聖書箇所:使徒言行録18章18~26節
パウロはコリントの街に一年六ヶ月もの間留まった。その間教会の層も厚くなる。メシアは主であるとのパウロの立てた証しに生き方を動かされた群れを丹念に使徒言行録は記す。例えばアキラとプリスキラ。二人はパウロの頼りになる補佐。パウロは二人を遺してエフェソから船出する。問題はプリスキラとアキラのエフェソでの働きである。18章24~26節には雄弁家アポロがバプテスマのヨハネの洗礼しか知らないのを聞き、二人はより正確に神の道を説明した、とある。
初代教会はしばしば分裂の危機に立たされた。例えばコリントの信徒への手紙一1章10~13節にはその深刻さを垣間見る。ここでパウロとケファ、則ちペトロとならび名が記されるのがアポロ。そのアポロを説得したのがプリスキラとアキラになる。信徒である二人の言葉は、証しの面でも言葉においても聖霊の賜物があったのだろう。この分裂の危機の克服はコリントの信徒への手紙一3章4~6節に記される。プリスキラとアキラ、そしてクロエの陰ながらの働きを通じてコリントの教会の群れは次の自覚を新たにする。「神の畑、神の建物」。
世の節目にあたり常に教会は危機とともにあった。教会の指導者が舵取りに成功したり、あるいは命がけの働きを果たしたりした場合に、その名が歴史に深く刻まれる場合がある。しかしパウロは「神の畑、神の建物」としての教会員を重んじる。神の建物とはエルサレムの神殿に重ねられた、イエス・キリストに連なる教会を示す。主に用いられ、教会に連なる群れの底力が発揮されるならば、危機でさえ新しい気づきや未知の可能性に開かれる。
パウロはローマの信徒への手紙1章5節から次のように語る。「まず始めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです」。全てに先立つのは教会への感謝。教会員の立ち振る舞いに口を挟む指導者の姿は希薄だ。パウロが「イエス・キリストを通して」と語るならば、真心からの感謝を意味する。感謝は関わる相手への敬意なしには不可能だ。使徒と信徒の交わりをもたらした聖霊の働きが、多くの危機を経る毎に明らかになり、今日の教会に注がれている。GWの最中被災地に遣わされた兄弟姉妹を覚えて祈りを重ね、奉仕のわざを具体化したい。