『ヨハネによる福音書』5章1~11節
説教:稲山聖修牧師
エルサレムの城壁に設けられた「羊の門」。その近くにあったのが「ベトサダ(オリーブの家、憐れみの家)」。もともとは巡礼者の沐浴のために設けらていたという施設。そこでは病に効き目ある泉に身を浸すことができた。神殿に隣接して療養のためのインフラが設けられていたと記される。
ところでこの設備は充分に機能していたのか。「ベトサダ」には「五つの回廊」があったという。そして「病気の人」「目の見えない人」「足の不自由な人」「身体の麻痺した人」とあるように、少しでも「健康な人」「目の見える人」「自由に歩ける人」「身体が思い通りに動かせる人」になりたいと願う人であふれていた。もちろんそこに患者は自力でたどり着くことはできない。家族や知り合いがこのような人々を連れてくる。しかしその支援は充分であったか。十全な支援を受けられる人であれば、誰もが湧き出る泉の恩恵にあずかり得た。しかし実のところ支える人がいなければ放置されてしまう残酷な一面もあっただろう。このテキストが訴えるのは、癒しを求める人々の背後にある支えのありやなしや、である。経済上の問いではなく、支えのありやなしや、である。
本日の箇所で焦点を絞り込まれるのが「ベトサダの回廊で38年間病気で苦しんでいる人」。38年間とは人生そのものに匹敵する時の流れである。その場で病人がどのように糧を繋いできたのかを書き手は記さない。けれども38年間。時の経つに従い、この場に横たわる、いわば寝たきりに近いこの人を支えてきた家族や、知り合いは、一人ずつ姿を消していく。時の流れの冷たさは水の冷たさにも増して、助けを求めて呼ばわってきたその人の声を雑踏の中にかき消していく。誰もが自分のことで精いっぱいだ。そして誰もが自分の家族のことで精いっぱいだ。いつしかこの人に向けられる眼差しも冷たくなっていったことだろう。忘れられた人がそこにいた。
冷たい回廊に横たわる名もない人にイエス・キリストは声をかけて向き合う。「イエスはその人が横たわっているのを見た」。「見る」というわざは、相手と具体的な関わりをもち、理解しようと努めることでもある。そして「長い間病気であるのを知った」。キリストは改めて本人の意志を確認する。「良くなりたいのか」。病人は次のように答える。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に下りていくのです」。「良くなりたい」とは直ちに返事のできない、38年の間味わってきた辛さが生々しく刻まれる。「良くなりたい」。この病人はどれほどの機会、どれくらいの時間、何度そのように願ったか。しかしシンプルな願いが裏切られ続ける中で明らかになったのは「わたしを池の中に入れてくれる人がいない!」そして「わたしが行くうちに、ほかの人が先に下りていく!」という現実であった。本当は這ってでも泉に入り、健やかになりたい。しかしその人を直視する者はいなかった。『ルカによる福音書』5章17節にある、床に乗せられ、屋根を剥がした穴から吊り下げられた中風の患者は幸いだ!なぜならあの人にはイエス・キリストのもとへ戸板に乗せて運んできた仲間がいたからだ。
その人に、イエス・キリストが言われるには「起きあがりなさい。床を担いで歩きなさい」。戸板で運び込まれた中風の人もまた「起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と語りかけられた。新しい歩みが、キリストから淡々と語られるだけだ。言葉だけなら何でも言える!と、この福音書が読まれたとき、集まった人々は思ったに違いない。けれども次には驚くべき記事がある。「すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした」。
わたしたちが用いる言葉と福音書の物語で記される言葉の間には大きな活断層が横たわる。それは福音書に記載される言葉には必ず神から責任が問われる仕組みになっているところだ。となれば、イエス・キリスト自ら語られた言葉は、わたしたちの言葉とは全く次元が異なることとなる。その人の病を癒し、一歩を踏み出す傍らには、言葉の責任を徹頭徹尾引受けるイエス・キリストがともにいる。38年の歳月は、イエス・キリストとの出会いの中で決して虚しい歳月には終わらなかった。イエス・キリストにあって齢を重ねることの、神の秘義がこの箇所には記される。それは「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある」という言葉が実現するという秘義だ。横たわる病人の呻きも喜びの知らせへと変えられる。主にある感謝の道を今週も歩もう。