聖書箇所:使徒言行録8章1節後半~8章8節
王を戴く道を選んでおよそ70年間続いたとも伝わるヘブライ統一王国。その爛熟期に端を発する格差社会の問題は何ら解決されないまま暴動と内乱へと拡がり、北はイスラエル王国、南はユダ王国に分裂する。イスラエル王国の都はサマリア。ユダ王国の都はエルサレム。分断国家の歴史の象徴としてサマリアは都市機能をもつにいたった。
サマリアで仰がれた金の子牛。それは豊穣と繁栄の象徴への礼拝。モーセの十戒の中では固く禁じられていた。豊穣さのもたらす果実は明暗を併せ持つ。繁栄もまた人間の野心に火をつける。イスラエル王国は軍事大国アッシリアに併呑、略奪と強制移住の中で伝統を喪失する。後世のエルサレムの人々はサマリアの住民を穢れた裏切りの民として軽蔑したが、主イエス・キリストは「敵を愛しなさい」と説き、実践した。神にできないことは何一つない。主イエスは語った。
ステファノの死後起きた大迫害の結果、キリスト者はエルサレムから散らされる。この場面で活躍するのはフィリポ。フィリポはエルサレムからサマリアに赴きながら、エルサレムでの使徒ペトロのわざを反復する。その結果、エルサレムからの難民がサマリアの人々を喜びに包む。「町の人々は大変喜んだ」。これが今朝の聖書の結びである。
現在、水曜日の祈祷会では小預言書を味わっている。中でもミカ書はアッシリア帝国がイスラエル王国を呑み込もうとするときに、預言者ミカは全てのイスラエルの民の立ち返りと救い主の訪れを語る。ミカ書の中ではサマリアとエルサレムに、神の前に等しく破れを負う者として連帯責任が問われる。この道筋の中で救い主の訪れが告知される。
安保法制の審議に際してこの国の行方を憂いた一週間が過ぎた。その中で繊細な危うさを抱えながらも立ちあがった青年がいる。5年前の東日本大震災以降、最も多感な季節を過ごした青年は、世の冷酷さと暖かさを、生命の危機と離散の中で感じた世代に属する。エルサレムからの難民が福音をサマリアの人々に告げ知らせたとの記事と重ねると実に感慨深い。私たちは大人として何を遺すべきか。争いの火種ではなく、神の国を目指しながら、イエス・キリストの福音に活かされる喜びを後生に遺すのだ。敵味方の恩讐を超えて注がれるいのちの祝福。その力に満ちた交わりを託したい。