2016年4月10日日曜日

2016年4月10日「人間の混乱と神の摂理」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録17章10~15節

テサロニケでの騒ぎから逃れたパウロとシラスはベレアへと逃れ、新たに宣教のわざに励む。使徒言行録では10節に「兄弟たちは、直ちに夜のうちにパウロとシラスをベレアへと送り出した。二人はそこへ到着すると、ユダヤ人の会堂へ入った」。その距離は概ね75キロ。過酷な旅をしながら、二人はベレアの街のユダヤ教徒の会堂に入る。「テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日聖書を調べていた」。使徒言行録はベレアの街の人々に好意的である。聖書は事実上旧約聖書であり、しかも巻物。聖書の読み解きの労は丸一日を費やしたのではないか。
さらに興味深いことは、ユダヤ人だけでなく、「多くの人、とりわけ、ギリシア人の上流婦人や男達も少なからず信仰に入った」。使徒の言葉が響いたのは殆どが社会の片隅に置かれた人々であったが、この箇所では経済的には豊かな社会層にも福音がしみこんだとの変化が記される。民主主義の象徴とされがちなギリシアのデモクラシーは奴隷制度が前提。固定化され、分断された社会層。投票権を持ち政治に参加し、人として迎えられる市民。売り買いの対象とされモノ扱いされる人。交わりに立ちはだかる大きな壁を、パウロとシラスの言葉、そして旧約聖書を調べながら傾聴する人々が揺り動かす。神はご自身に模って人を創造されたのであり、王や特別な階層の人々を創造したのではない。救い主は僕の姿となって世に遣わされたという使信。僕とは端的には奴隷を示す。無限に広がる大宇宙を、有限とされる創造主なる神が、世を愛するゆえに遣わした救い主は、奴隷に身をやつしていた。神の愛は隔ての壁を悉く突き崩す。新たな交わりが創造される瞬間である。
同時にこの交わりは、既成秩序にすがる人々に大混乱を引き起こす。テサロニケで暴動を起こしたユダヤ人が、ベレアまで押し寄せてパウロとシラスを妨害する。喜びの歌に騒音を持ち込もうとする。その結果、アテネへの新たな旅の時が熟し、新たな門が開かれる。
今日は定期教会総会を開催する。各部署からの報告には、新たな展望を求める声がある。しかし怖じる必要は無い。教会は集まる人を問わず、讃美を奏で、歌うことができる。神を讃える喜びのハーモニーは、人間の混乱をも用いて響き渡り、神の摂理を映し出すのだ。