2016年1月31日日曜日

2016年1月31日「パウロの旅の始まり」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録13章1~12節

 パウロの第一次伝道旅行の端緒である本日の箇所には異邦人伝道の拠点となるシリアのアンティオキアの教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、北アフリカのキレナイカ出身のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師がいたと記される。バルナバはキプロス島出身であり、エルサレムの教会との絆を示す使徒。ニゲルと呼ばれるシメオンはアフロ・アフリカンの可能性を否定できず、領主ヘロデと一緒に育ったとされるマナエンは、ローマ帝国の中心部の人々とも接点を持つ。アンティオキアの教会の多様性と国際性は、イエスが主であるとの告白に基づく礼拝に裏づけられる。さらにバルナバとサウロが伝道旅行のため留守にしても、シメオンとルキオとマナエンの三名で当座の運営ができるまでにアンティオキアの教会は成長していた。
 本日の箇所に始まる伝道旅行で二人はローマの軍港でもあったセレウキアから船に乗り込みサラミス島に上陸。この島にはユダヤ人の生活共同体もあった。その後バルナバとサウロはキプロス島のパフォスという街にたどり着く。その道中、エルサレム迫害から逃れてきた人々を励ます中で、バルイエスという「ユダヤ人の魔術師・偽預言者」に出会う。この男は「地方総督セルギウス・パウルス」という賢明な人物と交際していたと記される。この記事からは、役職の甘い汁を吸って帰国するのが一般的だった時代に、地方総督セルギウスはユダヤ教に関心を寄せていた可能性が示される。セルギウスもその時代の例外者。
 パウロに名を変えたサウロとバルイエス。論争じみた筋立てとは裏腹に、パウロにはバルイエスを責め立てる立場はないのは私たちには明らかである。誤った教えに立ったとされるバルイエス。パウロはステファノの殺害に賛成した。神の前では二人の過ちは大差ない。バルイエスに臨んだ神のわざは、かつてのパウロに臨んだ出来事と違わない。目が見えなくなり、導き手を求めるバルイエスを導き手はアンティオキアの教会に連なる者、もしくはキプロス島に暮らす初代教会の関係者となろう。バルイエスの変貌に驚き、セルギウスは信仰に入る。わたしたちの教会もダイナミックに主にある喜びを語ろう。パウロとバルイエスは、遂にはともに主を讃美する喜びを分かち合う。恐れず大胆に主の証しを立てよう。