自らの栄光が記されているというのでしょうか。イスラエル60万の民を率いて荒れ野を旅したモーセは、多くの困難の中でイスラエルの民に誡めを授けながらも、イスラエルの民の過ちのゆえに、自らは神に約束されたパレスチナの地に入る願いは叶わず、次の世代がヨルダン川を越えていく様子を眺めながら生涯を終えてまいりました。預言者エリヤは、奴隷解放の神を忘れ、物質的な豊かな暮らしの糧を司るとされた土着の神々バアルを崇拝するばかりで、貧しさにある者や奴隷、寡婦、孤児を顧みないその時代の王をいのちがけで批判するだけでなく戦いましたが、志を同じくする者のいのちは次々と奪われ、「主よ、もう十分です。わたしの命をとってください。わたしは先祖にまさる者ではありません」と呟きながら四十日四十夜歩き続け、一人かつてモーセが十戒を授かったホレブの山で「静かに響く神の声」に背中を押され、その役目を全うしてまいりました。後の世の者が振り返れば、英雄として誇るべきだとされる『旧約聖書』の指導者や預言者は、その実は自らの力を依り頼むならば何もなすこと能わず、ただ神の栄光と後ろ盾によってのみ、その名を物語に刻んだ人々でした。そしてその苦しみは不条理でありながらも、人の子イエスに及んだ苦難と同じ線の上にあり、キリストの苦難もまた虐げられた者を顧みようとせず、また小さないのちの豊かさに何ら関心を寄せず、目の前の救い主を決して認めない長老・祭司長・律法学者らによるものでありました。この頑なさによって、キリストは不当な裁判を経て十字架で殺害されるに及びます。ですからもし今日の箇所で描かれる人の子イエスの姿の変容の中で、弟子たちが圧倒された栄光の救い主を描くのであれば、それは神のみが授けたもう栄光以外のなにものでもありません。その栄光の輝きを前に、弟子たちはキリストを讃えるのではなく、戸惑うだけでした。この姿や態度には、わたしたちの姿が重なります。
去る3月11日(木)に行われた政府主催の追悼式では「東日本大震災犠牲者の霊」とまとめて記された大きな柱を前に式辞が述べられましたが、人の目にはまことに不条理な仕方で天に召された方々には一人ひとり名前があったはずです。そこには決して数値化されたり、これで追悼式はおしまいになるというような人の都合が立ち入る隙はないはずです。生前のしるしが見つからない遺族にとっては、決して10年は節目にはなりません。それは教会墓地に埋葬された教会関係者お一人おひとりにも言えるはずです。節目という言葉はわたしたちの暮らしの便宜で用いられ、尊ばれる言葉であっても、神の栄光を前にしてはあくまでも現在進行中の秘義として、神の秘密として隠されているはずです。わたしたちはイエス・キリストの苦難と死、そして復活に示された神の栄光の中で、神の愛に背中を押されてあゆみを重ねていく。それはいかなる世の困難の中にあっても、世の禍の中にあっても変わりません。祈ります。