2016年10月30日日曜日

2016年10月30日「座礁の先にある出来事」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録27章39~44節

二週間漂流していたパウロを乗せた船は、いよいよ陸地を見つけ上陸する。目途がついた船員達は上陸する岸を思い巡らせる。「朝になって、どの陸地であるか分らなかったが、砂浜のある入り江を見つけたので、できることなら、そこへ船を乗り入れようということになった」。先ほどは乗り捨てて逃げようとした船との関わりを、船員らは絶ちきれずにいた。「そこで、錨を切り離して海に捨て、同時に舵の綱を解き、風に船首の帆を上げて、砂浜に向かって進んだ」。うまく行けば、砂浜に乗り上げ、船を修理することが可能だ。けれども実際は「深みには挟まれた浅瀬にぶつかって船を乗り上げてしまい、船首がめり込んで動かなくなり、船尾は激しい波で壊れだした」。船尾が壊れだしたということは船が完全に破壊されてしまう。
 兵士らは囚人たちが泳いで逃げないように殺そうと計った、とある。兵士の囚人への対応としては実にマニュアル通り。けれども人の内面は誰にも推し量れない面がある。本人にさえ分らない秘義としての面がある。「百人隊長はパウロを助けたいと思ったので、この計画を思いとどまらせた」。皇帝直属部隊の百人隊長ユリウスは、パウロが「死刑や投獄に当たるようなことは何もしていない」ことを職責上知っていた。クレタ島から吹き下ろす暴風「エウラキロン」に襲われる前に、人に委ねない判断に基づいて出航を見合わせた方がよいとのパウロの進言はベテランの船長の経験則に勝る鋭さがあった。パウロはユリウスに船旅の間中使徒としての証しをした。その証しは、パウロとユリウスの間に類を見ない信頼に基づいた交わりを育むこととなる。護送されている囚人が逃げ出したとしても、パウロの身の上だけは何としても助けたい。そのためにユリウスは命令する。「泳げる者がまず飛び込んで陸に上がり、残りの者は板きれや船の乗組員につかまって泳いでいくように」。ユリウスは泳ぎの苦手な者にいたるまでの配慮を含み入れ命令を下す。このようにして全員が無事上陸したと27章は締めくくられる。「船」には箱舟物語以降、聖書では混沌とした世の波の中で人々が救いあげられる場としてのイメージが加えられる。それは新約聖書にあっては教会の役割に重なるが、これほどまでに徹底的に船が壊れる場面は稀。私たち各々が主にある交わりの中で日々新たにされていくように、教会もまた波風猛るこの世の中で絶えずリフォームされていく宗教改革のメッセージと本日の箇所は重なる。壊れることにより船はその使命を果たしたのである。