聖書箇所:イザヤ書41章8~10節
恐れることはない、私はあなたと共にいる神。たじろぐな、私はあなたの神。勢いを与えてあなたを助け わたしの救いの右の手であなたを支える。《イザヤ書41章10節》
「恐れるな」―これは聖書の中で何度も繰り返されるメッセージです。逆に言うならば、私たちの人生がそれだけ「恐れさせるもの」で満ちている、と言うことでしょう。新聞には現在の問題や不安、それに対する対処法、そんなことがたくさん書かれています。しかし神様は私たちに恐れなくても大丈夫、とおっしゃるのです。
スヌーピーの漫画「ピーナッツ」のエピソードに、二人のこどもが「安心ってなんだとおもう?」「それはパパとママが運転している車の後部座席で、なんにもしないで寝ていられる、ってことだよ」とやり取りする場面があります。そして会話は「でも、いつまでもそんなわけにはいかない。大人になったら、全部自分でなんとかしなきゃならないんだ!」と言うオチに続いてきます。確かに私たちは皆このように、自分の身は自分で守る、と教わってきました。しかしこれは神様のおっしゃることと真反対です。
わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し、変わることなく慈しみを注ぐ。《エレミヤ書31章3節》
そのとこしえの愛の大きさは、神が神であることをやめ、この暗い世界に人としてお生れになるほどの愛です。聖霊である神様が天を捨ててこの汚れた私たちの内に住んでくださるほどの愛です。人間は皆「罪びと」なので、神に対して罪を犯しています。そしてイエス様こそが「私たちの罪を償ういけにえ」なのだ、と聖書は言います。イエス様がわたしの罪のために身代わりの「いけにえ」として十字架にかかってくださったことを信じるだけで、私たちは天の国籍をもつようになり、孤軍奮闘の人生からも救われるのです。あなたがどう生きたら幸せなのかは神様がよくご存知で、私たちは生まれる前から神の恵みの中に置かれているのです。
神様は、その独り子であるイエス様をあなたの身代わりとして十字架にかけるほどにあなたを愛しておられます。イエス様の十字架によって、罪を犯して神様から遠く離れ去っていた私たちは神様と和解させていただきました。ですから、神様があなたを見捨てたり、あなたが一人ぼっちになったりすることはもうありえないのです。神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が、一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。《ヨハネによる福音書3章16節》
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