聖書箇所:使徒言行録23章1~11節
使徒言行録の世界で古代ユダヤ教を代表する群れ。エルサレムの神殿に根を降ろす祭司階級サドカイ派の聖書の読み方は、自らの財産を守るため戒めを破らずに済む道筋を探す。復活はサドカイ派には邪魔である。他方ファリサイ派は復活も天使も神の力である霊も認める。彼らは民衆に可能な限り寄り添い、会堂で聖書のメッセージを伝えようと励んだ。この違いが囚われのパウロの活路となる。
パウロの身柄を預かる千人隊長はその鎖を外し祭司長と最高法院の招集を命じる。人の目からすればたった一人のパウロの姿勢が千人隊長を動かし、対話のときを備えた。「兄弟たち、わたしは今日に至るまで、あくまでも良心に従って生きてきました」。使徒言行録では、神と切り離された良心はない。パウロは戒めを破らずキリストの道に従ったと赤裸々に告白する。これによって最高法院に亀裂が生まれる。モーセの戒めを破らずに既得権益を守るべく汲々とする人々へのファリサイ派の葛藤をパウロは突く。その結果ファリサイ派の人々はパウロの味方につく。更には今までパウロの身柄を拘束したローマ帝国の力が、パウロを保護する逆転が生じる。敵対者が味方となりパウロの楯となる。
この実に劇的な箇所で思い起こされるのは主イエスが語った「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい」との言葉。その教えは関わる相手によって態度を変えなさい、とか、教会の内と外で立ち振る舞う行動原理を変えなさいという浅薄なものではない。蛇はエジプトからギリシアにいたるまで知恵を象徴する動物。そして鳩が示すのは平和を目指す聖霊の力。素直な心、繊細な心、痛む心が鋭い洞察力となり、世に各々遣わされた場で主にある兄弟姉妹を守るとの確信が記されている。「主を畏れることは知恵の初め」との旧約聖書の言葉を主イエスは大胆に解き明かした。そしてこの知恵を用いてパウロは危機を脱した。本日はポツダム宣言受諾の前日。大阪・京橋での空襲では大人もこどもも大勢が殺された。地方都市にいたるまで丸焼けにされた挙げ句の果てに本土での戦は沖縄を除いて避けられた。精神論を振りかざせば戦に勝てるなど愚の骨頂。同じ轍を踏まないよう、主を畏れる知恵を祈りつつ各々授かり、道を開拓したい。