ローマの信徒への手紙9章1~3節
マルコによる福音書6章1節~13節
「強いられた旅の中でそそがれる神の力」
稲山聖修牧師
イエス・キリストの里帰り。村人にとってイエスはマリアの家の家業の跡取りであり、さして敬う相手でもない。キリストはシナゴーグでその教えを語ったものの、村人は次々と声をあげる。それはイエス・キリストの教えの内容についてではない。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった智恵と、その手で行われるこのような奇跡は一体何か。この人は大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは一緒にここで住んでいるではないか」。村人は、イエスの幼い頃を知るからこそ詮索を始める。次の言葉からは村人のあまりにも下世話な関心を見てとれる。「この人は大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは一緒にここで住んで居るではないか」。家業が大工であり、学者の育つ環境の出ではなく、父親の知らない家の育ちのはずなのに、という妬みがある。このような詮索好きな村人を、物語の書き手は突き放す。「このように、人々はイエスに躓いた」。
続くキリストの言葉も辛辣だ。「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」。なぜナザレの村人は、キリストの教えと証しに無頓着だったのか。それはキリストが何を語っても「あのマリアの倅のイエスの語っていることだ」とヴェールにくるみ、自分を変えようとはしない姿勢に理由がある。信仰が他者に開かれた態度を伴うわざとして理解されるなら、キリストが驚いた人々の不信仰さとは、イエス・キリストとの交わりに伴う変化を拒み続ける態度にあったのではないか。新たな世代との交わりにおいてわたしたちが変化を拒むならば、その態度は不信仰だとキリストに見なされるにちがいない。
続く箇所では、ナザレで相手にされなかったイエス・キリストが、他の村々を巡回して教え、神の愛の証しを立てる様子が描かれる。キリストが直接伝道に関わるのではなく、弟子にその働きを委託する。主イエスは、一期一会の出会いを大切にし、金銭以上に尊い主なる神を信頼することによって、聖霊に託されたわざを成し遂げるために弟子たちを世に押し出す。この旅は次の厳しさをも併せ持つ。それは「あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい」。これはキリストが実際にナザレの村人に対して行ったわざであり毅然とした態度表明である。イエス・キリストに従う道は、決して物わかりのよい従順な姿勢を促すのではない。キリストと弟子の伝道の旅とは、結果としては故郷からの追放という苦い思いをともなう、強いられた旅でもあった。しかしその結末は「十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教をした。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした」との実りに繋がっていた。パウロは語る。「わたしはキリストに結ばれた者として真実を語り、偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって証ししていることですが、わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります。わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから話され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています」。本来ならメシアの使信に最も敏感なはずのイスラエルの民が、キリストのメッセージに耳を貸さない反応を示すことへの嘆きである。「足の裏の誇りを払い落とす」という態度はパウロのいう深い悲しみと無縁ではない。
激動の時代にあって、わたしたち各々の暮らしだけでなく、教会もまた強いられた旅へと向かうこともあるだろう。安住の地は、わたしたちの後ろにあるものではなく前方にある。それは全ての涙が拭われる、神が支配し給う国である。「御国を来たらせ給え」との祈りは、聖書の文面から広がり、わたしたちと、例えばわたしたちの祖母・祖父の味わった難民のような、住まいや将来の展望の定まらない人々をともにつなぐ。さらには身近なところで一際暮らしに不安を覚えながら日々を生きる方々とをつなぐ。それはともに強いられた旅を歩む者に注がれる神の力による。嘆き節はわたしたちには似合わない。恵みが増し加わる旅路をキリストを仰ぎつつ、ともに進んでいこうではないか。