聖書箇所:マルコ10章13~16節
イエス様は行く先々でその地の人々に語りかけておられましたが、ある時子どもたちを祝福してもらおうと思って、連れて来た人々がいました。しかし、弟子たちはその人々を叱りました。恐らく彼らは当時の典型的なユダヤ人の感覚、価値観として、「イエス様は大忙しでお疲れだし、子どもなんかの相手をしているヒマはないよ」ということで、追い払おうとしたのでしょう。しかし、イエス様はそのような弟子たちに対して憤られました。そして言われました。「子どもたちを私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」(マルコ10:14)。更にその「子どもたちを抱き上げ、手を置いて祝福され」(10:16)ました。そこに、当時の社会の中では一人前として扱われず、舞台の真ん中には立たせてもらえなかった子どもたちを、掛け替えのない存在として、向き合われたイエス様の「愛のまなざし」を感じることができます。
ひるがえって、現代の私たちの周りの「子どもたち」とは、一体どこの誰のことでしょうか。もちろん各家庭や保育園の中にいる子どもたちもそうでしょうし、高齢であったり病気や障がいを抱えていたり、また失業中であったりして、周りから一人前の存在、価値のある存在として見なされていない人たちもそうでしょう。「子どもたちを私のところに来させなさい。妨げてはならない」、この言葉は子どもたちを妨げた弟子たち、そして今「一人前の大人」として立っている私たちへの戒めの言葉であると同時に、弱く小さくされている「子どもたち」を御許へと招く力強い主イエスのお言葉でした。
そして私たちもまた、時には疲れ、つまずき、倒れます。私たちも「子どもたち」だと気付かされる時もあります。しかし、そのような「子どもたち」をこそ、主イエス・キリストは御許へと招き、抱き上げ祝福して下さるのです。
世界中の全てのものが、神様によって創られ、生かされています。「子どもたちを私のところに来させなさい」。今も尚生きておられる主イエス・キリストが今日も私たちを招き、導き、背中を押して下さっています。ですから私たちは安心して、神の子として創られて与えられている命を、イエス様の後に従う者として、生かされていくだけです。それがこの地上を「神の国」と変えていくことであり、「神の国に入る」ということなのです。