聖書箇所:使徒言行録17章16~21節
忘れられた山の祠や小さな社。私たちが迷信として退けていた祠や小さな社が先人の記憶のしるしならば軽んじるわけにはいかない。海を望む山の小さな社は大津波の到達点、小さな祠は活断層や地下水脈の分かれ目を示す。痛ましい経験則の積み重ねがいのちを守ってきた。
パウロはアテネのいたるところに偶像があるのを見て憤慨する。古代ギリシアの学問の都でもあったアテネにはたくさんの偶像があったと使徒言行録は語る。これは奇妙に感じられる。なぜなら学問とは可能な限りの合理的な考えを要求するからだ。アテネの街角に立つ数多の偶像は、痛ましい記憶を刻むのではなく、「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか。奇妙なことをわたしたちに聞かせているが、それがどんな意味なのかを知りたいのだ」と発する問いの権威づけかもしれない。出会いは出会う二者相互に変化をもたらす。問いかける相手との出会いの中で変化を望まないならば、問いかけは容赦なく他者を切り捨てていく。
使徒言行録が描くアテネの人々の関心は、自分がいかに相手の上に立つかという点に極まる。納得のいく知識に感嘆しても、当人のあり方を変えてしまうような言葉には冷たい。相手のいない対話は単なる呟きと同じ。そのあり方を認めてもらう権威が「町の至るところにある偶像」と重なる。パウロは、コリントの信徒への手紙一で「わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものである」と語る。己を誇るという点でユダヤ教の戒律主義とアテネの哲学者の姿勢には確かに通じるところがある。
パウロは天地万物の創造主なる神が遣わした救い主を伝えようとした。神はサロンでの議論や書斎での沈思の中で見出されるのではない。あらゆる世の権威や神話が崩れ落ちる中、人は天地の創造主と出会う。イスラエルの民は、苦難の中で、自分の似姿として人を創造した神を思う。破れに満ちた世の只中に、創造主は救い主を遣わし、全ての苦難を味わわせ、これに勝利させた。主イエスは死や傷みに無感覚になるのではなく、真正面から向き合い突破した。死に対する生命の勝利。それが復活であり、関わる人全てを変容させる出来事だ。これこそパウロがアテネで立てた証しであった。